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90話 荊楚の古狸


 まるで細く長い樹木が衣を羽織り、冠を付け、歩いているかのようだった。

 髭は白く長く、所作の一つ一つに気品が溢れる。彼はその名を「劉表」といった。


 今、荊州は存亡の憂き目に遭っていると言っても良い状況に追い込まれていた。

 その渦中にある人物こそが、張繍だった。甘く見ていたと、老人は聞こえてくる報告にため息を吐く。


 所詮、寄る地を持たない若造だと思っていたが、曹操を殺し、天命をその手に引き寄せた。

 おまけにあの軍師だ。血の気の多い未熟な主君を御し、乱世を上手く乗りこなしている。


「あちこちの防衛を破る勢い。僅かでも歯向かえば虐殺、されど降伏すれば寛容に迎える。恐ろしいのぉ」


「殿、やはりここにおられましたか」


「むむ、よく分かったな、カイ越」


「分かったも何も、殿は隙あらばこの酒蔵に足を運んでいるではありませんか」


「そうであったかの」


 劉表にとっての最古参の臣下であり、最たる信頼を委ねる参謀であった。

 兵も持たないまま荊州に赴き、二人だけで謀略を駆使し、この豊穣の土地を手にしたという過去も持つ。


「何か悪い知らせか?」


「黄祖将軍より、援軍の要請です。孫策と周瑜の軍勢が、こちらに向かっていると」


「張繍め、示し合わせておったな。張繍も孫策も、老人を敬う気持ちを持たんのか、まったく」


 一日中、酒を胃に流し込み、三日三晩の宴会すらも平気な顔をする人間を、人は老人扱いしないだろう。

 言葉にはしないが、冷めた目線でカイ越は自らの主君を睨みつけた。


「襄陽はどれだけの兵を残しておれば守り抜けるかな?」


「張繍相手なら、そうですね、五千もあれば十分かと」


「黄祖は今の兵力で孫策を阻めるか?」


「無理でしょう。今や孫策は天下で最強の指揮官です。黄祖将軍も悪くは無いのですが、格が違います」


「よし、じゃあ余ってる兵をそのまま送れい。息子に兵を率いさせるおまけつきじゃ」


「それならひと月は、粘ってくれるやもしれませんね」


 どこから取り出したであろうお椀を片手に、酒樽のふたを開け、白髭を濡らす勢いで酒を流し込む。

 よくもまぁ、これだけ飲めるものだと、呆れを通り越して感心の域にも達しそうだった。


 愉悦の笑顔を浮かべ、全く緊張感を浮かべることなく、劉表は袖で口を拭う。

 見た目は高潔な儒者だが、その本性は天下一の酒豪。これが劉表だ。カイ越は溜息を吐く。


「なぁ、カイ越。天下は今、若き芽が渦の中心にあるように思わんか? 張繍、孫策、曹昂。皆、若造ばかりだ」


「私達のような老骨はもはや、邪魔なものになってしまったようですなぁ」


「古来より老人は生意気な若者を叩き、潰し、芽を摘み取ることを余生の楽しみとしてきた。例に漏れず、儂もその一人じゃ」


「奇遇ですな、殿。私もまったく同じ思いに御座います」


「イッヒッヒ! 流石、この劉表の参謀なだけはあるわい」


 戦況が劣勢だからなんだ。敵が強いからなんだ。若いから、なんだというのだ。

 勢いそのままに高みへ登ろうと懸命に命を削る若武者達は何も知らない。本当の戦争というものを。


 戦に勝つのに、兵なんていらない。どう欺くか、それに尽きる。

 こうして数多の荊州の豪族や、猛将たる孫堅や張済を陥れてきたのだ。高潔な儒者の振る舞いを保ちながら。


「策はあるんだろうな?」


「曹昂を動かしましょう。殿が惨めに、痛ましく嘆き、その思いを書状に記し、救援を請うのです」


「引き換えに、この荊州の材木や兵糧、そして南陽郡を譲ると言えばいいんだな」


「はい。言うだけならタダですので。あと劉備にも同じ旨の書状を。孫策攻めの援助をすると記して」


「これも言うだけ、か?」


「勿論。約束した支援物資の十分の一を送れば、あとはいつも通り弱った演技でもしておいてください」


「これも豊かで、天下の四方に伸びる道を有する荊州の主だからこそ出来る立ち回りじゃな」


 豊かだからこそ、狙われる。飢えた虎狼が今に飛び掛からんと、涎を垂らしながら。

 乱世に飲まれながらも、何とか豊穣を守り抜いてきたのは自分なのに、という思いはある。


 しかし劉表はそんな不条理すらも飲み込み、己が野心の糧としていた。

 皆が狙うのなら、振り回せばいい。振り回すだけ振り回して、被害者の顔をしておけばいい。


 あとは袁紹がいずれ天下を塗りつぶす。その時に荊州を献上し、老い先短い命で大往生を果たす。

 良い思いをして、人生から逃げ切る。難しいことなんて考えなくても良いわけだ。


「それじゃあ袁紹にも書状をしたためておくかな」


「ほう、流石は殿。先の先まで見えておいでです」


「曹昂や劉備が儂に不満を漏らせば、今度は袁紹に背後を攻めてもらう。天下を動かすのは、この儂じゃ」


 これはハナタレの若造には出来ない戦略だろう。

 劉表はお椀を再び酒樽に突っ込み、がぶがぶと飲み干していった。



蒯越かいえつ

大将軍「何進」に仕えていたが、彼が殺害されると、劉表に仕えることになる。

劉表が荊州に入ると、荊州内部の有力者達を争わせ、自勢力を拡大させるよう進言。

謀略を駆使して劉表の荊州統治の基盤を固めた功臣。曹操にも高く評価されていた。


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― 新着の感想 ―
[良い点] この劉表のキャラは新しいw だいたい三国志モノでただの老害やかませで終わる劉表にこういうトガッたキャラ付けするのは斬新で良いですね!
[良い点] 流石、荊州掌握のために宴会騙し討ちかまして地元豪族ゾルっと殺しまくった劉表。 策謀の悪辣さに掛けて、頭抜けてるなぁ。 [一言] 董卓ですら恐れた孫堅を罠に嵌めて討ち取り、張繍が宛に割拠して…
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