ランドバルト騒動1
ランドバルトの西側はブルゴー湾と呼ばれ、この港は湾のちょうど中間あたりに在って、対岸のノーザン王国との距離が一番近い場所にあるそうだ。この港を出て西方の沖にはビス島と呼ばれる島があり、そこを中継として昔からノーザン王国とは交易などが盛んだと言う話だ。
確かに今居る港から沖合を眺めると、島の景色がうっすらとだが水平線の向こう側に見る事が出来る。距離的にはそれ程離れておらず、船で二時間掛からないと脇で同じく沖を眺めていた騎士団副長のジオが説明してくれた。
港には大きな桟橋が二本設けられており、そこに沢山の大小様々な船が停泊しているが、領主ペトロスが入出港に制限を掛けた為か出入りする船自体はそれ程多くはない。衛兵の姿は船の出入りの監視の為もあって割とあちこちで見掛けるが、勤務態度はまちまちだ。ジオの姿を見て慌てて取り繕う衛兵などの姿も多く見受けられた。
既に規制を掛けて二日になるという話だったので、さすがにこれ以上はこの数の船の出入りに規制を掛け続けるのは無理があるのだろう。
港には多くの人で賑わってはいるが、その空気にはピリピリとした剣呑な空気も含まれていた。港近くの雑踏には薄汚れた格好の者も多く屯していて、全体的に穏やかな港町という雰囲気とは言い難いものがそこにはあった。
頭の上に貼り付いていたポンタもそんな雰囲気を敏感に感じ取ったのか、首元に降りて来てマフラーのようになって丸まると頭を引っ込めてしまっている。
「ノーザン王国の西側の異変のおかげでこちらにも流民が押しかけて来て、今は治安がだいぶ悪くなってまして……。港の規制を行っている今はその数が減ってますが、また解除されれば入り込んで来る数が増えるでしょう、本当に困ったものです。しかも最近は湾の沖で幽霊船などの目撃まであって、住民に不安や不満が溜まる一方です」
港への案内をしてくれていた副長のジオは、眉を顰めてやや苦々しい口調で零すが、すぐに表情を戻して自分とアリアンの二人を先導するように港の中を進む。
「ノーザン王国はその西の異変に対しては何も手を打っておらんのか?」
流民が湾とは言え海を越えて流れて来るとなると、その異変はかなり大規模な物の筈だ。それを国が指を咥えて見てるだけとは考え難いが、それが常態化しているとなると王国の支配体制に罅が入っている可能性もある。
「流民共の話によれば、西方に位置するヒルク教国の教会騎士団が対応に出ているそうですが、対応は後手に回っているようですね」
ヒルク教国はノーザン王国のさらに西に位置するという話だった。その西方に位置するヒルク教国にとっても今回の異変は看過出来ないものなのだろう。しかし対応に出ているのは隣国のそのヒルク教国だけなのだろうか。
ジオにその辺りを尋ねてみても首を傾げるだけで、あまり詳しい事は知らないようだ。
現代のように高度に発達した情報化社会と違って、情報を持っているのは極一部なのだろう。情報の収集すら多大な労力が掛かるこの世界では、隣国の内情すらなかなか正確に把握している人間は少ないようだ。単に情報開示に関して口を噤んでいるだけかも知れないが。
数多くの奴隷を掻き集めているのはヒルク教国だとペトロスは語っていた。それはミスリル鉱石の採掘の為だろうとも──。
魔獣対策の為のミスリル製武具の開発、それに伴うミスリル鉱山採掘の為の労働力としての奴隷徴用は分かるが、そこまでして集める事に費用対効果が伴うようにどうしても思えない。
そんな事を思案していると、隣で外套のフードを深く被ったアリアンが僅かに身動ぎをして此方に視線を合わせてきた。
「何か見つけたのか、アリアン殿?」
そう問い掛けると、アリアンは人差し指をそっと唇に当てて周囲に目線を走らせてから此方にその金色の双眸を戻した。
「さっきからこっちを監視している者達が何人かいるわ」
その言葉に頭を上げて首を振らずに兜の奥から視線だけを周囲に配ると、確かに一人こちらの様子を窺いながら身体だけを別の方向に向けている怪しい男がいた。ただアリアンが言うように何人も見つけられはしなかった。
エルフ族の戦士はこのような人の多く行き交う場所でも敏感に気配を選り分けて察知できるのか、それともダークエルフである彼女だから出来る芸当なのか。どちらにしても人並み以上の感覚があるようだ。
しかし、こちらを監視するような動きを見せるとはいったい何が目的なのだろうか。二人とも多少目立つとは言え、初めて訪れた街でいきなり目を付けられる覚えはあまりない。
やはり失踪した侍女のフラーニに関連する事か。それ以外にこちらを監視する理由が思い当たらないが、そうするとあれは誘拐組織の偵察隊か何かだろうか。
しかし自分とアリアンが、領主のペトロスとその奥方から侍女の行方を探す事を依頼された事は殆ど知る人間はいない筈だ。
そうなると──。
視線を先を歩くジオに向けた。
この領の騎士団副長となれば、裏の商売をしている人間にとっては警戒すべき相手である事は間違いない。あの監視は自分とアリアンではなく、ジオの動向を把握する為のものなのか。
「彼奴等は、副長のジオ殿を監視しておるのだろうか?」
足を止めて横にいたアリアンに尋ねると、彼女は微かに首を横に振ってそれを否定する。
「奴らの意識はあたし達に向いているみたい……」
そうなるとますます意味がわからない。どういう事だろうかと、アリアンと互いに目を向け合っていると、少し先にまで進んでいたジオがこちらが立ち止まっていた事に気付いたのか、振り向いた後に少し大股で戻って来た。
「どうかしましたか?」
ジオがこちらの顔を訝しむようにして覗き込んでくる。
一瞬だけアリアンに視線を移してから、ジオの疑問に端的に答えた。
「どうやら先程から我らを監視する者達がいるようなのだ……」
ジオは目を瞠って周囲を窺おうとした頭を、寸での所で思い留まり視線だけを動かす。
「……本当ですか?」
やや声を落としてジオが聞き返すのを、隣にいたアリアンが首肯する。
「目的は分からないけど、港に入る前から付けられてるわ」
「フラーニ殿を攫った連中だとも言い切れぬが……」
そう言いさして、ふと別の疑問が浮かびジオを見やる。
「そう言えばジオ殿。フラーニ殿は何処で消息を絶ったのかは把握されておるのか?」
自分の質問に、ジオの瞳が僅かに左右に動揺するような動きが浮かび、目を伏せた。
城内で働く侍女は普通、城壁内で過ごす事が多い筈だ。詳しくは知らないが大抵住み込みで働く者が多い侍女がそう易々と攫えるとは思えない。逆に城内で消息を絶ったのならば、犯人像がまた別の姿をとる事になってくる。
「……私のせいなのです」
ジオは目を伏せたまま、少し低く声を絞り出すようにして答えた。
「私が彼女に城外への使いを頼んだのです。部下の兵にでも言いつければ良かった筈なのに、彼女も城外に用事があるからと──。ですから今回の捜索の案内はペトロス様に言って志願させて頂いたのです、せめて一助になれればと思いまして」
「では我らとジオ殿は一旦ここで別れるというのはどうだろうか?」
顔を伏せたままのジオを見ながらそう答えると、弾かれたように顔を上げて此方を見返しアリアンと左右に視線が振られた。
「何故です!? 私は彼女の捜索の手伝いを──」
やや動揺した口調のジオの言葉を遮るように手で制し、口を開いたのはアリアンだ。
「あたし達が囮になって奴らを引っ張り出す、って事よね?」
此方の意図を汲んで尋ねる彼女に首肯して応えた。
「うむ、ジオ殿はこの街では広く顔の知られた人物、奴らを誘い出すなら我らから一旦離れて貰った方がいいだろう」
「し、しかし……」
なおも何かを言い淀むジオに、アリアンも冷静な口調で此方の案に同意を示した。
「そうね、あまり時間もないんでしょ? 今は少しでも手掛かりがいるわ」
有無を言わせないその口調に、ジオも躊躇いながらも頷き、やがて頭を垂れた。
「わかりました……、では私は一旦港にある詰所の方へ顔を出してきます」
「では一時間ほど後に、またこの辺りで落ち合うとしよう」
自分の言葉に両者が同意し、一旦ジオとはここで別れる事となった。
離れて行くジオの背を見送りながら、隣のアリアンに話し掛ける。
「連中、こちらの誘いに乗るであろうか?」
「二人で釣れなかったら、最悪一人になって誘うしかないわね」
少し口の端を上げて笑ったアリアンは、事も無げに返す。
まぁ自分とアリアンの単独でもそうそう遅れをとる事は少ないと思うが、だからと言って油断する訳にもいかない。出来れば二人行動の時の誘いに相手が乗ってくる事を祈るしかない。
アリアンと連れ立ち、時折港にいる船員などに侍女の特徴などを話しながら行方を探す恰好をとりながら進む。周囲の聞き込みをして分かった事だが、ある程度何か知っていそうな者達も一様に言葉を濁したり、口を噤んだりして碌な話が聞けなかった。領主が言っていた裏の抗争に巻き込まれたくはないと言う事なのかも知れない。
そのまま何の成果も無いまま、周囲の監視を引き連れて港の南側奥にある倉庫街周辺に足を踏み入れた。
手前の通りはわりと人の往来があるが、一本奥の道に入ると途端に人の数が少なくなる。船の発着場から遠いこの辺りの倉庫は頻繁に利用される区画ではないようだ。
道の隅に浮浪者のような者達が蹲って此方を胡乱げな表情で見上げてくるが、何をするでも無く視線だけで見送っていく。
「アリアン殿、どうだ?」
周囲の気配を探りながら隣のアリアンに尋ねると、フードの奥で金の瞳が怪しく光り、彼女の口元が笑う形をとった。どうやら上手く釣れたらしい。
「後ろから六人付いて来てるわ、周囲にも並走して十人以上が回り込んで来てるわよ」
彼女のその言葉通りに、周囲を倉庫が占める少し奥まった広場のような場所に行き当たると、そこには十人以上の男達がニヤケた顔を晒して待ち構えていた。
振り返ると後ろからも複数の男達が退路を断つようにして迫って来る。周囲に居た僅かな人達はその異変を敏感に感じ取ると、巻き込まれまいと一目散に姿を消していく。
周囲の人数をざっと見ただけで二十人程の男達が自分達を取り囲むような恰好となっていた。
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なにやら書籍版Ⅰ巻が既に世に出回り始めているようです……。自分もまだ現物拝んでないというのに……、本当に?^^;




