92話 泰山郡
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許昌に戻るなり、屋敷に戻る間もなくすぐさま朝廷で軍議やら政務の手続きだ。
特に劉表の救援を求める文が矢継ぎ早に届いているせいで、軍部も文官もやたら好戦ムードで頭を抱える。
流石にやり過ぎだと劉曄には釘を刺したが、どうやらこれは皆が劉表の煽りに乗せられているだけらしい。
逆に劉曄は少し苛立ちの表情を見せて、劉表に一杯食わされたとブツブツ呟いてもいた。
「荀尚書令(荀彧)、于禁将軍、急に朝廷を空けてすまなかった。弟はお陰で命を落とさずに済んだ」
「あのような孝行者を失ったとあれば天下の損失です。お気になされませんよう」
「それで尚書令、劉表の戦況は」
「思った以上に旗色が悪いです。というのも孫策が、強すぎます」
「聞かせてくれ」
劉表軍は今、北の張繍軍と、東の孫策軍の挟撃を受ける形で追い込まれていた。
ただ張繍軍相手には、要害である襄陽城や樊城を上手く活用することで、何とか進撃を食い止めているらしい。
しかし問題は孫策だった。
劉表は長男である劉琦に三千の兵を与えて、夏口を守る黄祖将軍のもとに派遣した。
「孫策はその援軍諸共、夏口の守備部隊の一万余りを即時に壊滅させ、現在、黄祖将軍は城を包囲されています」
「強いのは知っていた。だが見立てでは、半月は戦線を保てるという見解だったじゃないか」
「これはまだ第一報の情報です。明日、明後日には更に詳細な知らせが届くでしょう。しかし、恐らく猶予はありません」
そんなに強かったのか、孫策って。いや、史実でも主人公感満載の人物だったけどさぁ。
それにしても主人公補正が強すぎるって。孫策ハンパないって!!
「黄祖が討たれれば、荊州は落ちる。恐らくそれで一番得をするのが、張繍か」
「兵糧も兵も足りません。しかし、ここで張繍を攻め、劉表を守らねば、我々は更に厄介な敵を抱え込みます」
「分かった。軍議をすぐに開こう。荀軍師(荀攸)、董軍師(董昭)に手配を」
「直ちに」
荀彧も額に汗を浮かべて、速足で居室を去っていく。
次に于禁の方に向き直る。恐らくだが徐州の件での報告だろう。
「陳珪殿が、危篤の様だな」
「もう長くはないと。そんな中、陳珪殿は劉延将軍に新たな徐州の主を推挙なされ、将軍はその旨を殿に書状で」
于禁から差し出された書状。封を解き、紐を解いて、目を通す。
少し覚束ないながらも、太く筋の通った文字で綴られていた。
「車冑? 見ない名前だけど」
陳珪が推挙したのは「車冑」という軍政官だった。ちらっと、見たことある名前ではあるけど。
確か正史でも徐州刺史に任命されてて、それで、あっという間に劉備に殺されたマイナー人物だっけ?
「兗州泰山郡の兵糧官であり、今は徐州にて典農都尉の任に就き、北部軍の食糧事情を管轄しております」
「戦働きで見かける名前じゃないし、目立った功績もない。なのに、どうして?」
「恐らくですが、私の同郷の者であり、そして私と同僚として親しくしているからだと。そして臧覇もまた、同郷なのです」
臧覇は元は泰山郡の有力者であり、乱世に乗って私兵を抱え、豊かな徐州に移り拠点を構えた軍閥の主だ。
そして于禁は貧民の出だが、己が軍才一つでその名を轟かせた叩き上げの武将である。
車冑も少し于禁と出自は似ている。故に二人は親しい間柄にあるとのこと。
そして臧覇が、そんな二人の関係を知らないはずがない。于禁の恐ろしさを、知らないはずがない。
「車冑は小心者ですが、仕事は出来ます。目立たぬ仕事を黙々とこなす男です。徐州を率いる立場となっても、その仕事ぶりが変わることはありますまい」
「もし車冑を徐州の者が侮るようなことがあれば、于禁の耳にすぐに入る。そういうことだな」
「お恥ずかしい話です。ですが泰山郡には今、多くの青州兵を住まわせております。徐州の変事では真っ先に、彼らを率いて私が動きます」
「なるほどこれなら、臧覇に警戒させながら、徐州の復興の道筋が建つ。陳珪殿はよく人を見ているな」
これから南に動くとなったとき、袁紹の動きを見張れる洛陽には、劉延将軍が居てもらわないと困る。
故に早急に徐州刺史を決めておかないといけなかったが、なるほど、よく考えたな。
于禁将軍の兵は、如何に過酷な戦場であっても、一歩も後退をしないことで有名だった。
それはなぜか。目の前の敵より、背後の指揮官の方が恐ろしいからだ。故に于禁の部隊は強い。
その「恐怖」がここで、臧覇の増長を防ぐ「抑止力」になり得るという発想は、俺にはなかった。
車冑がどういう人物なのかは会ってみないことには分からないが、ここは任せても良いかもしれないな。
「分かった。それじゃあ、劉延将軍の意思を尊重して、車冑殿には胃の痛くなる日々を送ってもらおうか」
「ヤツの、良い成長の薬になることでしょう」
・車冑
ほとんど記録が無いけど、呂布の死後に徐州刺史となり、すぐに劉備に討たれた人。
マジでこれだけの記録しかありません。でも「車」の姓って珍しい気がするね。
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