終章
※あとがき追記
ローデン王国南東部に位置するリンブルト大公国。
元はローデン王国の一地方領地でしかなかったここは、約六百年前のエルフ族との戦役の際、当時エルフ族との融和を訴えていたティシエント公爵家とその一派がローデン王国を離れ、後にこの地にリンブルト大公国を興す事になった。
当時のローデン王国はリンブルトに対してあまりいい感情を示しはしなかったが、エルフ族との戦役で敗戦し疲弊しきったローデンには不平を漏らす事は出来ても、それを力で訴える事のできる状況ではなかった。
そしてリンブルト大公国はティシエント公爵家が当初から提唱していた通り、エルフ族との融和を押し進め、今ではエルフ族と唯一交易を持つ人族の国家となった。
エルフ族の生み出す魔道具などは、人族の作り出すそれらとは一線を画する性能を誇る為、人はこぞってそれらの品を求めた。
そもそもローデン王国がエルフ族との戦端を開いたのも、これら高性能な魔道具や魔導技術を欲したが為であったが、結果はと言えば、当時レブラン帝国に次ぐ大国だったローデン王国に少数民族でしかなかったエルフによるカナダ大森林勢の圧倒的勝利で幕を閉じた。
ローデンと同じく彼らの技術を欲していた諸外国もこの結果に驚愕し、武力での略奪を諦め交易による取引に移行せざるを得なかった。
しかしそのエルフ族はカナダ大森林に引き籠り、交易の窓口をリンブルト大公国のみに絞ってしまった為、それらエルフ族の魔道具を他国に独占的に販売する事が出来たリンブルトは莫大な財を成す事になり、小国ながらその力は飛躍的に増大する事となった。
首都であるここリンブルトには、アルドリア湾を望む巨大な港が建設され、北大陸の各国の船が多くここを訪れており、街もかなりの活況に溢れていた。
それもその筈で、ここリンブルトはローデン王国の王都であるオーラヴよりも人口規模が多く、またリンブルトが仕入れたエルフ製魔道具を求めにやって来た各国商人や、それらを運ぶ船乗りなどが多く出入りする為、活況では帝国の帝都を凌ぐとも言われていた。 そして他国ではその姿が絶えて久しいエルフ族が、唯一見られる人族の街でもある。
そんな活況溢れるリンブルトの街路を、百名以上の大公国軍が整然と並び、その軍に先導される形で普段は見掛ける事がない兵装をした部隊と黒塗りの四頭立て馬車の一団が街中を進み、一路リンブルト城を目指していた。
先導される大きな黒塗りの馬車に乗っているのはローデン王国第二王女、ユリアーナ・メロル・メリッサ・ローデン・オーラヴであった。
黄色味の強い金髪を長く伸ばし、毛先に掛かった緩いウェーブを靡かせ、白く整った顔立ちに愛くるしい茶色い瞳が覗く。
馬車の車窓から見えるリンブルトの賑やかな街並みは、彼女のその大きな瞳に映し出され、ゆっくりと流れて行く。
あのアネット山脈麓の森での襲撃から実に十日程経っていた。
襲撃を受けた地点から逸早く離れ、新たな追手を警戒して主要な街を避けながらリンブルトへと進み、ローデン王国とリンブルト大公国とを分ける国境線となっているリブルート川を越えたのは予定より幾分か遅れての事だった。
リンブルト大公国へ入ってすぐは、その領地を治めるブラート侯爵の居城へと赴き今回の一件の経緯を簡潔に話し保護を求めた。
三十名近くまで減った護衛兵達はリンブルトへと入った時点でかなり疲弊していた。
先の襲撃の際に受けた傷は奇跡の御業により殆ど見受けられなかったが、多くの馬を無くし、追手を警戒して野営を最小限にしての強行軍は目に見えて疲労を蓄積させた。
ブラート侯爵はそれを見て兵達を労い、ユリアーナ王女一行を自らの居城に逗留させて、その間に首都リンブルトにいるセリアーナ妃へ使者を送っていた。
リンブルトから即座に迎えの兵を寄越すとの返事を携えて使者が戻ったのは、ユリアーナ王女一行がブラート侯爵の居城に逗留して三日目の事だった。
その後ブラート領にまでやって来たリンブルト大公国軍に先導される形で、ここリンブルト大公国の首都にまでやって来たのだ。
やがてユリアーナを乗せた馬車はリンブルトの中央、大公の住まう居城へと続く大きな石橋へと差し掛かる。
居城の周囲は大きな堀が設けられており、海から引いた水が城の周囲を満たしていた。その堀を渡る橋からは、城の周囲で釣り糸を垂らし、のんびり魚釣りに興じる者達の平和な光景が見える。
やがて橋を越え城壁内に入ると、目の前にはリンブルト大公国を治める大公の白亜の宮殿が聳えていた。幾つもの尖塔を有し、全体に優美な彫刻が施され、荘厳な雰囲気を持つその宮殿はこの国の力と豊かさを示していた。
「以前と変わらず美しい建物ですね……」
馬車の車窓から見上げるようにして仰ぎ見ていた、侍女のフェルナが呟く。
そんな彼女の言葉に無言で頷き肯定し、ユリアーナ王女は宮殿入口に視線を移す。
視線の先にはこの白亜の宮殿の入口である大階段が見えてきており、そこに懐かしい顔の人物が何名かの近衛兵だろう、立派な鎧を身に纏った兵に守られるように立っていた。
馬車はゆっくりと宮殿の大きな前庭へと進んでいき、やがて宮殿正面の大きな大階段の手前で止まる。
御者が馬車の扉を開けるのも持たず、ユリアーナ王女は馬車から飛び降りると、その懐かしい人物へと駆け寄った。
「メリアお姉様!」
「無事だったのですね、メロル!」
ユリアーナ王女がメリアと呼んだその人物も彼女に駆け寄りそっと抱きしめると、目尻に涙を溜めて幼少の頃より呼んでいた懐かしい妹の名を口にした。
ユリアーナと同じく黄色味の強い金髪を綺麗に束ね結い上げた髪に、茶色の瞳は慈愛に満ちた色を宿している。薄青の美しいドレスを纏いユリアーナ王女を抱き寄せる女性、彼女はこのリンブルト大公国の大公に嫁いだユリアーナの実姉、セリアーナ・メリア・ドゥ・オーラヴ・ティシエントであった。
「生きていてくれて本当に良かった……」
「御心配をお掛けして申し訳ありません、メリアお姉様……」
ユリアーナはそんな姉の言葉に目頭を熱くし、姉の温もりに顔を埋める。
「ローデンであなたがダカレスの手によって討たれたと言う知らせを聞いた時、目の前が真っ暗になったのですよ……」
「! お姉様、それは一体どういう事ですか?!」
姉であるセリアーナ妃から聞かされた話に、ユリアーナは勢いよく顔を上げ尋ねた。
「少し前にオーラヴで混乱があったらしいわ。それを手引きしたダカレスが、セクトをその混乱に乗じて討ち取ろうとしたそうよ。セクトは怪我を負いはしたけど、それを返り討ちにしたらしいけど……」
「……そうですか。それで何故私が討たれたと言う話が?」
「ダカレスが討たれる際、懐にあなたがいつも身に着けていたお母様の首飾りを所持していたそうよ。問い質すとマルドイラ大将軍が実行に加わったとダカレスが言ったそうよ」
セリアーナの話を聞きながら自分の胸元に目をやる。
いつも肌身離さず着けていた母の形見の品の首飾り、襲撃後に何処を探しても見つからず、追手の事もあって泣く泣くその場を後にしたのだ。
それが襲撃者の手によって奪われ、ダカレスの手元にあったと聞いたユリアーナは奇妙な安堵と激しい憤りが込み上げて、自分の心中が感情の波で掻き回される思いがした。
「……それでマルドイラ大将軍はどうなったのですか?」
「その時の王都の混乱も扇動していたとされて、その場で息子のセトリオン将軍に討たれたそうよ」
その話を聞き、ユリアーナは複雑な胸中を隠すかのように顔を伏せた。しかし、そんな彼女の頭をそっと優しく撫で、自分の豊かなその胸に妹を掻き抱いたセリアーナは彼女の耳元で静かに言葉を囁いた。
「……あなたが生きていた、私はそれだけで充分です」
その言葉に胸に渦巻いていた物が嘘のように消え、ただ熱くなった胸と目頭を隠すように、大好きな姉の優しい柔らかな身に顔を沈めるのだった。
北大陸北東部に位置する神聖レブラン帝国。
その広大な領土の中央に位置する帝都ハバーレンは、人口八万人を抱える大都市で、広大な平原に築かれた都市は綺麗な円形状に広がり、中心に聳える皇帝の居城を中心に放射状に通りが形成されている。
その帝都の中心に位置するシグウェンサ城は優美さと言うよりは質実剛健な造りで、元はレブラン帝国時代に東へと領地を求めた際に築かれた城塞であった物だ。
シグウェンサ城の奥の間、普段は皇帝が執務室として使っているその一室。
一人の男がこの国の主のみが着座を許される椅子に腰を掛けていた。くっきりした目鼻立ちに赤茶けた髪はやや癖毛、引き締まった身体に飾り気の少ない軍装を纏うのはまだ青年のような若さの男。
彼の名はドミティアヌス・レブラン・ヴァレティアフェルベ、この東の大国、神聖レブラン帝国の若き皇帝だ。
彼は執務机の前に広げられた帝国周辺の地図を肩肘を突きながら、ただ何を言うでも無くそれを眺めていると、部屋の扉をノックする音がした。
「入れ」
彼の執務室には使用人の類も一切おらず、この部屋を訪ねて来る人間も限られるとあってか、乱暴な口調で扉の向こうの相手に入室の許可を与える。
ややあって扉が開くと、皇帝より派手な衣服に身を包んだ太り気味な男が入って来た。でっぷりした腹を揺らし、鼻の下に申し訳程度の口髭を蓄え、にこにことした表情だがその笑顔からは胡散臭い雰囲気しか漂ってこない。
一見裕福な商人のような出で立ちの男は、この神聖レブラン帝国の政務を取り纏める立場にある大法官、ヴェルモアス・ドゥ・ライゼールだった。
「何用だ? ヴェルモアス」
その胡散臭い笑顔を浮かべるヴェルモアスに対して、ちらりと視線を投げた皇帝はぶっきら棒に問い掛けた。
「はい、陛下。実は先程ローデンに寄越していた者から文が届きまして。次期王位継承者がセクト第一王子にほぼ決まったと知らせがありまして」
「んぅだとっ?!」
皇帝の問いに、ヴェルモアス大法官は事も無げに答えを返した。
その答えにドミティアヌスは、皇帝とは思えない口調で聞き返し、目の前でにこにこしている大法官を睨め付けた。
普段から気に食わないと思う相手から、自分の気に入らない情報を齎される事ほど不愉快になる事はなく、それを隠そうともせず不機嫌な態度を取る。
しかし当のヴェルモアス大法官は慣れたモノなのか、特に気にした風も無く先程よりも笑みを強めて大きく頷いて見せた。
「はい。何でもダカレス王子がユリアーナ王女とセクト王子を排除しようと動いたそうでして、結果、王女は死亡し、ダカレス王子はセクト王子に返り討ちにされたと」
「何だそりゃ?! ダカレスの阿呆は何でそんな一か八かみたい計画実行しやがった! こっちは何の相談も受けてねぇぞ!」
皇帝であるドミティアヌスは盛大に顔を顰めさせると、すでにこの世に居ないダカレス王子に吐き捨てるように恨み節を言った。
「なんでも少し前にディエント候が暗殺されたそうでして。派閥の屋台骨が揺らぎ、立て直しに焦ったのですかね?」
ヴェルモアス大法官はそう言いながら、さも可笑しそうに腹を揺すった。
「エルフの供給元か……。それより次期王位がセクトになった事で、西の奴らと結び付きが強くなっては南にますます手が出せなくなるな……」
ドミティアヌスは目の前の地図を睨みながら腕を組むと、一人唸り始めた。
「配備が整いつつある魔獣部隊、実地運用の試験を兼ねて北部のウェトリアスに進軍させてみますか?」
「……そうだな。魔獣の被害がウェトリアスに出れば、南に貼り付いている軍も北部に割かざるを得ないだろう。魔獣だけを動かして此方の動きを悟らせるなよ」
同じように地図を覗き込んだヴェルモアス大法官がちらりと西のレブラン大帝国北部、ウェトリアス城塞を示して言うと、ドミティアヌスも肯定しつつ今後の方策を練る為に思考を加速させる。
「ウェトリアスをある程度突いた後は”豊穣の魔結石”での撒き餌も試しておくか……」
「……承知致しました。魔法院には私から申し伝えておきます」
大法官がその大きな腹を曲げて慇懃に答えると、ドミティアヌス皇帝は不意に何かに気付いたように顔を上げ、目の前の胡散臭い顔の男に尋ねた。
「そう言えばフンバの奴はどうした?」
「かの御仁なら今は火龍山付近の領地に行っております。あの辺りは特に強力な魔獣が出没しますからな」
「そうか、今回の魔獣部隊の働き如何では、奴にはますます働いて貰う事になるな。魔法院にも”使役の鉄輪”を増産させねばな……」
そう言ってドミティアヌス皇帝は盛大に口元を釣り上げ笑った。
第二部、此れにて終了です。
ここまでお付き合い下さり、誠にありがとうございます。
一先ずまた休憩期間に入ります。
※2015.2.1追記:番外編『骸骨騎士様、うっかり書籍へお出掛け』を活動報告にてアップ致しました。
誤字・脱字・評価・感想などありましたら、宜しくお願い致します。




