99話 西の騎兵
兵力は総勢一万三千。あの張繍と決戦を行うには少なすぎる数だった。
まだ呂布戦での傷が癒えていないから仕方ない話ではあるが、それにしてもだろう。
「董昭、張繍はどう動く」
「こちらにとって最も不味いのは、宛城に立て籠もられることです。故にその通りに動くかと」
「確かになぁ」
この兵力では城攻めなんて出来るはずもなく、守備の姿勢を見せられれば、もう打つ手はなくなる。
しかも相手の参謀はあの賈詡だ。そんなことは百も承知だろうし、時を稼ぎながら襄陽を落とす算段も整っているだろう。
「されど劉備将軍が、同時に江東へ攻め入るとのこと。それを考えれば、孫策の横槍が入ることは無いでしょう」
「あっちの軍は、こっちより困窮してるだろうに。思い切ったことをするなぁ」
「陳珪殿の容体が安定しない中、万が一に備えて陳登殿も動けませんし、劉備将軍も単独での攻勢になるでしょう」
だが、劉備の下には今、あの魯粛が入っている。三国志好きなら胸が熱くなるコンビだろう。
三国鼎立を実現させた大戦略家と、漢王朝が生み出した最後の英雄。何も考えが無いわけない。
となると、俺も絶対に張繍に負けるわけにはいかなくなったということだ。
劉備だけに増長を許すわけにはいかないし、張繍に荊州を渡すわけにもいかないし、うーん。
「さて、どう戦うべきか。と言っても城に籠られたらお終いだし。董昭、調略の方はどうだ」
「厳しいかと。張繡軍は逆らう商人を皆殺しにし、逆に従順な商人は手厚く遇しております。こうなると取り付く島もないというのが」
「飴と鞭か。劉曄、何か策は」
「ひとつ、面白い話が入っております」
手渡される一枚の布切れ。没我がしたためた簡素な密書だろう。
そこに書かれているのは、俺たちの迎撃に出てくる敵将の名前であった。
「胡車児か」
「張繍に次ぐ大将格です。出身は鮮卑であり、極めて好戦的な気質。あの賈詡にしては珍しい失策でしょう」
「確かに、城を守ることに向いた人選ではないな」
「胡車児や涼州騎兵が、兵力も練度も劣る敵に防戦を行うはずもない。必ず初戦は、野戦を仕掛けてくるかと。勝機があるとすれば、そこです」
簡潔に、鋭く言ってくれるが、まぁ、それもそれで簡単な話じゃあない。
そもそも涼州騎兵は極めて練度の高い騎馬部隊であり、あの董卓軍の軍事力の根幹でもあった存在だ。
おまけに胡車児は、あの典韋にも劣らない膂力の持ち主。つまり許チョにも勝り得る豪傑である。
逆にこっちは、鍛え上げてきた虎豹騎や虎士といった精兵を失っていた。こんな状況で戦場に出るのはマジで馬鹿なんだよなぁ…
「劉曄、とりあえず先鋒に車蒙陣の準備を急ぐよう伝えろ。兵力と練度を補うには、兵器しかない」
「かしこまりました」
結局、機動力で騎兵を上回る兵科は今のところ存在しなかった。
それを考えると、呂布を破ったこの車蒙陣も、初見殺しの戦法でしかない。
胡車児が馬鹿正直に突っ込んで来てくれればいいんだけど、さて、どうなることやら。
◆
涼州はあまりにも戦火の多い、過酷で不毛な土地であった。
漢王朝は代々、当代で最強格の名将を西方に配置して、その戦火を何とか食い止め続けていたとされる。
そんな土地で育った涼州騎兵は、個々の実力は天下一であったが、気性が貪欲であり、これを扱える人材は少ない。
胡車児はそんな騎兵の一人という立場から、己が実力で将校にまで成りあがってきた男である。
張繍の筆頭臣下という扱いではあるが、胡車児自身は張繍を主君とは思っていなかった。
彼の主君は、董卓ただ一人。張繍はあくまで神輿であり、気の良い友人にしか過ぎない。
実力主義な性質を持ち、戦場での働きで張繍に負けたことは一度もない。故に主君とは思わない。
だが、張繍は自分にはない器量があり、あの賈詡を下につけている。だからこそ今は従っておこうと決めていた。
「野戦で迎え撃つぞ。ようやく、あの死にぞこないのガキを殺してやれるわ」
「……賈軍師は、城の堅守を命じておられましたが」
「学者気取りの雑魚が口を挟むんじゃねぇよ、李厳。俺が敵を崩して、俺が曹昂を討つ。お前にやる戦功はひとつもない」
「御意」
賈詡が何故、張繍を曹昂本軍の迎撃に向かうよう進言したのか。
それは涼州騎兵を制御できる人材が、君主である張繍以外に居なかったためだ。
この貪欲な気質は野戦においては比類なき実力を発揮するが、忍耐が必要な防衛には不向きである。
城を守ってさえいれば、曹昂にもはや打つ手はない。張繍軍の本命は襄陽の占領であり、曹昂軍の殲滅ではない。
「将軍! 曹昂軍の先鋒が州境に達しました! 先鋒の主将は恐らく侯成!」
「ほう、曹仁や楽進じゃないのか。こりゃあ、曹昂はまだ軍の再編が整ってねぇな。よし李厳、お前は自分の手勢だけで城に入れ」
「かしこまりました」
「チッ、気に入らねぇな。何考えてるか分からねぇ顔しやがって、糞が」
胡車児は李厳の馬の胴を腹いせに蹴りつけ、どかどかと自軍の先陣にまで駆けていく。
李厳はよろめいている馬を何とか立て直しながら、胡車児に目をくれることなく、己の配下を側に呼ぶ。
「我らは宛城へ向かう」
僅か数百の部隊を連れ、李厳は胡車児の戦列から静かに離脱した。
・鮮卑族
英雄「檀石槐」の登場で、後漢末に急速に勢力を拡大した北方騎馬民族。
しかし檀石槐の死後、英雄を継げる人材がおらず、鮮卑族は分裂を繰り返した。
曹操が河北を平定したあとも軻比能が抵抗したが、やがて飲み込まれていった。
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