静かな朝
カーテンの隙間から、白い朝の光が差し込んでいた。
理沙はゆっくりと目を開ける。
昨夜のことが、まるで夢の続きのように胸の奥で揺れていた。
枕元の時計は、もう九時を過ぎている。
真帆は早起きだった。もしかすると、もうチェックアウトしてしまったかもしれない。
理沙はベッドの上に体を起こしながら、昨夜の会話を思い返した。
あの静かな告白。
罪と赦しのあいだに漂うような時間。
──黙っていることも、罪なのかもしれない。
そう思った自分の声が、まだ耳の奥に残っていた。
それでも、奇妙なほど心は軽かった。
罪の重さを共有したというより、ようやく誰かと同じ場所に立てた気がしたのだ。
理沙は支度を整え、荷物をまとめた。
カバンの中に手を入れると、ライブのチケットの半券が指先に触れる。
小さな紙片なのに、確かな重みがあった。
チェックアウトの時間が近い。
理沙は深呼吸をして、部屋のドアを開けた。
廊下にはコーヒーの香りと、清掃カートの音が漂っている。
現実の朝が戻ってきていた。
ロビーに降りると、その脇にあるラウンジに真帆の姿があった。すでにチェックアウトを終えたのか、荷物を横に置いている。
真帆は白いカップを両手で包み、ぼんやりと外を眺めていたが、理沙に気づくと柔らかく笑った。
「待ってた。ちゃんと、お別れ言いたくて」
理沙は一瞬、息を呑んだ。
——待っていてくれた。
その事実が胸の奥に静かに沁みていく。
近づきながら、理沙は真帆の表情をそっと観察した。
昨夜より少し穏やかで、どこか遠くへ行ってしまいそうな透明さを帯びている。
何かを乗り越えた人の顔だった。
「ありがとう。私も、言いたかった」
理沙の声は自然にこぼれた。
それは別れの言葉というより、確かに共有した夜への礼。
理沙は小さく頷き、ポケットから半券を取り出す。
指先に残る紙の感触が、夜の記憶を確かめるようだった。
「真帆、これ⋯⋯交換しよう。また一緒にライブに行こう。幾つになっても、おばあちゃんになっても」
真帆は少し驚いたように目を見開き、それからふっと目尻を下げた。
「うん」と答える声は、夜の終わりと新しい朝のあいだに溶けていった。
二人はそれ以上、言葉を交わさなかった。
ただ静かに見つめ合い、同じ時間を胸の奥にしまい込む。
ホテルを出ると、光が街を満たしていた。
人波が流れ、信号の音が現実のリズムを刻んでいる。
真帆は駅のほうへ歩き出し、理沙は反対側のバス停へ向かった。
もう振り返らない。
けれど、足元に落ちる影の中で、たしかに二人の歩幅は揃っていた。
十年ぶりの夜は終わった。
秘密は胸の奥に沈めたまま、それぞれの日常へ戻っていく。
風が吹き抜け、遠くで誰かが笑った。
理沙はそっとポケットに手を入れ、チケットの端を指で確かめた。
そこには、まだほんの少し温もりが残っていた。
二人だけの秘密。
そして、それを抱いたままでも生きていける。
言葉にしなくてもわかる絆がある。
理沙はそれを──友情と呼ぶことにした。




