東の帝国へ
「トレアサ様!」
「フラーニ!」
ランドバルトの領主屋敷で領主であるペトロスの前で、夫人となったトレアサと侍女のフラーニが互いに名を呼び合ってその身体を抱き合っていた。
「今回は妻の願いを聞き届けて頂き、フラーニを無事救い出してくれた事に感謝致します」
ペトロスはそう言ってアリアンに手を差し伸べる。アリアンはその手とペトロスの顔を交互に見やった後、ややあってからその手を取った。
「別に……、あたしは大した事はしてないわ」
ややぶっきら棒にそっぽを向いて言葉を返すアリアンを、ペトロスは微笑ましそうに笑みを浮かべた後、全員に着座するように促した。
自分はと言えば、全身鎧で目の前の高級そうなソファに腰を下ろす事が出来ないので、例の如くアリアンの護衛として後方に立ったままだ。
領主ペトロスとその夫人であるトレアサの後方にも、此方と同じように直立不動の恰好で立つ見慣れない年嵩の男性の姿がある。
「それにしてもよくあの船に彼女が捕まっている事が判りましたね。あの船は対岸のノーザン王国のオルナット伯爵の免状を持っていて、もしフラーニや街の住人が捕らわれている事実が無ければ大変な事になっていましたよ……。何処で確証を得たのか聞いても?」
ペトロスはやや苦笑を浮かべてアリアンに尋ねると、脇に控えていたフラーニが思い出したように手を打ってそれに答えた。
「そう言えば船倉に閉じ込められている時に、女性の声で私の名前を呼んだ方がおりました。思わず返事をしたのですが、周囲に居た方達は誰も私を呼んだ覚えがないと仰ってました……、思い返せばあの御声はアリアン様の御声でした」
その答えを興味深そうに聞いていたペトロスの横で、トレアサが納得したような表情をした。
「あぁ、風の精霊を使われたのですね?」
その言葉にアリアンも小さく頷いて答えた。
「あたしは風とは契約していないから、言葉を飛ばせる距離はせいぜい十数メートル程だけど」
「気分屋な風の精霊を、契約もせずに使役出来る事は充分にすごいですよ」
トレアサが感心しきりな目をアリアンに向けると、アリアンはやや照れたような様子でそっぽを向いて頬を掻いた。
どうやらあの時、彼女の手の平から何かが飛び出していった場面を目撃したが、あれは風の精霊を飛ばしている所だったのだろう。精霊魔法を使った無線通信のようなモノらしい。
二人の会話をペトロスも感心したように頻りに頷いて聞いている。
「それにしても、今回のフラーニ殿の誘拐を企てたのが副長のジオ殿とはな……」
やや嘆息して今回の一件の所感を言葉に乗せると、ペトロスの後ろにいた年嵩の男が進み出て来て、直角に頭を下げた。
「我が監督不行き届きが招いた此度の件、多くの方々に御迷惑をお掛けし、誠に申し訳のしようもありません。責任は全てこの騎士団長であるヘリード・ガンコナーに寄る──」
白髪頭をオールバックに纏め、カイゼル髭を生やしたヘリードと名乗った騎士団長が、今回の一件の責任の所在は自分に在ると断じて言い募るのを、領主であるペトロスは軽く手を振ってその言葉を遮るようにした。
「ヘリードだけの責任とは言えないよ、父を領主の座から排して未だに全体を掌握しきれてなかった僕にも責任はあるからね……」
副長のジオはあの騒動の混乱に乗じてその場を逃げ出したそうだが、すぐに騎士団長であるヘリードの率いる騎士達によって潜伏していた先で取り押さえられたそうだ。
「やはり彼の目的は金であったのか?」
「確かにそれもあったようですが、奴は最近街に多く流れ込んでいた流民を商会に引き渡す事で治安の回復も目論んでいたようです。ただ、商会の方は奴が目溢しする事をいい事に、街の領民まで多数誘拐しておったようです。奴も同じ穴の貉、その商会の行為を黙認してもおりました」
ジオの今回の目的を尋ねると、ヘリードは苦虫を噛み潰したようなその顔を伏せた。
そういえば副長のジオは、流民に対してあまりいい感情は見せていなかったな。
今回侍女のフラーニがデオイン商会に捕まった経緯を聞くと、流民対策として商会のヴィツィオ達と街に居る流民を引き渡す取引をしてたその場を、たまたま通りがかった彼女がそれを目撃してしまい、口封じを兼ねてジオが彼女の身柄を商会に売り払ったというのが真相らしい。
ジオはフラーニを金で売り渡す事を決め、ヴィツィオは教養のある侍女を奴隷として買い取れる事を喜んだ、二人の男が欲の皮を突っ張ったおかげで彼女は無事に済んだとも言える。
「他国のとはいえ伯爵の免状を持った商会が他領で行った蛮行、やはり相手側の伯爵には今回の一件を追及するつもりなのか?」
ペトロスに尋ねると彼は苦笑を浮かべなら首を振る。
「オルナット伯爵には、偽の免状を所持したデオイン商会を名乗る者達の身柄をこちらで拘束したと伝える事にするよ。無闇に他国の領主と揉めたくはないし、今回はこちら側も船に強制的に押し入った形だからね。向こうも船など失って痛手にはなるだろうが、面目は保てるから大きく何かを言ってくる事はないと思うよ」
アリアンの魔法による確証があったとはいえ、手順を踏まずに突入したのはやはり行き過ぎた行為だったのだろうか。しかし、あの場合手順を踏んだからといって、きちんと船の臨検が出来るという訳でもなかっただろう。
「今回の騒動の詫びという訳ではないが、領内に溢れている流民の行先に少々心当たりがある」
その言葉に領主のペトロスだけでなく、脇に控えていた騎士団長のヘリードも興味を示した。
そこでランドバルトに来る際に立ち寄ったブランベイナ領の話をすると、訝しげにしていたアリアンもその話を聞いて思い出したように手を打った。
あそこの領主であるスキットス子爵は増えた耕作地の担い手が無く、人手も足りないと嘆いていた。あまり大量に移住させる事は出来ないだろうが、ここの流民対策の一つとして考慮する事も出来る筈だ。
「あの領はあまり人が増やせないと思っていたけど……、我が領のようにエルフ族を抱えているのか。それならエルフ族との友好を推し進めている、ユリアーナ殿下の派閥へ誘うついでに流民の事も子爵に相談してみるか」
自分の提案を受けて、ペトロスは何やら思案顔で独り呟いていると、その一部にアリアンが興味を示すような顔をして腰掛けていたソファから背を離して前にのりだす。
「そのユリアーナ殿下と言うのは、このローデン王国の王族の事かしら?」
「ええ、殿下はこの国で王位継承権を持つ中で、唯一エルフ族との友好を推し進めようとしている方でして。我が領は父が第二王子であるダカレス殿下の派閥に属していたんですが、妻の事もあるので第二王女であるユリアーナ殿下の方へと席を移す事を考えていたんですよ」
ペトロスのするその話をアリアンは興味深そうに聞いている。この国の王族にも一応エルフ族との交流を図ろうとする者もいたのだ、エルフ族である彼女が関心を示すのは頷ける話だ。
アリアンがペトロスにユリアーナ殿下についての話を聞いてるその横で、自分はその名前に何処か既視感を覚えて首を捻る。すぐに思い出せないというのはそれ程大した事ではないだろう、そう結論付けて思考を切り替えた。
今回の一件で領主であるペトロスからは、何かあれば便宜を図る事を約束するとして、その旨をしたためた封蝋の施された書状と、ランドバルト領内における銅の通行証を二枚貰った。
エルフ族と人族の今後の事を考えるならば、こういった物は何かと役に立つだろうし、これからも度々訪れる事もある可能性を考慮すれば通行証もかなり有用な物だ。領内では少々派手に動いてしまったが、人の噂も四十九日と言うし、その内治まるだろう。いや、四十九日は法事の日程だったか?
そんな他愛ない事に考えを巡らせていると、話の終わったアリアンに脇を小突かれてようやく我に返った。
その後、領主ペトロスとその夫人となったトレアサ、侍女のフラーニに礼を言って別れを告げ、ランドバルトを出ると長距離転移魔法の【転移門】を使って一旦エルフ族の里であるララトイアへと戻る事になった。
エルフ族の多くが住まう広大なカナダ大森林、その巨木が聳え強力な魔獣の跋扈する森の只中にある里の一つ、ララトイアはアリアンの出身の里でもある。
人気のないブルゴー湾を望む丘の上で【転移門】を発動させると、風景が暗転した後にここ最近でよく目にするようになった屋敷の前に立っていた。
正面に見えるのは巨大な大樹だが、その大樹と一体化したようなエルフ族独特の屋敷が聳え建っている。自然と融合する形のその屋敷は、このララトイアの里長である長老の自宅であり、その長老の娘でもあるアリアンの実家でもあった。
本来なら里内に人族を入れる事を快く思わないエルフ族の里に、転移魔法で直接里の内部へと転移する事はあまり褒められた事ではない。
しかしこの里は、里を治めるアリアンの父が長老である事もあって許可を貰っている上に、目の前にある屋敷の印象が強く、転移で飛ぶ際に浮かぶイメージでどうしてもこちらへと来てしまう。
大樹は夕日の光をその大きく生い茂る枝葉で遮り、その下に構える屋敷に周囲より早い夕闇を創りだしている。屋敷の窓からは魔道具で作り出されたランプによる灯りが漏れ、夕食の支度なのか空腹を刺激するようないい匂いが漂ってきていた。
頭の上ではその匂いに釣られたのか、ポンタが「きゅ~ん」と鳴いて鼻をヒクつかせている。
先頭に立つアリアンは、勝手知る我が家である屋敷の大きな木製の両扉を開けて中へと入った。
正面玄関を潜って吹き抜けのホールになっている広間に入ると、中心には巨大な柱が屋敷を貫くようにして立っていて、そのホールの外周に渡された廊下の二階から一人のエルフ族の男性が降りて来る所だった。
外見の年齢的には二十代後半から三十代くらい、翠がかった金髪は少し長いめで、エルフ族特有である紋様の入った神官服のような恰好をしている。
この男がこの里の長老であり、アリアンの実の父でもあるディラン・ターグ・ララトイアだ。
ディランは娘のアリアンの顔を見つけると、相好を崩してこちらへとやって来た。
「随分と早い帰還だね、問題か何かしら成果でもあったのかい?」
娘とこちらを順に目を向けて尋ねるディランに対し、アリアンはランドバルトで出会ったトレアサとの経緯を語って聞かせた。
「そうか……、彼女自身が人族と共に暮らす事を決めたのなら私達が何か口を挟む事でもないね。それにローデン王国のユリアーナ殿下の話は興味深いね、以前アリアン達がローデンの領主を討った事によるあちら側からの接触があるなら、その人物と話せればいい方向へ持っていけそうだ」
そう言いながらディランは、アリアンから受け取ったランドバルトの領主ペトロスの書状を手に持って興味深そうに眺める。
「それと、そのランドバルトの街に立ち寄る際にブランベイナという街でエルフ族の魔獣学者のカーシー・ヘルドっていう人と会ったわ」
「カーシー・ヘルド……、確か大森林の魔獣生態書を書いた人だね。随分前に森を出たって噂だったけど、そんな所に居たのか。それも今度大長老たちに話しておくよ」
ディランは柔和な笑みを浮かべた後に、少し真剣な目を向けてこちらを見やる。
「あと残るは、ドラッソス・ドゥ・バリシモンという人物だけど……。そのドラッソスの所在の情報をくれたチヨメという山野の民からの情報によれば、次は東の帝国だそうだね?」
アリアンが小さく頷くのを見て、ディランは複雑そうに眉根を寄せた。
「東西にある帝国は領土も広い上に、エルフ族などは見つかれば何をされるか分かったものじゃないと聞く。元々私達エルフ族が北大陸に散らばって生活をしていたのを、この地に追いやったのもその両帝国の前身であった国だ。アリアンは十分強いだろうけど、あまり無茶はしないでくれ」
「わかってるわ、それにアークもいるから大抵の状況は打破できる筈よ」
父に心配そうな目を向けられたアリアンは、傍らに立っていた自分を見上げながら軽く此方の鎧をノックしながらそんな事を話す。どうやら彼女には割と評価して貰えているらしい。
悪くない気分だと、居住まいを正して胸を張る。
「ディラン殿、アリアン殿の事は我が責任を持って無事に里へと送り届けよう」
そんな事をのたまうと横でアリアンが半眼になって此方を見やって兜の奥を覗き込んで来た。
「そんな事言って、今度は道間違ったりしないんでしょうね?」
そう言えば帝国へはどうやって行けばいいのだろうか、そんな事を考えて首を傾げると、アリアンから脇腹に肘鉄を入れられてしまった。
誤字・脱字などありましたら、ご連絡宜しくお願い致します。
今日が書籍版、Ⅰ巻の正式発売日です。
書店で見掛けたら、お手に取って頂けると幸いです。
先日、自分の元にも現物が届き、読み返している所です。
やはり横書きのWEBと縦書きの書籍では受ける印象も変わり、随分と小説してるなぁと妙な感慨に耽りつつ、色々と修正したい箇所も見えてきて反省も頻りです。
もう少し文章力を上げないといけませんね……。
さて、Ⅱ巻は出せるのか!?^^;




