変わらない日々
朝、目覚ましの電子音が鳴る。
同じ音。昨日と同じ時刻。いつもの布団の匂い。
山崎理沙の一日は、いつもと同じ色で始まる。
冷蔵庫から紙パックの牛乳を取り出し、パンを焼く。
テレビのニュースキャスターが誰かの不正を読み上げる声を聞き流しながら、理沙はトーストにバターを塗る。その手つきにも、もう何の感情も宿っていなかった。
窓の外では通勤の車が流れていく。
平凡で、静かで、変化のない日々。
けれど、理沙は時々──ふとした瞬間に胸の奥を冷たい風が抜けていくのを感じていた。
置き去りにされたような感覚。
何かを忘れてしまったような、あるいは、思い出さないようにしているような。
会社では事務職として淡々と働いている。
電話を取り、伝票を処理し、時々同僚とランチへ行く。
何の問題もなく、誰にも嫌われず、誰の特別にもなれない。
その「無風」こそが理沙にとっての平和だった。
昼休みにスマホを取り出すと、タイムラインに「SLEEP RAIN再結成ライブ決定!」という文字が流れてきた。
かつて短大時代に夢中になって追いかけたバンド。
最後にライブに行ったのは──ちょうど十年前だった。
その瞬間、頭の中にひとりの名前が浮かんだ。
片桐真帆。
短大時代、いつも隣にいた友人。
卒業後に地元へ帰り結婚して子どもが生まれたという。
十年間、年賀状や季節の挨拶だけのやり取りが続いていた。
そこには毎回決まってこう書かれていた。
──またライブ行きたいね。
理沙は、無意識に笑っていた。
その一文を読むたび、遠い記憶の中で鳴るベースの音が蘇る。
あの頃、二人で必死になってチケットを取った。
会場で肩を組んで飛び跳ねた。
青春の欠片が、そこにあった。
「⋯⋯十年か」
呟いた声は、どこか乾いている。
あの頃と同じ曲を、いま聴いたとして──自分は、同じように泣けるのだろうか。
それとも、もう何も感じないのだろうか。
バンドの再結成のニュースから数日、スマホにメッセージが届いた。送信者には見慣れた名前──片桐真帆。
「あのバンド、また動き出したね。理沙、まだ聴いてる?」
「もしチケット取れたら、行かない?」
理沙の心臓が、ひとつ大きく跳ねた。
指先が、かすかに震える。
返信しようとして、文面を何度も打っては消した。
──久しぶりに、会いたいな。
画面の文字を見つめながら、理沙は自分の心がわずかにざわついているのを感じた。
十年という年月が、ほんの少し怖い。
けれど、それ以上に──会いたいと思った。
もう一度、あの頃の音の中に戻ってみたいと。
その夜、理沙はベッドに横になりながら天井を見つめた。
静寂の中で昔の真帆の笑い声がよみがえる。
『ねえ、理沙。人生って、思ったより単純なんだよ。欲しいものは、ちゃんと自分で掴みに行かなきゃ』
その言葉が、やけに鮮明に蘇った。
十年前の声が、まるで今も隣にいるように。
理沙は目を閉じた。
けれど、その胸の奥底には、ほんのかすかな違和感が残った。
「あの頃の真帆」と「今の真帆」の間に、何か──小さな影のようなものがある気がしてならなかった。




