30話 呂布出陣
四万の大軍勢。兵の士気は天を衝く勢いがある。
今ならどんな相手にも負けることは無いと、自信をもって言うことが出来た。
「なぁ、いつまで落ち込んでいるのだ。貴方は、軍の大将なんだぞ?」
「殿が後顧の憂いを断つ間、私の役目は敵地に楔を打ち込むことだった。まさか、あのような小僧に負けるとは」
「張遼は負けた負けたと笑っていたから叱ったが、大将は少しくらいアレを見習うべきだ」
日の光に照らされ、毛並みが赤く光る巨大な馬に跨るのは、一際大柄の武将。
名は「呂布」。辺境のただの武人であった身分から、今や天下の群雄となっていた成り上がり者だ。
呂布が自ら率いる騎馬隊は天下最強の名を欲しいままにし、現に僅か千騎で五万の袁術軍を蹂躙した。
まさに乱世の英雄であると、羨望の眼差しを向ける者も少なくはない。
そんな呂布の傍らで馬に乗りながら、悔しげに項垂れていたのは、陳宮であった。
呂布は組織を運用することを面倒と見る気質があり、実質、陣営の全権は陳宮の手に握られている。
「戦は俺の仕事だ。そこまで大将に奪われたら、俺の立つ瀬がなくなる。だろ?」
「……気を使わせてしまい、申し訳ありません」
「それで、この戦で本当に兗州が取れるんだな?」
「曹昂は山陽郡を再び放棄し、定陶の城で防衛を敷いております。更に後方の濮陽には夏侯惇が駐屯し、定陶を支援する構えですね。我らがこの二つを落せば、兗州は取れます」
「まぁ、定陶だな。主力を潰せば、夏侯惇も退く」
「左様」
陳宮の戦略は非常に単純かつ王道のものだった。定陶の城を包囲し、その間に各将軍らが兗州の諸郡を占領。
統治機構を整えながら曹昂を排除して反攻の芽を潰し、兗州を完全に制圧するというものだ。
「それで、劉備は」
「知らせでは定陶にて、曹昂と共に城外で防衛の陣地を築いていると。ですがこれは虚兵でしょう」
「ほう、何故?」
「籠城は援軍あっての作戦です。そして曹昂の盟友は劉備のみ。つまり、それを頼るしか包囲を解く術はない」
「俺の不在を突き、徐州を奪うか」
「はい。ですが留守を担うのは高順将軍と張遼将軍です。劉備は僅かな兵しか持ちません」
それに兗州の人心は既に陳宮が握っていた。
故に有力者達から徴兵を行えば、徐州へ割ける兵も増える。
確かに劉備の徐州での声望は篤いものがある。
だが、それだけだ。名声で飯は食えない。
「まぁ、委細任せる。俺は城を落とすことだけを考えればいいんだろ?」
「そのための、私です」
◆
城には続々と物資が届けられていた。籠城戦は物資を如何に保つかの戦いだ。
兵の士気を保つためにも物資は必要であり、これが尽きた瞬間が、城が落ちる瞬間だろう。
そして、許昌からの輜重隊を率いてやってきたのは「丁沖」であった。
曹操の古くからの友人で、母上と同族の人物だ。今までは長安の治安維持に当たっていた人物でもある。
宛城の戦いで曹操が戦死すると、丁沖は都に帰還し、ウチの屋敷の護衛や維持に務めてくれた。
つい先日、鍾ヨウが長安に赴いたことで、丁沖は正式に都に戻り、今はウチの家宰として働いてくれていた。
「御屋形様、戦の日々で顔つきも精悍になられましたな」
「丁沖殿のお陰で、私は家を離れられる。感謝しても、しきれません」
「当然のことをしたまでです。本来なら共に、こうして戦いたかった」
この激動の日々で、丁沖は心労が重なり、更には病にもかかりがちでやせ細った姿になっていた。
元々は大の酒好きで、酒豪として名を馳せた人でもあるが、その面影は今やみられない。
「大叔父殿や母上、兄弟達の様子は」
「ご隠居様は、家族に囲まれ幸せそうです。特に曹沖様につきっきりで、よく御母堂に叱られています」
「それは良かった。故郷を追われ、気を落としていないか心配でしたので」
「曹彰様は卞様の側をずっと離れず、曹植様はウチの息子とよく遊んでおります。そして曹丕様は、先代を悼んでおられます」
「……そうか。孝行が篤いのは良いことだが、病気になられては困る。気を付けておいてください」
「かしこまりました」
この時代、儒教の理想として、子は我が身を顧みず親の死を悼まないといけない、というものがあった。
粗末な生活をしながら三年の喪に服し、病に罹ったとしても、薬を口にしてはいけない。
それは親の死よりも、我が身が可愛いということになるからだ。
現代日本に生きた人間からすればあり得ない価値観だが、それを非難するのもまた違う。難しいね。
「それで御屋形様、この戦、どうなりますか。相手は、あの呂布です」
「無論、勝つ。呂布の首を陛下に献上してみせよう」
「なるほど、無駄な心配でした。ご健闘を心よりお祈りいたします」
「母上にも心配はいらないとお伝えください」
「承知しました。あ、それと、御母堂からの言伝ですが、この戦が終わったら、妻を取るようにと。縁談はご隠居様が進めてくれるみたいです」
「え」
それさ「この戦いが終わったら俺、結婚するんだ」ってヤツ?
本当にやめて。縁起でもないからさ!!
・丁沖
曹操の旧友で、丁夫人の一族の出身。アル中で死んだらしい。
司隷校尉として長安に赴任していたとあるが、おそらく鍾ヨウの前任者。
息子は曹丕にブスと馬鹿にされている「丁儀」。かわいそう。
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