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『地図2845』

作者: 葛餅もち乃

 西暦二八四五年。世界人口は凋落の一途をたどり、例にもれなく日本もそうである。

 AIロボットに支えられた世界は、案外問題なく回っていた。



 光沢のある白い生地に、青々しいライン模様の入ったジャージ。ダサいけれど農作業をするには割といい。しかもそのほとんどは農業用ロボットがしてくれるので、私の主な仕事はロボットたちが正常に動いているかどうかのチェック。軍手をはめた手でキュウリや大葉、トマトなどの葉や実を検分する。順調に育っているし、数十メートル先ではまるで人間のように滑らかに動いているロボットがスナップエンドウを収穫している。大丈夫。

 ここ一帯もかつては住宅街だったらしいが今や見る影もない。ポツポツと倉庫やロボットの格納庫があるくらいで、農地の地平線がずっと続いた先に山が見え、空は青空が広がっている。

 ビュウ、と帽子を揺らす突風が吹き、束の間ぼうっとしていたら耳にキンキン響くような声に邪魔された。仕事の相方である永羽(とわ)だ。私と同じジャージを着て、左胸に『伊吹』と名字が刺繍されている。もちろん、私のほうにも『安達』と刺繍がある。

「ちょっと麦子! サボってんの?」

 高校のときは皆と同じように『あだっちゃん』と呼んでいたのに、同僚になってからは名前で呼んでくるようになった。クラスでは大人しくて、華奢で西洋人形みたいに可愛い感じだったのに、卒業してから体感三ヶ月でガラリと変わった。ここには二人しかいないからだろうか。まさか彼女と二人で仕事することになろうとは思ってもいなかったが。

「サボってないよ。永羽ちゃんのほうは終わったの?」

 同じように言い返しても不毛なので、特に何も考えず穏やかに返す。

 そうすると、永羽はばつの悪そうな顔をして目線を斜め下にやった。

「あ――……ええと、こっちのロボットの一体にエラー信号が出てて。一緒に見てほしいのよ」

「あぁ。わかった」

 永羽はロボット工学が苦手で、それについては劣等感があるようなのだ。私も得意というわけではないが、小学校のときから成績は良かった。今も勉強中である。


       ○


 エラーは深刻なものではなく、マニュアル書片手に十分対応できるものだった。けれども一応修復保全ロボットに診てもらうことにし、農業ロボットN-53Aには軽トラの荷台に載ってもらう。人間と変わりない見た目のロボットたちの瞳は無機質なガラス玉で、薄青い瞳が私を見つめて小さく頷いた。

 軽トラは整備されて真っ平らな土道を行く。運転席には永羽が座り、オートではなく彼女がハンドルを操作している。永羽は運転が上手いのだ。この太陽光式軽自動車だけでなく、大型車や普通トレーラーを牽引することもできる。なかなか格好いい。

「B区の水田は明日にする?」

「明日にしましょ。格納庫に行ったらそのままマップチェックに行くのよ」

「あぁ…….。ねぇこれどこまで地図作る? 拠点からあんまり離れるんだったら、準備もちゃんとしようよ」

 私がそう言うと、永羽は沈黙した。彼女なりに考えているのだろう。

 車は緩やかに進む。開けた窓から見える遙かな空には、黒っぽい大きな鳥が隊列を組んで飛んでいた。


 修復保全基地まで二キロほど走ってN-53Aを預け、再度軽トラに乗り込むと永羽が言った。

「……まさか麦子と二人きりで仕事するなんて思ってなかったわ」

 ため息交じりの声に、どういう意味合いで言ったのだろうと勘ぐってしまう。

「なぁにぃ? 例えば阿野君と一緒が良かった? アダムとイヴみたいに?」

 あ、ちょっと感じ悪かったかな。

 阿野君というのは高校で一番人気のあった、文武両道の王子様みたいな男子だ。高卒で働くのが主流となった昨今、ごくわずかの優秀な生徒だけが専門分野の大学に行く。彼もその予定だったはず。

きっと私より頼りになる。

 そんなやっかみというか、劣等感からくる言葉だったけれど、口から出た後に後悔しても遅い。

 永羽は嫌そうに顔をしかめ、私を横目に睨み付けた。

「そういうこと言わないで」

「……ごめん」

 お互いのためにも、言うべき言葉じゃなかった。後悔が渦をまく。

 車内は嫌な空気が流れるがどうしようもない。

 小さく嘆息して、窓の外を眺める。

 空は青い。どこまでも青い。この先、ずっと向こうはどうなっているのだろう――そんなことを毎日思う。


 今はもう使われていない放置地区まで来て、およそ二百年前の地図と見比べる。このあたりは交通網が発達していた土地だったようだ。コンクリートで固められていたであろう地面は、割れずに残っている部分もあれば、無数に入ったひび割れから雑草が生えていたり、草木に覆われている一帯すらある。

「いち、に、さん、し……」

 倒壊して横倒しになっているビルの階数を数える。十三階建ての、おそらく住居用マンションだ。かつては人口が非常に多く、土地が足りないので人々はこのようなマンションに住んでいた、と教科書に書いてあった。こういった住居が建ち並んでいたのだ。

 息苦しそう。

「探索用ロボット、何台放出するの?」

「とりあえず四つ」

 現存する建物も、いつ倒壊するかわからない。苔や蔦植物に侵食されていたり、大きく成長した木々にのまれているものもある。日本全国に無数とある廃墟の光景だが、鳥の声は聞こえるし、植物の生態系ができあがっていて、新しい世界を形作ろうとする悲壮感がある。

 タブレットパソコンに工程を書き込んで、ウサギや蜘蛛の形を模した探索用ロボットを起動させる。

 三日後にはこの周辺について詳細なレポートがあがってくるだろう。

 これで今日の仕事は終わり。

「……麦子がロボ工できる人で良かった」

 私のタブレットを覗き込んでいた永羽がぼそりと言う。

「永羽ちゃんこそ。運転上手で、重機まで動かせるのすごいよ。お料理も上手だし」

 とってつけた感じにならないよう、意識して喋る。これは本音だ。永羽の存在には感謝している。

 そっと永羽と目を合わす。ほんの二秒見つめ合い、にへら、とお互い笑った。

 これで仲直り、だ。


 来たときとは打って変わって、車内の空気は軽い。カーオーディオにパソコンを接続し、二百年前に流行ったポップミュージックをかけてみた。

「うわ、懐かしいわね」

「でしょお。もっと昔のデータ掘り起こせないか挑戦してんの」

「それは期待してる」

 どこかで一度トラブルがあったのか、整理されているはずの膨大な文化的データはしっちゃかめっちゃかな状態にある。暇な時間に、ちまちまと整理するのが最近の趣味だ。

 西の空が夕焼け色に変わるころ、軽トラは数十分かけて拠点に戻った。大型ガレージの充電ポートに駐車すると自動的に充電が始まる。いつもどおり、緑色のランプが光るのを確認したとき、地下基地入り口の方から異音がした。地下基地は、私たちが拠点と呼んでいる建物の下にあるのだが、最近は滅多に入らない。

「……ねぇ、今」

「やっぱ永羽ちゃんも聞こえた?」

 こくり、と永羽は緊張気味に頷く。二人して、二十メートルほど先にある地下への入り口を凝視した。

『ドドド……ドシュッ……パキ……パキ……』

 堆積した空気が漏れ出すような音が響いてくる。

 私の心臓はドクドクと音を鳴らし、手に汗が滲む。おそらく永羽も同じだろう。

「麦子、行く?」

「確認したほうが、いいよ、ね」

 一旦、拠点の中に戻り、荷物を置いた私たちは念のため武器になるものを探した。私は柄の長いバールのようなものを、永羽は薙刀を持ってきた。

「どこにあったのそんなの」

 薙刀を構えて得意げな顔をする永羽に思わず言う。

「こういうときのために、予め入り口付近の物置に置いていたのよ」

「まじ?」

 二人で地下基地へのエレベーターに乗り、行き先は一つしか無いボタンを押した。フォン……と微妙な浮遊感のあと、勢いよく下へと潜る。ガラス窓から見える景色は無骨なコンクリートの壁が続いている。

「ねぇ麦子、大丈夫かな」

「……どうだろう。やばかったら、すぐ地上に戻ろ」

「うん」

 得物をぐぐっと握り込み、目を合わせて頷き合った。

 リィン、と鈴のような電子音がしてエレベーターが止まる。すぅっと開く扉の向こうに見えるのは、楕円形の虫の卵のような形をしたカプセル――それがずらりと並ぶ。全長は二百五十センチほど、色は発光しているような空色で、超強化アクリルガラスの表面は凍てついた霜で覆われている。

 床はくすんだ藍色の弾性コンクリートでできており、柔らかくも硬い不思議な感触である。

「見たところ変わりないね」

 幾分ほっとしてそう言った途端、遠くの方からまた『パキパキパキ……』と凍てついたものが割れるような音が響いた。私も永羽もびくりと肩を跳ね上げ、目を合わせた。

 この地下基地の道幅は三メートルほどで、左右にカプセルが隙間無く並び、それが碁盤目状に広がっている。

 どうする、と永羽が視線で問うてきた。私は前に進むことを選び、永羽も何も言わず後ろをついてくる。

 パキパキ……という音は絶え間なく響いてきた。左右に並ぶカプセルは、ところどころ光が消失している。以前来たときよりもそれが増えている気がした。

 おそらくここの角を曲がったところだ、という地点まで来た。そっ……と顔だけ覗き込んで確認する。カプセルの一つが白い光を発して点滅しており、超強化アクリルガラスが開かれようとしている。

「と、永羽ちゃん」

「ここで見ていましょう」

 それから数分かけて、超強化アクリルガラスの蓋が開いた。バカッ! とコンパクトケースのように開くと、中から人型のものがゆらりと傾ぐように出てきて――

『グシャァッ……』と、一瞬で塵となって崩れた。

 私たちは、あれが氷の塵なのだと知っている。

 三ヶ月前に嫌というほど見てきた。

「…………」

「…………」

「ここの清掃ロボット、起動しとこうか」

「あとでいつもの場所に埋めに行きましょう」

「うん……」

 あれは氷の塵で、

 元は人間だった。



『人類のみなさま、おはようございます』

 そんなアナウンスを聞いた人類は、私と永羽だけだった。とりあえずこの西南方舟地区ではそう。

 西暦二六四五年、人類は皆眠りについた。小惑星が地球に衝突するだとか、問題はその小惑星が生態系に甚大な悪影響を及ぼすガスを持っているだとか、わかりやすく言うと人類は滅亡の危機に瀕した。

 そこで、二百年のコールドスリープが世界閣議で決定した。その間もロボットたちは変わりなく働き続け、目覚めた人類も昨日と――二百年前と――変わりない一日をリスタートさせる。

 そのはずだったし、問題なかったはずだった。

 目覚めたのは私と永羽だけ。

 ただのエラーである。

 私たちのスリープカプセルは隣り合っていた。この二つのカプセルだけ、偶然、木の根が侵食していたのである。それが丁度良かったのか、二百年の時を経て、ぱかりと開いたカプセルから私たちは出た。「おはよう」なんて言いながら、ほかのカプセルが開くのを待った。

 しかし、周りのカプセルは開かない。

 ヴヴヴ……と異音がしてカプセル内の光が消えたり、バン! と蓋が開いたと思えば『グシャッ……』と崩れた音が響く。それは雪崩のように始まった。

 私と永羽は、最初は悲鳴を上げることすらできなかった。理解したくなかったのだ。

 地下基地には阿鼻叫喚の音が常に鳴り響き、私たちは泣きながら地上を目指した。

 地上に出て、そう、地上に出ると何も変わらない綺麗な青空が見えて――嘔吐したのだ。

 それが三ヶ月前。

 ただ生きることを考えて生活拠点を作り上げ――地下基地近くの市役所を拠点とした――最初の仕事は墓地を決めることだった。



 私たちが寝床にしているのは市役所の最上階。元は高級ラウンジのその場所で、備蓄用のマットレスや寝具、パーティションを引っ張り出し、一部サンルームのようになっている天窓から満点の星空を見ながら眠る。

 嘘みたいな日常で、嘘みたいに綺麗な星空。

「ねぇ、いると思う? あたしたち以外に」

「ネットは沈黙してるからなぁ。……私たちも生存報告してないけど」

「そりゃ、だって怖いじゃない。もし男の集団がやって来たら計画通り逃走するのよ」

「うん」

 逃走用トラックの用意は完璧である。 

「だから私たちと同じような状況の人も、いるかもしれない」

「ロボットたちがいれば生活できちゃうものね。本当、過去の偉大なる発明様々だわ」

 人口が加速的に減少していった人類は、自分たちの生存のために、AIロボット開発成功までなんとかこぎ着けた。半永久的にロボットたちが動き、修理および生産される仕組みまで作り上げた。

 私たちはそのおかげで、こんな状況でものんびりと生きていられている。

「……ねぇ麦子。あたし、麦子で良かったと思ってる。一緒に目覚めたの」

「なぁに急に」

「本当よ。だってねぇ、仲良い子相手だったら喧嘩したら最悪だけど、麦子なら最初から仲良くないからまぁまぁ平気だもの」

 隣のマットレスで寝そべる永羽はニヤッと笑っている。

「それなら私だってそうだもんね。永羽ちゃん相手なら、ムカつくこと言われてもスルーできる」

 ふふん、と鼻高々に言ってみると、永羽が声をあげて笑った。

 こちらを向いた永羽と目が合い、お互い黙った。真上に広がる星空を見つめながら、左手を伸ばす。永羽の右手に触れ、握手するようにぎゅっと握った。

 そして私はいつも通り、口を開く。

「今日もお疲れ様」

 そうすると永羽もいつもと同じ言葉を返してくる。

「うん。そろそろ眠りましょう」

 もう一度、お互いぎゅっと手を握って、そっと離す。

「おやすみ人類」

「おやすみなさい」

 星に見守られ、一人ぼっちの私たちは夜のしじまの底に眠る。

 きっと明日も目覚めるはずだから。


(終)


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