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27話 不信感


 張繍を攻めると見せかけ、裏では陳宮が攻めてくるように促し、同時に張繡側と話を付ける。

 これは秘中の秘という戦略だった。いや、戦略というのもおこがましい、お粗末で危険な博打だ。


 賈詡がもし密約を破って攻めてくれば、間違いなくウチの陣営は滅んでいた。

 道連れに張繍の首を何が何でも奪う、それくらいしかできなかっただろう。


 ただ、よく考えればこの戦略は、兗州を統轄する董昭の協力が不可欠なのだ。

 だからてっきり俺は、それとなく董昭には準備をさせていたのかと思っていた。


 張繍を攻める時、背後を守るのが董昭だ。

 でも郭嘉や荀攸は、董昭に情報を一切渡していなかったという。


「別に全容を伝えるべきだったとまでは言わないが、陳宮に対する備えくらいはさせるべきだったと俺は思う」


 俺がこの前線まで駆け付けた時、董昭は不可思議な顔をしていたのだ。

 こうなるのは分かり切っていたのにどうして殿が張繍を攻めたのか、理解に苦しむ、と。


「秘密は守るべきだが、そのせいで損害が大きくなったら本末転倒だ。郭嘉、理由を教えてくれ」


「あぁ……私に聞きますか。正直、まぁ、仰る通りかと」


「はぁ?」


「殿、この荀攸からご説明を。殿は董昭殿を信頼なさっておいでですが、周囲の官僚はそうではありません。当然、この私も含め」


「馬鹿な、嫌いだから省いたと? これは戦争なんだぞ?」


「戦争だからです。信頼できぬ相手に命を預けられないのは人間として当然の話。厳しい言葉になりますが、董昭が裏切らぬ確証はありますか?」


 まぁ、確かに、荀攸の言い分も分からなくはないけど。

 董昭は素行も評判もあまり良くは無いし、ついこの間まで袁紹の下にいた。


 現時点での実績と言えば「許昌遷都」に関してだろう。洛陽に居た劉協を、無理やり許昌に移した一件のことだ。

 これは劉協に付き従っていた粗暴な「白波賊」から、その旗印たる劉協を奪うための謀略だった。


 戦争に汚いもキレイもないが、あまり印象が良くはないその謀略を曹操に吹き込んだのが、董昭だ。

 見事に遷都は成功し、白波賊も追い出した。ただこれは、皇帝を私物化すると天下に宣言するも同じの謀略でもあった。


 こういった実績が、更に董昭の評判を落としていた。

 腕はあるが、信頼は出来ない。だから荀攸の指摘は真っ当なものでもあった。


「それに没我の調べによれば、董昭は汚職を働き、兗州の商人や有力者と秘密裏に金のやりとりをしているとか。ご存じで?」


「……冗談の範疇を超えているぞ」


「冗談ではありません。そしてその金の流れを探ったところ、これはまだ推察の範疇を出ませんが、恐らく、陳宮と繋がっているやも」


「荀攸!」


 思わず、声を荒げてしまった。荀攸もハッとして、そのまま顔を伏せた。

 董昭がもし陳宮と通じていたなら、どう足掻いてもウチは終わりだ。


 没我の調査が入っているということは、恐らく荀彧の報告なのだろう。

 確かに荀彧は董昭を嫌っている。しかし根も葉もない讒言をする人間ではないのは確かだ。


「出過ぎた真似をしました」


「このことは誰にも話すな。そして荀彧殿にも伝えてくれ。もう、董昭を探るなと」


「ですが、それでは」


「痛くない腹を探られて、不信感を抱かない者は居ない。俺は一度信じたら、最後まで信じる」


「あのー……」


 そこで気まずそうに手を挙げたのは、郭嘉だった。


「一応、董昭の上司は俺ですし、この件は任せてもらっても? 別に俺はアイツが嫌いじゃないですし、似た者同士なので」


「確かにそうだが、お前は荀彧殿に近い……いや、そうでもないか」


 郭嘉はどちらかというと荀彧を始めとした、真っ当な名士達に煙たがられている存在だ。

 誰かに配慮する、といった思惑とは程遠いというか。うーん。


「ここで殿が明確に董昭に肩入れすれば、今度は文若(荀彧)殿が不憫だ。ね?」


「……分かった、そうするよ」


「良かった良かった。殿と文若殿には仲良くしていただきたいですしね。それでは殿、書簡を一つ、したためていただいても?」


「書簡? 董昭にか?」


「いえいえ、丁宮殿、及び御母堂に」


 この人は一体、何を考えているんだろうか?

 眉をひそめる俺を無視して、郭嘉はニコニコしながら墨を用意し始めた。



「それで、あの子からは何と?」


「うん? いやぁ、儂の身を案じる文じゃ。忙しゅうて会えなんだことを謝っておる。優しい子じゃ」


 老いているのにスッと伸びた背筋をした爺さんが、嬉しそうに書簡を撫でながら笑っていた。

 名を、丁宮。かつて朝廷において三公である司徒の職に就き、霊帝の崩御と共に政界を退いた大物である。


 この丁宮の姪である丁夫人を娶ったのが曹操であり、丁夫人に養育されたのが曹昂であった。

 かつては威厳を備えた能吏であった大物政治家も、いまや子供達の成長が何よりも楽しみな爺さんとなっていた。


「ふむぅ、早く戦が終わり、直に会えると良いがのぉ」


「おじい様、あの子は今や車騎将軍ですよ? あの人と同じく、これからも戦場に出ずっぱりでしょう」


「なるほどな。酷な世になったものよ。ほれ、使者殿、子脩(曹昂)に僅かばかりだが、あれを。老人には不要の長物じゃ」


 丁宮が小沛から出る際に、不要な家財道具を全て売り払ったときに出た大金であった。

 複数の馬車に詰まれた銅銭や錦織は、平民が一生をかけても手に出来ないほどの量がある。


 これは丁宮のほぼ全財産と言っても良かった。

 老いたといえど、国家の柱であった人だ。国を憂う気持ちは人一倍あった。


「乱世は、儂らの責任じゃ。若き者には、これくらいのことをしてやらねば」


 丁宮はまたニコリと笑い、戦乱の渦中にある曹昂の身を案じ続けるのであった。



・白波賊

黄巾賊の残党と言われてるけど、この時代の賊は大体、黄巾残党って言われる。

あの五大将の徐晃も、元はここの所属とされています。


・丁宮

経歴は大体、文中に出ています。でも丁夫人の縁者かどうかは不明。

分からんけど、この作品では縁者ってことにしています。よろしくです。


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