含み
午前零時を少し過ぎたころだった。
理沙はベッドの上で、ぼんやりとスマホの画面を見ていた。
通知はもう来ない。
既読の文字も、真帆のスタンプも。
窓の外では、都会のネオンがかすかに瞬いている。
その光の粒を見ながら、理沙は小さく息を吐いた。
あのメッセージ──どうしても気になって眠れない。
「あの頃にはもう戻れない」それはただの酔いどれた言葉なのか、それとも。
彼女の文体はいつも軽やかだった。
語尾に絵文字をつけて、語るように笑う。
けれど、あの一文には笑いがなかった。
まるで、何かを言い残していったような。
理沙は、机の上に置いたライブチケットの半券を見つめた。
「SLEEP RAIN」と印字された文字が、なぜか滲んで見える。
──失わないと信じていた。失っていることから目を逸らし続けていた──
歌詞の一節が、ふと脳裏に蘇る。
真帆の横顔は確かに笑っていた。
けれど、その奥にあったものを、理沙は何一つ見抜けなかった。
何かを決めた人間の顔を。
翌朝、目を覚ますとスマホには未読のままのトーク画面が開かれていた。
朝のニュースでは交通事故がトップに流れていた。
理沙は何気なく聞き流していた──最初は。
「⋯⋯昨夜二十三時頃⋯⋯県⋯⋯市の交差点で乗用車が、ガードレールに衝突横転⋯⋯運転していた男性と同乗の女性が病院に搬送──」
その言葉に、理沙の指が止まる。ニュースが告げた県と市は真帆が住んでいる所だ。
「同乗の女性」に心臓の奥が、冷たく掴まれたように痛む。
まさか、と思う。
ニュース映像には黒い車体が映っていた。
車種もナンバーもはっきりとは見えない。
けれど、胸の奥で何かが警鐘を鳴らした。
戻れない──その言葉が理沙の頭に再び浮かぶ。
理沙は慌ててスマホを開く。真帆のトーク欄。メッセージをもう一度開く。
昨夜と変わらず、既読はついていない。
電話をかけるか迷って結局、指が動かなかった。
もしも、何かあったのだとしたら。
もしも、あのメッセージが最後だったとしたら。
そのとき、自分は──何を知ることになるのだろう。
それから数日後、ニュースは続報を流した。
事故はブレーキの不具合によるものと見られるという。
運転していた男性は足に重傷を負い、同乗していた女性は命こそ助かったものの、全身に麻痺が残るという。
理沙はテレビの音を消した。
唇の内側に血の味が広がる。
画面には、モザイクのかかった車体と、白い布がちらりと映った。
『あの人『家族を守るために働いてる』って言えば、なんでも許されると思ってるみたい』
記憶の底で、真帆の笑い声が遠のく。
誰も知らない夜のメッセージが、心のどこかで錆びついていく。
やがて、真帆のSNSは更新を止めた。
理沙のメッセージにも返事はない。
そして、さらに十年が経った。
理沙は時々思い出す。
あのライブの帰り際、真帆が言った「また、会いたいな」という言葉を。
確かな約束ではなかった。
でも、たしかに未来を指していた。
その声音には、願いのような、祈りのような響きがあった。
その言葉だけが、十年という時間の中で薄れずに残っていた。




