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84話 派閥と政治


 政治とは結局、政治家らによる派閥闘争の副産物に過ぎない、という話があったりする。

 自らの所属する派閥を大きくするために、その業績として政治もやっとくか、みたいな感じで。


 別にそれが悪いって話じゃない。人間として生まれたからには必要な、至極当たり前の行動原理だ。

 考えないといけないのは、その派閥を前提に置いて考え、どう国政を動かしていくか、ということだった。


 今、俺の陣営にも当然、いくつかの派閥が存在し、群臣らが各々の主張を通そうと議論を交わしている。

 それでその派閥がどのような基準で分かれているのかだが、それは「学閥」によるものだ。


 例えば、今の朝廷の政治権限の大半を掌握している「荀彧」を筆頭とした派閥は「豫州潁川郡」の学徒達だ。

 他には楊彪や司馬防に代表される、司隷の学閥。孔融に代表される、青州の学閥。豫州汝南郡には、あの袁家がある。


 孫策陣営では張昭や諸葛瑾を代表とする徐州の学閥が主導権を握り、劉表は地元である荊州の学閥を擁する。

 ネットも電話もないこの時代。天下の情報を掴むためには、彼らのような知識人たちの交友ネットワークが必要不可欠なのだ。


(うーん、しかし、ややこしいことになってしまった…袁紹の影響力の強さを身に染みて感じる……)


 主要な大臣クラスが一堂に会しての議論。議題は「財政」に関してのことだけに、みんなも気合が入っていた。

 軍備費が大きすぎやしないか、屯田制の成果は、兵器の開発費とはなんだ、税収が少なすぎる。


 あれは無駄だ、これは必要だ、いいやお前は何も分かっていない、そもそも青州兵は、あーだこーだうんぬんかんぬん。

 今までは潁川官僚が野党を黙らせていたが、袁紹への配慮で野党が力を増し、議論が余計に混迷してしまっているのが現状である。


「曹司空(曹昂)は、この兵器の開発とかいうものに多くの財源を割くよう指示しましたが、これは些か大きすぎるのでは?」


「しかし孔少府(孔融)、定陶の防衛、呂布征伐、張繍の撃退など、兵器による恩恵は大きかったはずだ。違うか?」


「されど下ヒ城攻めにおける水攻めの堤防建設は、明らかに大きすぎる無駄な出費でした。その補填は如何に」


「開発しているのは兵器だけではなく、耕具も多い。というかそっちが主要だ。時期に生産力が向上するとの報告も、許昌典農官から上がっている」


「ではこの開発費を削減する意図は無いと」


「戦が起きれば増え、戦が起きなければ増えない。これは兵器だけでなく、どの点においても言えることだ。荀尚書令(荀彧)、貴殿はどう思っている」


「実際に潁川郡を中心とした農地の生産力は徐々に上向いており、人口も増えております。されど許昌と目と鼻の先に居る張繍がどうしても厄介であり、ここに対抗するため軍費の削減は受け入れかねます」


 軍部は依然として夏侯惇や于禁が掌握しているから揺らぎはない。しかし政治の方がこの通りである。

 尚書令(官僚の人事長官)には荀彧、司隷校尉(首都の警察長官)には鍾ヨウがいるが、つい先日、ほぼ同格の御史中丞(官僚の監査長官)に楊彪が就くことになった。


 その楊彪の下に、最大人数を誇る孔融の派閥が付き、政治的な発言力を大きくしていた。

 楊彪が親袁紹の筆頭格だから、袁紹側からはそれとなく楊彪を重んじてほしいという圧力もあって、まぁ、厄介なことこの上ない。


 軍縮と、農業の推進。不足する軍事力は袁紹を頼ればいい、というのが楊彪サイドの主張である。

 軍部を握る夏侯惇は軍縮などもっての外と主張。荀彧も潁川名士の代表として、同じ潁川名士を抱える袁紹との協調は受け入れ難い。


 俺も夏侯惇と荀彧の支持を受けている以上、そっちの方に意見を合わせないといけない。

 しかし楊彪を無下にすれば、袁紹に開戦の口実を与えてしまうことにも繋がる。


 袁紹が公孫瓚攻めの総仕上げに移ったということは、次は間違いなく南下を視野に入れているはずだ。

 楊彪派閥がこれだけ軍縮を訴えているのは恐らく、何かしら袁紹側との示し合わせがあると見ても間違いないだろう。


「先の張繍の侵攻を見て、軍費の削減は流石に受け入れられぬ。張繍の討伐は、父上の仇を討つ私の悲願でもある。孔少府よ、親の仇を討つのが子の役目ではないのか」


「お気持ちは痛いほどに分かります。されど国政と私情は切り離すべきです。今は農業の立て直しこそ急務」


「張繍の討伐は、陛下の御意志でもあり、国家の事業でもある。もはや私情ではない。ここで矛を収めれば張繍は豊かな荊楚を占領し、手を付けられなくなるぞ」


「曹司空、私も張繍征伐は賛成です。されど現状、軍を動かせるだけの余力はなく、麦の刈り入れを待たねばなりません」


「どうにもならないのか、荀尚書令」


「申し訳御座いません」


 恐らく今、俺の軍事的な功績を誰よりも望んでいる荀彧ですら、難しい表情を浮かべていた。

 どう足掻いても無いものは無いのだ。よくもまぁ、こんな状況で曹操は四方八方に兵を動かせたものだな。マジでわけ分からん。


 袁紹にも配慮しながら、軍の拡張を進めて北方への警戒を強くし、同時に張繍を滅ぼすには、さてどうすればいいのか。

 どうしようもなかろうもん。考えれば考えるほど、糸口が見えなくなってくるのは本当に、精神にくるものがあった。



・学閥

後漢末期は豫州潁川郡、豫州汝南郡の私塾が最も有名であったとされる。

それに次ぐ形で、楊彪・司馬防の司隷、鄭玄・孔融の青州、張昭・諸葛瑾の徐州、龐統・諸葛亮の荊州などが有名。

こうした儒学名士が中心となり、天下の情報を集め、群雄の成長を支えた。


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