29話 檻の中の虎
相変わらず、劉備は俺を見かけると子供のように跳ねながら駆け寄ってきた。
差し出された長い腕を握り返すと、また、肩が外れそうな勢いで上下に振られる。
「車騎将軍への昇進について、こうして直接、祝いを述べたかった! 亡き司空殿もお喜びでしょう!!」
「劉豫州(劉備)殿にそう言われると、重責で圧し潰されそうな胸が、軽くなった思いがします」
「これまた謙遜を。何度も申し上げたが、先の戦は見事でした! あわや陳宮の首を取るまでいくとは」
手を取り合いながら、宿舎へと同じ歩幅で入っていく。
その間もずっと劉備は喋りっぱなしで、俺への賛辞が尽きることが無かった。
いくら俺が、生来の性格が曲がっているとはいえ、ここまで褒められると気分は良くなる。
お世辞であっても、褒められるのが嫌な人なんていないしな。
たぶん「お世辞だろ」なんて思ってるうちは、人に好かれることもないんだろう。
曹操もそういえば、史実ではよく配下を大げさに褒めていた。こういうのも見習わないとなぁ。
こうして軽い食事の用意された部屋に入り、俺と劉備は横に並んで席に着く。
劉備が連れてきたのは麋竺と僅かな従者のみ。こっちも曹仁のみだ。
「いやはや、それにしても呂布の勇猛さは留まるところを知りませんな」
「豫州殿はその呂布と袁術を相手に、城を失ってもなお戦っておられたではないですか」
「袁術との戦いの最中に、呂布に本拠を奪われ、逃げ回っていたに過ぎません。そこを曹司空殿に救っていただいた」
「普通の人間であれば何度も死んでいた場面です」
「これも天子の加護の賜物。臣は恥じ入るばかりに御座る」
劉備は盃を掲げ、劉協の居る方角へ向かって拝礼をした。
自らの功績を誇らず、全て運が良かっただけだと繰り返す。それでいて人を褒める時は大げさに褒める。
いつの時代であろうと、こういう人間が人の上に立つんだというのを見せつけられている気がした。
俺の様に上辺の小細工だけじゃなく、生まれながらの「親分肌」とでもいうのだろうか。
だが、俺は史実を知っている。劉備は決して、信頼できる相手ではないことを、知っている。
劉備は仲間を決して裏切らない。だが、仲間のために人を裏切ることが出来る。その警戒は絶やさずにしておきたかった。
「それでこの度、豫州殿をお呼びしたのは、その呂布の件についてです」
「軍の編成も終わり、出陣の機運も高まっておるようですな。戦も遠くないでしょう」
「我々は籠城戦を選ぶことにしました」
「……援軍の当てがあると?」
「もちろん、そのためにお呼びしたのです」
劉備は目を丸くして、自分の鼻先を指さした。そして、すぐに何度か首を振る。
あれ? すぐに食らいついてくると思っていただけに、少し意外な反応のように感じるな。
「私が今、持ち合わせている兵数は僅かばかり。呂布の包囲を破るなど、とても」
「それじゃあ私と共に籠城してくださいますか」
「そ、それでは、勝算が」
「冗談です。豫州殿は大きく道を迂回し、秘かに徐州へと入り、呂布の本拠を奪っていただきたい。呂布にやられたことをそのまま、やっていただきたいのです」
「つまり、私に徐州を下さると」
「陛下の沙汰次第ですが、そのように話は通させていただきます」
「言いましたな?」
突如として、劉備の目に野心のギラついた光が宿った。
なるほど、すぐに食らいつかなかったのは言質を得るためか。
檻に入れておいた虎を、わざわざ野に放つ。
俺が今しているのは、そんな愚行である。
だからといって劉備以外に、徐州をまとめ上げられる人間は居ない。
目前に迫りくる脅威を避けるには、虎に翼を与えるしかない。本当に、今の俺の何と苦しいことか。
「私は兗州にて呂布を迎え撃ち、主力を引き付けます。その間に豫州殿は徐州を奪い、呂布の背後を攻めていただきたい」
「あの呂布を、抑えられますか?」
「勿論。ですが限りがあります。四十日の間に、呂布の背後を攻めていただきたい」
「それを過ぎれば」
「私は死にます。しかしただでは死にません」
「その若さで、恐ろしい目をなされますな」
再び、劉備の目から野心の光が消え、またあのニコニコとした表情に戻る。
この作戦は、劉備に裏切られたら終わりなのだ。自力で包囲を破る術は無いわけだからな。
でもなぁ、一番信用しちゃいけない人にさぁ、命を預けるってどういうことなんだよ。
まーた、荀攸が俺を殺すような戦略を立ててきやがるよぉ……
「お任せください。曹司空殿に救われた命です。必ず、車騎将軍をお救いし、憎き呂布を討ち取りましょう」
「ならば勝利は間違いありません。感謝申し上げます」
盃を上げ、同時に飲み干す。
劉備と面と向かうときはいつも、空気に飲まれないようにするだけで精一杯だな。
・呂布
終末のワルキューレではトール神と戦っていたチート武将。
昨今は戦績がそれほど良くないことから実力が疑問視されたりするが、部隊長としての実力は間違いなく当代随一。
実は色んな人とのお手紙交換を楽しむ一面も。ある程度の学はあったと思われる。
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