44話 譲歩の条件
袁紹
それは今、最も天下に近い男の名。
名門「汝南袁家」の家柄に甘んじることなく、果断に乱世を生き抜いてきた傑物。
政治の腐敗を生み出していた「十常侍」を殺戮し、
暴君の名を欲しいままとした「董卓」に逆らい、
名声だけで基盤の無かった立場から「冀州」を統べ、
最強の騎馬軍団を擁する「公孫瓚」との決戦にも勝利。
世界規模で訪れた大寒波により、飢饉となって疲弊した広大な土壌。
数多の群雄がその困窮を抜け出せない中、袁紹だけは見事に内側を立て直した。
易城に公孫瓚を閉じ込めたまま、五年も攻城戦を続けられる体力がある。
それだけでも、袁紹という群雄の手腕がどれほど優れていたかがよく分かる。
まさしく「王者」だ。
今、袁紹の天下を疑う人間は一人として居ないだろう。
「車騎将軍の父君であられる曹司空様は、我が君と共に青春を過ごした朋友であり、その仲は義兄弟も同然に御座いました。されどその兄弟が凶刃に倒れ、我が君は悲痛な思いを抱いた次第」
「父に代わって、袁大将軍に感謝いたします」
「我が君にとって、曹司空様は弟も同然の仲。なれば車騎将軍は我が君にとって甥と同じ。先の呂布との戦いといい、まだまだ天下に乱は多く、我が君は将軍の身を案じておられます」
「故に、大将軍の御令嬢を」
「さすれば両家の結びつきは強まり、天下は瞬く間に一つとなりましょう」
使者は頭を低くして、伸び伸びと言葉を扱う。
君主が強勢だと、その臣下にまで余裕の落ち着きというのが波及するんだろうな。
「ありがたきお話では御座るが、大将軍も、そして私も今や、朝廷で重きを成す身。ただの婚姻というわけにもいきますまい」
「勿論、返答は待たせていただきます。車騎将軍も戦が終わったばかりで忙しいかと存じますので」
「ご配慮いただきありがとうございます。宿舎などはこちらで手配いたします故、ごゆるりとくつろいでください」
「感謝いたします」
袁紹からの使者は深く頭を下げたまま、客室を後にした。
そのまま、外をぼーっと眺める。庭では小鳥が元気よく鳴いていた。
すると隣の部屋から、郭嘉と荀彧が入ってくる。
二人とも始めは袁紹に仕えようとしたが、それを蹴って曹操に従ったという過去を持つ。
「俺が嫁を取るか……まったくもって実感が湧かん。驚くほどに興味も沸かない」
「殿、呑気なことを言ってる場合じゃないですよ」
「うーん。荀彧殿、私は如何にすべきだろうか。袁紹の意図が分からん」
「簡素に言えば、正式な同盟の申し出ですが、その実情は従属の強要でしょう」
冷静に考えれば分かる。俺にはこれを拒むことが出来ない。
史実で曹操が袁紹に勝てたのは、曹操の圧倒的な軍事的才能に依るところが大きい。
だが、俺にはそれが無い。
天性の才能を持ち合わせていない以上、袁紹と事を荒立てるのは避けるべきなのだ。
別に俺はそれで良いと思っている。頭を下げたとて死ぬわけじゃあない。
だが、そう考えられる人間がそう多くないことも分かっている。
俺が袁紹に事実上の従属を行うと、立場が危うくなる人間は多い。
董昭だってそうだ。間違いなく、兗州都督の任を解かなければならないだろう。
そして、荀彧や郭嘉を始めとした潁川郡の官僚達も同じだ。
皆が袁紹の勧誘を断り、曹操に仕えたという経緯を抱えている。
「二人に聞きたい。お前らは袁紹に従属するような君主に、仕えたいと思うか?」
明らかに動揺というか、迷いの色がその表情に見えた。
受け入れがたいだろう。過去に自分が降した決意を、踏みにじるような話だ。
そして、口を開いたのは荀彧であった。
感情を押し殺し、怒りを胸に滾らせ、言葉を絞りだしていた。
「屈辱を堪え、歴史に名を遺した君主は数多居ります。それに比べれば、これしき」
「郭嘉はどうだ」
「殿はどうお考えですか? 袁紹の下風に立ち、順調で安穏とした天下を良しとされますか?」
「まさか。袁王朝の伝記の端に書き加えられる生涯など御免だ。俺は、父が成せなかったことを成す」
「ならば我らの忠誠は揺らぎません。されど、譲歩にも限度があります」
「教えてくれ」
同盟の締結後、袁紹が段階的にこちらに迫ってくる要求はある程度の検討がつく。
郭嘉はそう言いながら、まずは一本、人差し指を立てた。
「嫁入りに際し、袁紹は堂々と多くの間者や監視の目を潜り込ませます。これを受け入れるか否か」
「受け入れなければ、ならないだろうな」
「次に、政務に口を挟み、我ら潁川郡の人士の実権を削ってきます。これを許すか、否か」
「あくまで名目上の降格までは許容し、あとはのらりくらりと要求を躱していくか」
「次に、人質です。母君や丁宮様、更にはご兄弟。如何ですか」
「……」
「次に、遷都です。陛下の身柄を冀州に移す。恐らく袁紹の狙いはこれにあるかと」
「袁紹に陛下が渡れば、もはや天下は決したも同じだな」
「最後に、領土です。ここまで果たせば、もはや殿は袁紹の一家臣と同じになります」
「そうだな」
「決して、譲ってはいけないものを見誤らないよう、お願いします」
そこを間違えば、俺は完全に見捨てられてしまうというわけか。
なるほど、袁紹の手腕は流石だ。娘一人送るだけで、俺の首に剣を突きつけたのだから。
・袁紹の生まれ
袁紹は出生に関して二つの説がある。袁成の遺児が袁逢に引き取られた説。
または、袁逢の庶子というもの。この作品では前者の説をおおよそ採用しています。
袁成の遺児であった袁紹が、養子として袁逢に引き取られた、みたいな。
ここら辺は結構ゆるゆるなので、そーなんだーくらいに思って下さい(笑)
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