エツアト商会襲撃1
ローデン王国第三街区に居を構えるエツアト商会。
王都にある奴隷商の中でも一番大きなこの商会は、富裕層の暮らす第二街区近くの街壁傍に建てられ、多くの客が訪れるらしい。
取り扱われる奴隷は人族の場合は犯罪者や身売りした者、借金の形に引き取られた者に戦争捕虜など、その来歴は様々だ。
一方人族から獣人と呼ばれている者達は、傭兵団などが集落を襲い捕縛した者達がその戦果として売却され、それを奴隷商が販売する形になっているそうだ。
自らを山野の民と呼ぶ彼らは、その外見に獣の耳や尻尾を持つのが特徴で、人族に比べて身体能力が総じて高いが為にそれが畏怖となり、忌避や排斥に繋がっている節もある。
ただその山野の民の高い身体能力は、厳しい鉱山労働や使い勝手のいい賦役として取引されているらしく、需要の高い奴隷商品として扱われると言う話だった。
ローデン王国中央部で捕縛された彼らの多くはここ王都の奴隷商に集められ、貴族や富豪などが肉体労働力として買っていく為、この王都には多くの奴隷商が店を構えている。
このエツアト商会はその中でも最大で、建物もかなりの大きさを誇る。
建物全体を高い塀が取り囲み、正面の門は大きく鉄鋲などで補強されその辺りの商店のような門構えはしていない。
しかしそんな頑丈な門も今は見る影も無く中程から砕かれ、その残骸が瓦礫の山と化して門前に打ち捨てられている。
さすがに頑丈な門とは言っても、攻城兵器のいる城門のような大きさや厚さではない為、この余りある身体能力での体当たりで呆気なく破壊できた。
ホーバンの城内門の方がまだ幾分頑丈だったのではないだろうか。
門を破壊した際、同行していたチヨメには仲間にいる六忍の一人、ゴエモンのようだと甚く驚かれてしまったが、寧ろ自分と同じような事が出来ると話すゴエモンというチヨメの仲間の方にこそ驚愕ものだ。
今はその破壊した門を入ってすぐの建物内を探索中だ。
日が落ちた夜半過ぎ、建物内は所々設置されたランプ型魔道具の灯りのみで随分と薄暗く、あまり見通しが良くない。
建物は敷地内の真ん中にある中庭をぐるりと取り囲むようにして建てられており、階数は四階までありかなりの高さだ。
手前側の建物内にある鉄格子の中は人族の奴隷ばかりで、目的の山野の民は見当たらなかった。
ただ陽動や時間稼ぎになると言うので人族の奴隷の解放も手伝っている。
今もまさにその最中で、向かい側から気勢を上げて走り込んでくる見張りの男を殴り倒して、腰に提げていた鍵の束を引き千切る。
それを無造作に檻の中にいる奴隷達の足元に投げ入れ、鉄格子を人一人分通れる位に捻じ曲げる。それを見ていた檻の中の奴隷たちは一様に恐怖で後退りするが、それらを放置して檻から離れると皆先を争って鍵束に飛びつき、足枷を解いて檻から這い出てくる。
這い出てきた奴隷達と目が合うと、彼らは皆短い悲鳴を上げると脱兎の如くこの建物から走り去っていく。
しかしそれも無理からぬ事だと納得してしまう。
目の前にいるのはいつもの灰色の外套を纏い、深くフードを被った人物。勿論ダークエルフ族のアリアンだが、その顔にあたる部分には丸い仮面を被っている。
隈取のような紋様が刻み込まれた鳥の顔らしきものが彫刻された仮面、それはこの薄暗い建物内で揺れるランプの灯火によってさらに不気味さを増し、傍から見れば災いを齎す呪術師にしか見えない。
しかしそれは自分も同じで、頭からすっぽりと被った黒の外套に、顔には四角い鬼のような顔の彫刻が施され、頭には鳥の飾り羽で装飾された仮面を被っている。
この襲撃計画実行の前の準備の際、露天商で見つけた民族工芸品のような仮面を購入してそれを今身に着けているのだ。
これならば万が一にでも正体がバレる事はないだろうとの配慮だ。
ただこんな怪しさ極まりない恰好の者が、鉄格子の柵を腕力のみで捻じ曲げて見せるのだから恐怖しない者などいないだろう。
唯一、黒ずくめの忍者の恰好をして薄暗い建物の闇に溶け込みがちなチヨメは、その姿を視認しづらくあまり恐怖の対象にはなっていなかった。
視界の隅に若干の灯りがあると逆にそれ以外の場所の闇が深くなり、黒い忍者装束のチヨメはまるで影のようにそれらに潜みながら奴隷商の人間を斬り伏せていく。
チヨメ自身は猫人だと言うだけあって、ダークエルフのアリアンと同じく夜目が利き、その素早い身のこなしもあって人族の目ではそうそう捉えきれるものではないだろう。
その事に感心しているとチヨメも満更ではないのか、少し得意気な表情をしていた。
「初代ハンゾウ様も山野の民こそ選ばれた民であり、その中でも猫人族は至高の存在だと語っていたそうです」
チヨメが語った初代ハンゾウが伝えたとされるその言葉は、自分の脳内で『獣耳最高! 猫耳最強!』という別の翻訳がされて幻聴として聞こえてくる。
その幻聴を耳から追いやり、ふと気になった事を尋ねる。
「その初代半蔵殿も猫人族だったのか?」
「いえ、初代様は人族でした。初代様は当時のレブラン帝国で密偵を生業とされておりましたが、帝国内で不遇な環境にあった猫人族を保護し御自分の部下とされたのです。それが今の刃心一族の礎となっています」
「ほぉ、今は帝国に所属しているわけではないのか?」
「ええ。当初は初代様率いるボク達はかなり優秀な密偵集団でしたが、その功績が大きくなるにつれ初代様の御力を恐れるようになったとか。幾度も暗殺の対象になり、それを悉く躱された初代様はますます畏怖の存在になったと聞いています」
チヨメは話をしながら少し眉尻を下げた。
一人で大きすぎる力を持つと畏怖の対象になるのは必然だ。しかもその周囲を固めているのは人族ではなく、猫人族ではさらに疑惑と排斥の対象になったのだろう。
「その後、帝国皇帝の権威が一時期失墜し次期皇帝争いが始まると、初代様は互いの派閥が争いあうように暗躍なさったそうです。そして大規模な内乱が起こると、その混乱に紛れて我々一族を率いて帝国を離れたと聞いています」
たしかレブラン帝国はローデン王国の北部にあるかなり大きい国だと聞いた。現在は東西に分裂している今の現状はその初代半蔵が一部起因となっているという事か……。
そんな話をしていると、先を歩いていたアリアンから声が掛かった。
「チヨメちゃん、ここの辺りの檻は皆山野の民よ」
彼女の言葉通り、通路に沿って置かれた長い檻の中には様々な姿の者達がいた。
チヨメと同じような猫の獣人から、狼っぽい耳と尻尾の者、エルフとは違い別の意味で長い耳をもつ兎っぽい者達もいた。
彼ら山野の民はエルフ族と違って魔法的素養が低いので、喰魔の首輪のような魔力抑制魔道具のような物は付けていない。
ただし身体能力の高い彼らの動きを制限する為か、両手足をそれぞれ鎖で繋いだ鉄製の手枷と足枷が嵌められていた。
そしてざっと見回すと檻の中にはかなり人数がおり、これらを解放して回らなければならないのかと心中で溜息を零す。
しかし肝心の助ける相手が、檻の中からあからさまに警戒するような表情になり、皆檻の奥へと後退っていく。
灰色と黒色の全身外套姿に怪しい仮面を付けた二人組が檻前にいるのだ、警戒するなと言う方が無理からぬ事だろう。
檻の中にはまだ年端もいかない少年少女も含まれており、彼らは此方の恰好を見て既に涙目になって怯えている。そんな彼らを庇うように、数人の若い男達が彼らを背中側へと隠し、此方を睨み付けるようにしている。
何時の間にか完全に悪役ポジションになってしまったらしい。
そんな時、奥からここの奴隷商の用心棒らしき集団が走って来るのが見えた。
「ボクは刃心一族のチヨメ、あなた方を助けに来ました! 彼らの指示に従って下さい! アーク殿、後はお願い致します!」
檻の中の彼らに向ってそう告げると、チヨメは直刃の短剣を構えて奥へと駆けていく。
チヨメの声に檻の中にいた山野の民達が俄かにざわめき出す。
「おい、ジンシンの一族って今言ったぞ?!」
「本当かっ!? こっちの怪しい二人もか?!」
警戒していた瞳が希望へと変わっていくのが解る、どうやら刃心一族という名は彼らの中ではかなり知られた名のようだ。
チヨメが足止めしている間にさっさと取り掛からなければ、今度は奴隷商の人間だけでなく衛兵まで駆けつけて来る事になる。
そうなる前にまずは檻の破壊を試みる。
鉄柵の檻を腕力で捻じ曲げ通り道を作る作業に入った。鉄棒を両手に持ち左右に開くように捻じ曲げていき、それが変形し軋む音が建物内に響きやがて自分が通れるほどの大きさに穴が拡大する。
その光景を見ていた彼らは、驚愕と感嘆が混じるような声が漏れて檻の中を満たす。
あとは手枷や足枷の鎖だが、人族の檻前にいた見張りなどがここにはおらず、それらを外す鍵が周辺には見当たらない。
仕方がないので外套の下から聖雷の剣を引き抜き、それで鎖を断ち切る事を試みようとするが、剣を構えると皆自然と後ろへと下がって行く。
「鎖を断ち切る、まずは力のある者からだ」
仮面の下からくぐもった声を出すが、彼らには少し迷いの表情が見える。
「きゅん!」
すると首元の外套が揺れて正面の合わせ目からポンタが顔を出した。
さすがに襲撃の際にいつものようにポンタを頭の上に貼り付けていると、仮面の相乗効果もあってだいぶ目立つと判断し、今回は外套の下で襟巻のように巻き付けていた。
だが、さすがにそろそろ息苦しくなったのか、顔だけを覗かせたようだ。
今傍から見た姿はかなり名状しがたいモノになっているだろう、何せ怪しい仮面の下から首だけ綿毛狐が顔を出しているのだ。
それを物語るように、檻内にいた人々の表情は何とも言えない顔つきになり静まり返ってしまっている。
奥ではチヨメが駆けつけた用心棒を蹴散らしているのか激しい剣戟の音が響いている。
「早くしないとすぐに増援が来るわよ!」
その一部始終を見ていたアリアンからの声を受け、一人の男が進み出てくる。
男はチヨメと同じく猫のような耳が頭に生えているが、彼女と違ってかなり大柄な為、猫と言うよりは虎や豹のように見える。
その男はその大柄の体格に似合わずおずおずと手枷を前に差し出すようにする。
その差し出された手枷の鎖を剣で上から突き込むように刺すと、鉄の鎖は抵抗なく断ち切られ男の腕が自由に動かせるようになった。
「すまねぇ。助かったよ」
「うむ」
豹男は少し目を丸くしながらも礼の言葉を述べ、それに相槌を打ちながら足枷の鎖も剣で断ち切っていく。
「これを使って他の方の鎖を切って下さい!」
豹男が手足の自由を取り戻したところに、チヨメが一振りの大きな斧を持ってその男に手渡しに来ていた。
斧の柄には若干血が付いているところを見ると、先程奥で蹴散らされた用心棒の武器なのだろう。渡された斧を受け取ると、男は近くの同胞の手枷の鎖を切り付け始めた。
しかし、ただの鉄斧ではなかなか鎖を断ち切れないのか悪戦苦闘している。
その作業を脇に見ながら、此方は神話級武器のデタラメな斬れ味に物を言わせて、次々と檻の中の人達の手足の枷の鎖を断っていく。
そこへ揃いの鎧を身に着けた衛兵の集団が後方から駆け付けて来た。
「賊と奴隷共を逃がすな! 捕縛が無理なら殺せ!」
衛兵集団の隊長らしき男が部下に命令すると、全員が腰の剣を抜き放った。そこへ一つの影が目にも留まらぬ速さでその集団に向って行く。
『水遁、水狼牙!!』
衛兵集団に向っていたチヨメが忍者漫画のように印を結び術を発動させると、そこにはいつの間にか水で形作られた一メートル弱程の狼が三匹、チヨメの周囲に現れ、彼女の指示が下されると意思を持つかのように衛兵集団に襲い掛かった。
誤字・脱字などありましたら、ご連絡宜しくお願い致します。




