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26話 一難去って


 敵の騎馬隊が強いのは知っていた。だったらこっちも最強の歩兵「虎士」を惜しみなく使う。

 意趣返しだ。張遼がこちらの左翼を抜くのが早いか、俺が敵の左翼を抜くのが早いか。これはそういう勝負だ。


 どうせ俺なんてたかが「曹操の息子」程度にしか思われていない。

 それなら誰もが劉備に意識を割く。騎馬隊同士の勝負だと、布陣を見て思ったはずだ。


「逆賊、陳宮を討て! 裏切者の首を、父の墓前に据えてやる!!」


 勝負は、俺の勝ちだ。

 俺を甘く見てくれていた。だからこそ掴み得た。


 敵左翼を突き抜け、中央の後方に構えている陳宮の本陣目がけて突進を開始。

 その時、敵本陣に動揺が見えた。それもそうだろう。彼らの中央はすでにこちらの戦列を崩していたからだ。


 明らかに優勢だと思っていた矢先の、敵の出現。

 名将であれば、本陣ごと前進させたはずだ。こちらの戦列を突破しているのだから。


 しかし陳宮は慌てて撤退を始め、後方の守備地に逃げ込もうとしている。

 それを逃すはずもない。全速力で駆け抜け、脇腹に、喰らいつく。


 馬車に乗っている、男の顔が見える。あれが陳宮。

 曹操から離れ、兗州で幾度となく反乱を煽っていた男。


 陳宮を討たない限り、兗州の安定は無い。

 更なる前進のため、戦いながら虎士を密集させていた、その時である。


 強烈な衝撃が前面を襲った。


 馬が風の様に駆け抜け、大砲のごとき衝撃を加える。虎士の足が、止まった。

 見たことはないが一目で分かった。あれが、張遼だ。


「殿、ここは一旦退却を。敵の騎馬隊の救援です。あれを抜けて陳宮を討つのは厳しいかと」


「逃がしてくれるだろうか」


「敵右翼が退いて救援に駆け付けたなら、こちらの左翼が前に出れます。敵もまた、退かざるを得ないかと」


「惜しかったな……分かった、退こう」


 全身が熱く、アドレナリンが湧き出ているのが分かる。

 鼓動が五月蠅いほどに胸を叩いていた。



 この一戦で「山陽郡」まで進出していた陳宮軍の足止めに成功。

 陳宮は状況の不利を見たのか軍を返し、小沛にまで撤退。俺たちは敵の撃退に成功したのだ。


 夏侯惇が兗州の西部を引き締め、于禁が陳宮に靡きつつあった東部の泰山郡を制圧。

 更に、董昭が夏侯惇に合流し、何か仕事をしたらしい。更なる反乱が起こることはなかった。


 そして俺はというと劉備と共に山陽郡に留まり、任城郡には曹仁をおいて小沛の動向を見定めていた。

 見定めていたつもりだったんだ。しかし呂布はそんな俺を嘲笑うように、意識の外を超えていった。


 呂布が千騎を率い、北上していた五万の袁術軍を大破。袁術は軍をまとめ寿春へ逃げ帰った。

 その報告を聞いた者はみな、耳を疑ったのだった。



「詔を告げる。鎮北将軍『曹昂』は、逆賊たる袁術と内通していた董承の悪を裁き、陳宮の侵攻を阻むなど、その功績は余りに大きい。朕はその功に報いるべく、曹昂を車騎将軍、及び廷尉に任じ、仮節鉞を与える」


「身に余る光栄。必ずや賊を討ち果たし、陛下のご恩に報いる所存に御座います」


 割符を受け取り、朝廷より派遣された使者に跪き、皇帝の居る方角に頭を下げる。

 荀彧が上手く取り計らってくれたのだろう。これで俺は名実共に、曹操の後継者になることが出来た。


 一通りの儀礼が終わり、俺はそのまま居室に戻る。

 そこには荀攸と、朝廷から足を運んできた郭嘉の二人が待っていた。


「殿、昇進の件、おめでとうございます。それと丁宮様に関しても、無事、屋敷の方へお連れいたしました」


「ありがとう荀攸。忙しくて大叔父殿にはまだ会えていないが、聞く限り元気そうで何よりだ。それで郭嘉、都の様子は」


「緊張に包まれておりますな。董承の一族諸共を処刑したのですから、その惨状に皆が怯えています」


「じゃあ、より善政を意識しないとなぁ……税率とか下げとく?」


「いや、文若(荀彧)殿の仕事をこれ以上、増やすのは。ただでさえ国庫は空なのに」


 そんな苦い顔せんでええやん、二人とも。


 そう、今の問題はこれ。蓄えがマジでカツカツの空っぽで、戦争の続行が非常に厳しいのだ。

 曹操陣営は「屯田政策」によって財政を立て直したといわれるけど、これはだいぶ先の話。


 そもそも屯田政策が立案されたのが去年だ。

 こういう根幹的な政策が実を結ぶには十年単位で経過を見ないといけない。


 ホントにさぁ、こんな状況で、なんで曹操はあそこまで勢力広げられたん?

 意味分からんが?



「そういえば文若殿より伝言があります。西方の状況が不安定なため、早急な処置が必要と」


「関中一帯の話か。あぁ、そっか、そこまで考えないといけないのか……」


 かつて董卓が都と定めた「長安」。

 董卓の残党も消滅した今、荒れ果てた都は一応ウチの管轄になっている。


 ただ西方には羌族を含めた、朝廷に従わない軍閥が多く、馬鹿みたいに維持が難しい。

 だからと言って長安は軍事的にも重要な位置にあり、放棄するには損失が大きすぎる。


「荀彧は、誰を推挙している」


「鍾侍中(鍾ヨウ)殿を司隷校尉とし、西方統治に関する全権を委任すべきと」


 荀彧の同僚である潁川郡の名士、鍾ヨウ。

 史実でも確かに彼が長安に赴任し、この難しい土地の維持を担っていた。


「分かった。鍾ヨウに統治の一切を任せる。承認を求める必要はない」


「ではそのようにお伝えします。それで、殿はどうして私と公達(荀攸)殿をここにお呼びになったのですか? 呂布の件ですか?」


「あぁ、その話をしておかないとな」


 生憎だが、今のところ呂布も劉備も対応は後回しだ。どうせやれることはない。

 それよりももっと、ハッキリとさせておかないといけないことがあった。



「何故、董昭に今回の戦略を伝えなかった。伝えていれば、陳宮の侵攻を事前に防げたはずだ」



・屯田

軍隊が駐屯地で行う軍屯と、民衆に開墾させる民屯がある。曹操がやったのは後者。

当時は政情不安で流民が大量発生したため、民の定住化が急務であった。

そこで曹操は民に田畑を与え、軍で土地を守り、定住の地を確保していった。


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[気になる点] >小説映えするかなぁと思って、マラソンをサンプリングしてたのバレちった……(笑) ……なんかごめんね。 今後はこの手のコメントは、もっと慎重にします。……多分。 [一言] 前の話の…
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