02
「それで、君たちがあの忌々しい幽霊を退治してくれるという冒険者かね」
向かいに座っている男の口から言葉と共に葉巻の煙がこぼれおちる。依頼しているのはどちらだ、と尋ねたくなるような横柄な物言いに、ラウラはそっと眉を寄せる。
「そうですが」
「ならば、さっさと片づけてくれ」
話しは以上だ。そう言いむっつりと口を閉ざした男こそ、今回の依頼人であるシーレンベック伯爵だ。
さかのぼれば王族につながるという、国でも屈指の名家だ。
エンジュが調べたところによると、現国王の曽祖母は伯爵家の出身だそうだ。そんな名家ともあろう者が冒険者などという下賤な者にかかわるなど。屈辱以外何でもないという態度をまるで隠そうともしない様子に、ラウラは眉間に刻んだ皺をさらに深くする。
そもそも依頼しているのはそっちで、困っているのもそっちじゃないか。
こっちとしては何ひとつ困っていることなどない。……今月の家賃以外は。
思わずそう言いかけたラウラを、エンジュが素早く制する。
「しかし、詳しい事がわからねばどうすることもできません」
「それを調べるのがお前たちの仕事だろう」
そっけない態度。だが、エンジュは根気強く質問を重ねる。
「いつから出ているのですか。その幽霊というのは」
「……三月ほど前だ」
三月前というと、まだこちらは雪が深い頃だ。このあたりは避暑地だ。別荘を持つ貴族のたいはんは王都の暑さをしのぐためにやってくるのだ。それ以外は召使いを除けば無人の家が多いはず。それをどうして。
「何か用でもあったんですか?」
「何?」
思わず口にしたラウラを、伯爵はぎろりと睨む。
「だって、このあたりって夏ぐらしか来ないですよね? 何か用事でもあったんですか?」
「そんなこと、お前たちの知ったことではない」
吐き捨てるように言い放つ伯爵に、エンジュは再び尋ねる。
「では幽霊を最初に見たのはどなたですか?」
「何?」
仏頂面をしていた伯爵の顔がさっとこわばる。
「それを知ってどうする」
「先ほども申し上げた通り、知らなければ何もできません」
そっけないまでのエンジュの物言いに、男は憤怒の表情をうかべ葉巻をぎりと噛む。だが、エンジュはそれにひるむ様子はない。榛色の眼をまっすぐに男にむけたまま。
それがどのぐらいの間つづいたことだろう。最初に視線をそらしたのは伯爵の方だった。
「……息子だ」
「御子息、ですか」
そこには先ほどまでの怒りはない。まるで疲れはてたように男は小さくうなずいた。
「息子が見たのが最初だ。それから毎晩だ」
「何故、王都にお戻りにならないのですか?」
「戻ろうとした!」
伯爵が叫んだ。しかし、あきらかに先ほどとは態度が違う。肘掛にそえた手はがちがちと震え、眼は大きく見開いたままきょときょととせわしなく動く。
「何度も戻ろうとした。だが、帰れないのだ。どの道を通ってもこの湖から離れることができないのだ!」
「帰れない?」
エンジュがはじめて驚いたようすをみせた。
「それはどういうことで」
「どうもこうもあるか! とにかく! 急いで退治してくれ! そのために冒険者にたのんだんだ!」
エンジュの声をさえぎるように男が叫ぶ。語尾は震えて悲鳴のようだ。一体何をそんなに怯えているのか。わけがわかないといった様子で立ちつくすラウラの手を、エンジュはむんずとつかむ。そして
「わかりました。では失礼します」
軽く頭をさげると、きょとんとするラウラを引きずるように部屋を後にした。
別荘とはいうものの、やはり伯爵の屋敷ともあて内装は豪奢だった。いたるところに細かな装飾が施されている。だが、いくら豪奢な飾りがあったとしても屋敷の中の鬱蒼とした雰囲気は消えるものではない。
さらにこの天候だ。外からの光すら望めぬ屋敷は、まるで闇の中にいるようだ。
そんな薄暗い廊下をずんずん進むエンジュに、ラウラはちょっとと声をかけた。
「なんだ」
「ねえ、何が何だかさっぱりなんだけど」
ラウラの言葉に、エンジュはやたらと大きなため息を落とした。
「さっきの話し聞いてなかったのか?」
「聞いてたよ! 聞いてたけど、あれで何がわかったのさ」
依頼主は怯えて話しにならない。わかったのは幽霊を最初に見たのは息子の方で、彼らがどうやらこの地を離れられないということだけだ。
あれだけの怯えよう。ただ毎ではないことはわかるが、本当に幽霊をみたかどうかまではわからない。あんなにびくびくしていては、木の葉がとんできても幽霊だと騒ぎそうではないか。
そう言うラウラに、エンジュは振り返ったまま冷たく見据える。
「あいかわらず頭が足りないな」
「何をっ」
腰にさげた剣に手をやり気色ばむラウラを、エンジュは片手をあげて制する。
「本当のことを言われて怒るなら、もっとましな事を言うんだな」
「だって!」
ラウラは頬を膨らませる。年はエンジュと同じだが、感情をむき出しにする様子などは五つ下といわれても不思議ではない。
エンジュは片手をあげたまま、伯爵がいた部屋の扉を見る。
シーレンベック家の紋章なのか。扉には獅子の飾りがついている。その豪奢な扉は、伯爵の怯えをそのまま写し取ったように固く閉ざされたまま、動く気配はない。
「伯爵の言うとおり、幽霊が本当にいるかどうかはともかくとして、何かあることだけは確かだ」
「本当に? たんにビビってるだけじゃないの?」
疑わしそう見つめるラウラに、エンジュは頭を振る。
「そもそもこの時期に伯爵がここにいることがおかしいんだ」
「どうしてよ」
たしかに時期外れではあるが、自分の別荘にいることの何がおかしいのだろう。首をかしげるラウラに、エンジュはこれまたわざとらしいまでに大きなため息をついて頭をふった。
「だからお前はバカだと言うんだ」
「なっ!」
「この時期は官吏の移動がある。伯爵ともなればそれ相当の職についていると考えるのが普通だろう」
「だから? 偉い人なんでしょ? だったらいなくたって平気でしょ」
「いいわけないだろ。大体、伯爵だろうと、王以外は全員まとめて官吏だ」
そっけない物言いに、ラウラはむっとしたように口をとがらせる。
「だったら休暇とかじゃない?」
「三月もか?」
エンジュは頭を振った。
「ありえない。俺が奴なら三月も王都を留守にするような馬鹿はしない。どんなことをしても王都に戻るな」
「そういうもの、なの?」
冒険者ともなると仕事はまちまちだ。
仕事はしたいときにするもので、毎日決まった時間にどうこうするような仕事ではない。とはいえ、絶対的に依頼量が少ないので、仕事を選べる冒険者など小指の先ほどぐらいしかいない。ましてや三月も仕事をしないでいいぐらいの報酬がある依頼など、奇跡にも近い。
だが、貴族は別だろう。彼らは特権階級の人間であり、国でも僅か一握りの富める者たちだ。この別荘を見てもそうだ。自分たちからしたら仰天するような豪華さだ。こんな屋敷を別宅に持てるほどの人間が、今更がつがつ仕事をしなくてもなんとかなりそうな気がするが。
そう答えるラウラに、エンジュは再び頭をふった。
「人の心は移ろいやすい。只人ですらそうなのだから、国王ならなおさらだ。誰もかれもが様々な手段を講じて王の心に近づこうとするものだ。王の心に近いものが権力に近づけるからな。伯爵とてそのことをわからないような人間ではないだろう。だからこそ王から三月も離れるはずがない。……特にあのような臆病者ならば尚のこと」
エンジュは小さく笑う。それはひどく嫌な笑い方だった。
「何かあるのはわかったけど……、どうするつもりよ。まさか湖に幽霊が出るのを見張っているの?」
「ラウラがしたいなら止めないけど」
「なんであたしが!」
このあたりは王都よりも北側に位置する。この時期、雪こそ無いものの、夜ともなれば寒さは昼間の比ではない。ましてやここは湖畔だ。山から吹く風が湖でさらに冷やされ、こちらにたどりつく頃には凍えるような寒さになることだろう。
なのに一晩中外で見張れとでも言うつもりか。がなるラウラに、エンジュはそっけなく言う。
「見張るといったのはラウラのほうだが」
「それは物のたとえでしょ!」
「まあ、ラウラの好きすればいいけど、その前に先にすることがある」
「すること?」
エンジュはうなずき、廊下の先に見える階段を見つめる。扉と同じように豪奢な階段。手すりは金細工が施され、螺旋を描き上に続いている。
「俺は最初の目撃者である奴の話しがききたい。すべてはそれからだ」




