国境の街グラド2
黒灰色の毛並に覆われ、下顎にある左右の四本の牙は上に向って真っ直ぐに突き立っている。見た目は猪のようなその魔獣は、以前にも仕留めた事のあるファングボアだ。ただラタ村で仕留めたのとは違い体長は二メートルもない、せいぜい一メートル半くらいだろう。
転がり出て来た少年の一人は薄い鉄板が鋲打ちされた簡素な木製の盾と、少し刃渡りの短い剣を持ってファングボアに向けていた。よく見るとファングボアの身体に幾筋かの血の滲んだ線が刻まれており、剣を持った少年を睨みながら前足で地面を掻いている。
どうやら討伐しようとして怒らせたのだろう、あの牙で一突きでもされれば一巻の終わりだ。
黒の外套を翻しながら子供達の元へと駆け、腰の剣を抜き放つ。後ろからアリアンの精霊魔法である岩の塊が飛んできて、ファングボアと子供達の間に着弾して派手に土を巻き上げた。
ファングボアは器用に後ろへと下がると、此方に首を巡らせて唸り声を上げる。此方を新手の敵だと認識したのか身体の向きを変えようとするが、その動作はあまり素早いとは言い難い。
ファングボアが此方に向き直った時には既に振り上げた剣の間合いの内側に捉えていた。威嚇の鳴き声を上げる相手に、手に持った『聖雷の剣』の切っ先を相手の脳天に打ち下ろす。振り下された剣はファングボアの頭部をあっさりと左右に切り分け、勢いののった剣先は地面を激しく打って地面を抉り、大きな溝を刻み込んでいた。
二人の少年はその様子を口を開けたまま呆気に取られたように見上げてくる。
「坊主達、怪我はないか?」
剣に付いた血を振り払い、鞘に戻しながら尻もちをついた少年二人に話し掛けると、剣を持った方の少年が慌ててその場で立ち上がった。
「へ、平気だ! オレ様がもうちょっとで仕留めようとしてた所だったんだぞ!!」
短めの茶色の髪は少々癖毛で、此方を睨む鳶色の瞳には小憎たらしさを醸し出している。手に持った剣を突き付けてくるが、その剣先はプルプルと震えて狙いがあまり定まっていない。
するとその小生意気な少年の後ろで尻もちをついたままだった少年が、青褪めた顔をして慌てて立ち上がって剣を突き付ける少年に後ろから飛び掛かった。
「何やってるの兄ちゃん!! 仮にも命の恩人に悪態吐くなんて、何考えてるの!!」
どうやら二人は兄弟らしい。
弟の方は兄と違って髪の色が薄い茶色で少し長めで切り揃えられ、活発そうな兄とは対照的に少々頼りなさげな雰囲気だ。鳶色の瞳は兄と同じだが、常識的な所は弟の方に軍配が上がるようだ。
踏ん反り返る兄の頭を叩いて、代わりにペコペコと頭を下げている。
「すみません、兄が大変失礼しました! 僕はレフイットって言います、こっちは兄の──」
「オレ様はライアット・ダルセン・ドゥ・グラド! 次期領主の期待の星とはオレ様の事だ!」
弟のレフイットの窘めも何のその、腕組みをして訳の分からない威張り方しているライアットは少々小生意気だがなかなかに微笑ましい。いや、黒の外套に身を包んだ鎧騎士と灰色の外套を纏った怪しげな女性の二人組を前にしてここまで言えるのだから大したモノだ。
「面白い子供ね」
後ろからゆっくり歩いて来たアリアンは二人の少年に目を向けながら、くすりと笑いを零す。
それにしてもこの兄弟は領主の息子のようだ。何故このような街の外の畑で武器を持って魔獣と一戦交えていたのか、踏ん反り返るライアットを置いて弟のレフイットに尋ねる。
「ところで坊主達はこんな場所で何をやっていたのだ?」
しかしそれに答えたのはレフイットではなく、踏ん反り返っていたライアットの方だった。
「オレ様は坊主じゃねぇ! このグラド領は最近魔獣の被害が多いから、こうやってオレ様自らが領の平安を保つために見回りをしてやっているのだ!」
どうやら子供特有の背伸びがしたい年頃のようだ。
「あまり無茶な事をするものではないぞ、死んでは元も子もない」
「う、うるせぇ! オレ様は無茶なんてしてねぇぞ! 本当だぞ!!」
一応の苦言を呈してみたが、ライアットは地団太を踏んで顔を真っ赤にするばかりだ。そんな彼の相手をいつまでもしてる訳にもいかないので、隣で畏まっている弟の方へと目を向けた。
「レフイット殿に少々尋ねたいのだが、ここから帝国の一番近い街までの道を知らぬか?」
「帝国の一番近い街ですか? 僕はちょっと知りませんが、父なら知っていると思います」
此方の質問にレフイットは申し訳なさそうに首を振って答える。道を尋ねるのにわざわざ領主に聞く必要もないだろうが、グラドの街に行く事には変わりなさそうだなと思案に暮れていると、その横で兄のライアットが飛び跳ねながら抗議の声を上げて突っかかってきた。
「おい、コラ! 無視するな! オレ様を差し置いて──」
「きゅん!」
しかし自分の頭の上に貼り付いていたポンタが煩そうに一声鳴くと、突如風が巻き起りその突風がライオットの顔面に目掛けて炸裂する。
「むがぁっ!?」
突風に巻かれたライアットは堪らず後ろに仰け反り、手に持った剣の重さで尻もちをついた。
「今なにをした!? この緑の毛玉ぁー!!」
「きゅん! きゅん!」
頭の上と地面の上に転がった両者が睨み合っているのを放って置き、頭が二つに割れたファングボアの後足を掴んで背中に担ぎ上げてレフイットに向き直る。
「とりあえずグラドの街まで行って、そこで道を尋ねてみる事にしよう。街までは同道しよう」
「あ、ありがとうございます」
後ろで何やら喚いているライアットを置いて、レフイットの案内でアリアンとポンタとでグラドの街へと向かった。
グラドの街の街壁の周囲には深く掘られた空堀があり、街の入口の門の前には木製の橋が掛かっている。その門前には幾人かの衛兵らしき姿があり、こちらに目を向けた何人かが慌てた様子で駆けつけて来た。
「レフイット坊ちゃん! ライアット坊ちゃん! 何処へ行ってらしたんですか!? ダルセン様が大変心配しておられましたよ!!」
駆け付けた衛兵の一人が二人の兄弟の姿を確認すると、やや安堵した表情になりながらも眉が非常に困った様子に歪められ、ダルセンなる人物が心配していた旨を語った。
その話を聞いて、先程まで随分と悪態を吐いていたライアットが急に静かになる。レフイットの取り成しと事情説明により、アリアンと二人、特に問題なく街へと迎え入れられた。
街中央の広場へ衛兵の先導で着いて行くと、そこには多くの人達が物々しい装備姿で集まっていた。立派な鎧装備の騎士姿の者達は二十名程、他にも革鎧に身を包んで思い思いの武器を携えた男達も十名以上いる。
案内してくれていた衛兵の一人がその集団に駆け寄って行くと、その中心にいた一人の人物に向かって敬礼をした。
「ダルセン様、ご子息の両名発見致しました!」
衛兵にダルセンと呼ばれたその男は、鍛え抜かれたような大柄な体格に周囲の者達より多少見栄えのする鎧を身に着けていた。歳は三十代程、短く刈り込んだ髪と無精髭、二人の兄弟と同じような鳶色の瞳が此方を睨むようにして眇められる。
見た目や態度は山賊か傭兵の親玉にしか見えないが、状況や身に着けた物からしてこの男が兄弟の父親で、このグラドの領主なのだろう。
ダルセンははっきりと蟀谷に青筋を浮かべてはいるものの、その口元を笑むように歪めながらゆっくりとこちらへと大股で歩み寄って来ると、ライアットとレフイットの頭に拳を落とした。
「痛ってぇ~~!!」
ライアットは頭を押さえて地面を転がり、レフイットは頭を抱えて地面に蹲る。
「喧しい!! このクソ忙しい時に余計な心配掛けさせるんじゃねぇ、馬鹿野郎!!」
二人を怒鳴り付けたダルセンは拳を摩りながら、今度は此方へと目を向けた。
「余所者か? こんな時に珍しいな?」
「我が名はアーク、旅の傭兵だ。こっちは旅の伴のアリアンだ」
「きゅん!」
ダルセンの訝しむような声に、自分の名乗りと随伴しているアリアンの紹介をすると頭の上にいたポンタも返事をするように鳴く。そんな自分達に視線を走らせるダルセンのその目が、此方の背に担いだ物に留まった。
「おめぇのその背に担いでいるのは?」
「おぉ、こいつはここへ来る途中、御子息達を襲っておった魔獣だ。我には不要な物故、こちらで適当に処分してくれると有難い」
そう言ってその担いでいたファングボアを片手で領主の前に差し出すと、周囲から驚きの声が上がった。だが目の前のダルセンだけは鬼の形相をして、ライアットの方を睨み付けた。
それを見たライアットは慌てて周囲に居た騎士達の背中の陰に隠れる。
ダルセンは引き攣る蟀谷を押さえながら、鼻を鳴らすと此方へと視線を戻した。
「あんた傭兵だって言ったよな? こいつを一撃で仕留める腕を持ってるなら、かなりの戦力になる。これから少しだけ俺に雇われる気はねぇか? 代金は弾むぜ?」
足元に転がるファングボアを足先で突きながら、ダルセンは此方を見る。
「仕事の口は有難いのだが、我は既に雇われの身の上なのでな……」
そう言いながら隣にいるアリアンに視線を向けた。
それを見てダルセンは残念そうな顔をして後ろ頭を掻いて溜息を吐く。
「そうか……。こんな時期にグラドに来たって事は、何かここに用事でもあったのか?」
「いや、我らはこの先の帝国の街まで行きたいのだが、ダルセン殿は道を御存知か?」
ダルセンの質問に、帝国の街まで道を知りたい旨を答えると、彼はニヤリと口の端を吊り上げてアリアンの方を向いた。
「残念だがここから先の街道近くにオーガの群れが巣食っててな、帝国へ入る街道を行くのは今はかなり危険な状態なんだよ」
オーガとはゲーム時でもよく遭遇する事の多い、鬼のような姿をしたモンスターだ。高い体力と攻撃力以外は特に特筆すべき物はなく、集団になると少々厄介という程度の序盤から中盤に掛けての経験値稼ぎのモンスターでもある。
自分とアリアンの二人でなら殲滅も出来るだろうし、【次元歩法】を使えば戦わずにやり過ごす事も可能だ。
だがダルセンの今の雰囲気から見れば、帝国までの道を聞いて二人だけで進むと言っても素直に行かせてくれるようには見えない。
「そこであんたに提案なんだが、俺達はこれからそのオーガ共を討伐に向う所なんだが、その討伐の時だけ彼を貸して貰えんかな? この国境付近の田舎には傭兵も滅多に来なくてな、ファングボアを一撃で仕留める腕を持つなら是非とも助力を乞いたいのだよ」
ダルセンはアリアンを雇い主と判断して、彼女に自分のリース契約を願い出た。
アリアンの金の瞳がフードの奥から此方を窺うのを見て、それに頷いて応える。
道を教えて貰うついでに、通り道のオーガの駆除をする程度なら左程時間も取られないだろうという判断からだ。
「あたしはそれで構わないわ」
アリアンがダルセンの提案に応じると、ダルセンは笑みを深める。
「そうか、それはありがたい。勿論二人に礼は弾むさ。アークと言ったか、おめぇさんの方もそれで構わないか?」
「我も特に異存はない。ところでオーガの群れの規模はどのくらいなのだ?」
「偵察に行かせた奴の話では十匹程だそうだ」
どうやら昼になる前には片付きそうな案件のようだ。
「心強い奴が仲間に加わったが、まだ油断出来るような状態じゃない。お前ら、慎重に行くぞ!」
「おう!!」
ダルセンの掛け声に、集まっていた男達から鬨の声が上がる。騎士や装備に身を固めた男達の元には家族や友人達が集まってお互いに抱き合ったりして、無事に帰る約束などを交わしていた。
そんな様子を見ていると隣のアリアンと目が合った。彼女は軽く肩を竦めて首を振る。
どうやら自分が思っていた以上に、この事態は深刻なようだ。
領主であるダルセンの態度があまり深刻な雰囲気を感じさせなかったので、自分的にはちょっとした山狩りの気分だったが見当違いだったらしい。
討伐隊の指揮官が絶望的な表情をしていれば勝てるものも勝てなくなる。それにしても、領主自ら指揮を執るとはかなりの勇猛な人物のようだ。
まぁ街自体の規模もそれ程大きくはないし、抱えている騎士の数を見れば単に人手が足りないだけとも言えるが。
「それじゃ早速行って、手早く片付けましょうか」
アリアンが前に進み出てダルセンを促すと、彼は目を丸くする。
「いや、貴殿には俺達が帰って来るまでの間、この街で待って貰おうと思っていたのだが──」
「あたしは魔法も剣も扱えるわ、戦力になるでしょ?」
そう言って彼女は手の平に炎を出して見せると、それを握り潰すようにして消して見せた。
「おお! どうやら俺達にも運が向いて来たようだな! 全員生きて帰るぞ、お前ら!!」
「おおおぉう!!」
ダルセンが気炎を吐くと、周囲の者達からも一斉に威勢のいい声が大きく上がった。
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