49話 天下への宣誓
顔が痛い。たぶん、表情筋が筋肉痛だ。マジで口角とか目尻とかピクリとも動かん。
やっぱり人は慣れないことをするものではないなと思いながら、痛む頬を撫でる。
この馬車の揺れすら、筋肉痛に響く。つらい。
こんな顔のままで今日は陛下に拝謁をして、大々的な婚姻の宴を都で開かないといけないのか。
「殿、上手くいきましたな」
「嬉しそうだな、郭嘉」
「袁瑛様は朝から心ここにあらずな様子で、まさしく生娘の如く。女性が苦手な殿にしては上出来にござる」
「苦手なわけじゃない。分からないだけだ」
人は「分からないこと」に恐怖し、悩み、陰鬱になっていく生き物だと聞いたことがある。
お化けが怖いのは、その正体が分からないから。対処法さえ分かればいくらか恐怖も薄れるだろう。
俺が婚姻の話が進むにつれて、漠然とした不安に呑まれるようになったとき、ふとそんなこと思い出す。
だったら、学べばいい。お化けと違って「女」や「袁瑛」は実在するものではないか、と。
そこで頼りにしたのが、女遊びが酷いと評判の「郭嘉」だった。
餅は餅屋ともいう。郭嘉はこういったことにめっぽう強いイメージがある。
女性同士の噂話やドロドロの色恋関係の話は、風に乗って、天下の女性に広まっていく。
特に宮中に居るような女性はそういった話に敏感で、郭嘉はそれをもとに謀略を組み立てるのだ。
そんな郭嘉が俺に言った。袁瑛にはとにかく強気で、グイグイ行けと。
数多くの女性を相手に、俺様王子系になりきれるよう演技訓練までやらされたりもした。
「それで、抱きましたか? 袁瑛様はご令嬢で、おまけに父はあの袁紹。だからこそ強気に迫れば、殿に夢中になられます!」
「本当にお前は下世話な男だな。瑛殿は、抱かせてくれと頼んだら固まってしまった。だから、なにもしていない」
「……いくらなんでも、育ちが良すぎますな。まぁ、それだけ殿の演技が良かったということでもありますが」
「演技も嘘も、心から吐けば、それは本物に変わる」
「男でも惚れてしまう言葉ですね。そこが先代とは異なる、殿の長所だと私は思いますよ」
袁瑛は、まさしくモデルのような美人だった。スタイルも顔立ちも、全てが洗練されている。
汝南袁氏は何代にも渡って名門として後漢に君臨し続けた血族だ。そりゃあ世代を重ね、顔立ちも良くなる。
この当時はよっぽどの能力が無ければ、イケメンじゃないと高官には就けなかった時代だ。
荀彧の顔立ちを見ても分かる。楊彪だって今でこそ髪は薄いが、その顔立ちは渋い名俳優そのものだ。
「殿は元より人前で本心を隠すことが出来る素質が御座います。それは馬鹿正直な先代には無かった素質です」
「俺は父上のようになりたいんだがなぁ」
「あとは、女性の前で張り切ったその翌日に、顔が動かなくなる悪癖をどうにかなさいませ」
「んなこと言われても」
「袁瑛様は、育ちが良く穢れを知らぬ気性。そして過去に二度、婚姻間もなくして夫を亡くしております。どのように接すればいいか、後は分かりますね?」
「蝶よ花よと大切にすればいいのだろう?」
「馬鹿言わないでください。抱くのです。あれくらいの歳から性欲が盛り上がるのですから。強気に押し倒し、それでいて赤子のように甘やかし、殿無しでは居られなくするのです」
「お前さぁ……妻子持ちの人間の言葉じゃないだろ」
「大丈夫です。我が妻は、私が他の女を組み敷いている光景に興奮する質なので」
「ホントに黙ってくれ」
◆
数多の朝臣、袁家の関係者、そして曹家の関係者、大勢の人間が一堂に会する大宴会。
最たる上座には皇帝陛下「劉協」が。そしてそれに次いで、俺が座っている。
俺に献杯をしてくる袁家の関係者たちを、ピクリとも動かない顔で対応。
そんな俺を見て、皆が「不機嫌なのでは?」と勘ぐっているのだろうが、違います。筋肉痛です。
だが、逆に都合が良かったかもしれない。別にこれは披露宴というわけでなく、ただの政治的な会合だ。
そしてここにいる袁家の関係者は皆、俺の懐を探りに来た者達。油断はできない。
下手にへらへらと波風立てずに対応するより、皆に等しく鉄仮面を被っている方が良い。
変に相手に取り付く島を与えなくて済むというものだ。この政治の席に、瑛殿は居ないわけだし。
「し、車騎将軍よ、表情が硬いようだが」
「お気になさらず、陛下」
「そうか、すまない」
「それより、董貴人のご出産が上手くいかれたとか。改めてお祝い申し上げます」
「将軍が医者の手配など、色々と手を尽くしてくれたおかげで、娘も健康だ。本当に感謝している」
「恐れ多いお言葉。臣下として当然のことをしたまで」
もう、宴席もそろそろ良い頃合いだろう。
この場の主役たる俺の選手宣誓というか、そういった演説をしないといけないらしい。
楊彪の厳しい目が俺の方に向く。予定通り、当たり障りのないことを言えという圧力だ。
袁家と曹家、仲良く手を取り合って天下を支えましょうねぇ~、みたいな。
こういう場で自我を貫いたとて何も意味はないのだ。そんなことは分かってる。
分かったうえで、俺は自分を貫きたい。曹操ならきっと、そのように生きるはずだ。
「今宵はこの宴席の場にお集まりいただき感謝しております。皇帝陛下より、廷尉及び車騎将軍の任を授かった曹子修と申します」
周囲の目が、俺を刺す。戦の時とはまた違う、命を危険に晒している感覚。
辺りが静まり返るまで、震える呼吸を宥め、堂々と胸を張る。
「袁大将軍からの縁談の話を受けるという僥倖に巡り合い、両家が手を取ることになった。思えば我らは董卓の災害を被り、それでも諦めなかったという過去を持つ者同士に御座います」
これまでの苦難。切々とそれを説く。これほど心強い味方は居ないと声高に叫ぶ。
董卓という共通の敵に立ち向かった両家が手を組むことに、大きな意味があると、拳を握る。
「今もなお民は飢饉を前に明日の食事もままならず、流浪の盗賊に全てを奪われております。両家の婚姻が成ったこのめでたき日にも、私はそんな民を思うと、米粒一つすら喉を通らない。天下の柱石たる皆々様も、同じ気持ちのはずだ」
くるりと振り返り、地に頭をつけ、劉協に拝礼する。
「本来であればこの宴席も数日に渡り続く予定でした。されど臣は戦乱の止まぬ日々の前で、座して我が身の幸福を祝う気にはなれませぬ! 陛下、願わくば臣に、一日も早く賊を討ち天下を平定せよと、お命じくださいませ!」
辺りは、水を打ったように静かなままだった。
なんだかんだ言っていますが、こういう賑やかな席が嫌いなだけです。早く帰らせてください。
・美女&イケメン
いつの時代も優遇される存在。三国志でもそれは同じ。ぴえん。
とはいえ顔が良いというだけでなく、異形の姿でも一目置かれることもあった。
劉備は福耳で腕長だし、孫権は赤髪で碧眼という特徴があったとされ、特別な存在の根拠の一つとして語られていたみたい。
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