86話 外交の心得
先の、暗殺の一件のこと。俺は袁紹との関係に変な波風を起こしたくないと、黙ってきた。
だが劉曄はその一件を耳に挟み、これを前面に押し出すべきだと言ってきた。
「外交に、配慮など不要。逆に一つ引き下がれば、相手は更なる要求を押し付けてくるもの。その時点で怒ったとて、最初に一歩引いた方が悪いのです」
なるほど、さもありなん。つくづく政治の機微とは、常人には理解し得ないものなんだなぁと感じる。
個人同士の話し合いならば確かに、相手に配慮をして、心証にマイナスを与えないというのは一定の効果があるだろう。
しかしそれが「外交」となったら話は別だ。心証より、利益が優先されて当然だからである。
そんな中で相手勢力の気持ちのことを考えるのは、確かに得策じゃないだろう。宋襄の仁って故事もあるくらいだし。
「それで、俺に何をしてほしいんだ?」
「こちらに袁紹に靡く派閥があるのと同様、あちらも殿に融和的な派閥が御座います。故に先手を打ち、融和派を勢いづかせます」
「正攻法か」
「邪道は正攻法が頓挫してから使うべきもの。常に裏側に網を張っていた郭嘉殿の手腕が異常だったとお思いください」
「しかし正式な外交となると、相応の手順を踏まないといけないぞ?」
「既に荀尚書令(荀彧)には話を通しております。あとは殿が、楊御史中丞(楊彪)を説得していただければ」
「お前、めちゃくちゃ仕事早いんだな」
「恐れ入ります」
でも仕事が早いということは、俺に降りかかる仕事も前倒しでやってくるということ。
曹仁が手配していた馬の鞍の件とか、許チョに預けている軍人育成の件とか、高堂憲から届いた発明品の検分とか、司空府にあがってくる報告書の対応とか、他にもやらないといけないことは沢山あるんだけど……
「それって、明後日とかでも駄目?」
「早ければ早いほどよろしいかと。ちなみに楊御史中丞との面会時間は、本日の日暮れに、既に抑えております」
「仕事、早いね」
「恐れ入ります」
流石に王族の家柄なだけある。政務の流れみたいなものが体に染みついてるんだろうな。
こういう人間すらも臣下として扱っていかないといけないのか。君主とは本当に、人ならざる存在だよ。大変すぎる。
◆
とりあえずそれほどかしこまった席というわけでもなく、ただただふらっと、楊彪の屋敷に立ち寄った。
という体になっているらしい。あんまり仰々しくすると孔融あたりが目を付けてくるだろうし。
それに我が弟である「曹植」と、楊彪の息子の「楊脩」は非常に親しい友人の関係にある。
曹植は楊脩を兄のごとく、そして師のごとく敬っているとも聞いたことがあった。
加えて楊彪は前までは、袁瑛さんの周囲のことを見てくれていた人だしな。
俺がふらっと立ち寄ってもそれほど不自然には見えないだろう、って董昭も劉曄も言ってた。
「曹司空、わざわざお立ち寄りいただき、恐縮に御座います」
「こうして個人的に向かい合うのも、久しぶりな気がしますね」
「立場が、変わりましたからな。お陰で毎日が苦労の連続で」
いつも厳しい顔つきの楊彪にも、少しの気苦労が浮かんでいた。
今までは一人の有力名士であったが、今や大きな派閥の長なのである。
そういう意味では、俺も楊彪も、感じている気苦労は似通っているのかもしれない。
立つ場所こそ違えど、見えている視点の高さは、それほど変わっていない。
楊彪に促されるままにその大きな屋敷に足を踏み入れる。これがかの名門、弘農楊氏の屋敷か。
庭にしても、客間にしても、余分なものが一つもない空間である。
「司空、こちらが我が息子の楊脩に御座います」
「曹司空に拝謁いたします。楊脩と申します」
目鼻立ちのハッキリとした、才気溢れる青年である。
華美に着飾るわけでもなく、静かで、落ち着いた風貌をしていた。
「弟がいつも世話になっている。これからもどうか目をかけてやってほしい」
「とんでもございません。いつも私が学問をお教えしておりましたが、今や私の方が曹植様に教えられるばかりの日々です」
「早熟な者は、大成しにくい。それは歴史を見ても明らかだ。よく目をかけてやってほしい。曹植が才に溺れぬよう」
「身に余るお言葉です」
ドラマとか演義では、才能をひけらかすような性格で描かれることが多い楊脩だが、彼にそんな様子は見て取れない。
まぁ、史実を見てると、後継者争いの中で曹植派の筆頭格だったから、不幸にも処刑されたって感じだったしなぁ。
楊脩はそのまま流れるような所作で去り、俺は楊彪と二人で客間へ足を運ぶ。
そこには細やかながらも品の良い食事が並べられている。何だか料亭に来たみたいな気分だな。
「それで、本日は如何様なご用件で」
盃に楊彪から酒を注いでもらい、そのあとに俺も酒を注ぎ返しながら、楊彪はぽつりと聞いてきた。
まぁ、ただ遊びに来たというわけじゃないことくらい、既に分かり切ったことでもあるしな。
「少し、弱っていてな。楊彪殿のお力添えをいただきたいのだ」
「と、言いますと」
「先日、妻と、俺は刺客に襲われた」
今まで隠していた話だ。
楊彪も初めて知ったというような顔で、目を大きく見開いていた。
「残念ながら刺客を捕らえることは出来なかったが、妻が言うには、義父殿の差し金であると」
「まさか、何故、袁本初が」
「俺も同じ気持ちなのだ。しかしその袁本初の娘が、そう言っている。確認してくれても良い。刺客は冀州から妻が伴ってきた侍女であったのだぞ?」
どうして義父殿が俺の命を狙うのか、俺の何が不愉快なのか、それをどうにか確かめたいのだ。
俺はそう言いながら、楊彪の乾いた手を握った。僅かに、力を込めて。
「これ以上、天下に戦乱を持ち込みたくはない。今、頼れるのは貴殿しかいないのだ。どうにか仲介を頼まれてはくれまいか」
「私とて天下のために、両家の安寧を願っております。すぐに事の次第を確かめて、使者を立てましょう」
・楊脩
楊彪の息子。鶏肋の意味を理解したから死んだ人で有名。
演義ではインテリひけらかしな性格ってイメージが強い感じがあるけど、
史実では曹操の楊彪嫌いと、後継者争いの余波のせいで処刑された不憫な人って感じ。
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