23話 最後の劉
北方の幽州出身者の武人は総じて大柄と聞いていたが、特に目を見張る巨躯だ。
長く垂れた腕に、大きな耳、しかし顔には未だに子供っぽさが残る大男。これが、劉備か。
にこにことしながら無邪気に駆け寄り、ズカズカと人のパーソナルスペースへと踏み込んできて、勝手に俺の手を握る。
その長い腕でぶんぶんと上下に振られると、マジで俺の肩が外れそうだから止めてほしい。
「いやぁ、お初にお目にかかるかな! 劉玄徳と申す!」
「こ、これは、劉豫州(劉備)殿、わざわざお呼び立てして、申し訳ない」
「いやいや何を水臭いことを! 曹司空(曹操)殿の件は、まっことに残念であった。何か恩返しが出来ないものかと、ずっと思っておった」
「お心遣い、痛み入ります」
なるほど、これは食えない男だ。大きな体をギュッと小さくしながら腰を折り、喜びに悲しみと表情を忙しなく変える。
人の上に立つに相応しい人物というのは、こういう人間のことを言うのだろう。
呂布に徐州の地を奪われ、袁術に追い詰められながらも長いこと抵抗し続けた武将。
本拠地も奪われ、大軍に迫られながらも兵士は劉備から離れなかった。これが、劉備という男の恐ろしさだ。
戦乱に喘ぐはぐれ者達をまとめ上げるマフィアのボス的な素質を持ちながら、社会的な名士からの支持も集める。
例えば高名な儒学者である「盧植」「鄭玄」「孔融」などが劉備を支持していた。普通ならあり得ない人心掌握術だろう。
「それと、夏侯淵将軍ですな! ご令嬢は元気にしておりますぞ!」
「それは何よりです」
「戦場では頼もしいあの張飛が、家ではすっかり嫁の尻に敷かれているのだから面白い! 良い嫁を貰いました!」
「ほう」
瞬く間に空気を和やかなものにすると、劉備は俺と夏侯淵を先に座らせ、後から自分の席に座った。
湯気の立つ酒を従者がそれぞれの席に用意する。簡単な話の場であるため、食事の用意はしていない。
「曹鎮北(曹昂)殿、小沛を守り切れなんだこと、お詫び申し上げる」
「何故、一戦もせずに退いたのですか。陛下より賜った任地でしょう」
「曹司空の戦死、そして賊である董承の処刑など、これらは我らにとって不測の事態であった。この書簡を、ご存じかな?」
劉備より手渡された書簡。これは、董承から劉備に宛てて書かれたものであった。
簡易的に言えば、劉備は帰還して車騎将軍府に属することになったという内容である。
そしてここに書かれてはいないが、恐らく劉備と任務を交代することになったであろう人物が、俺だ。
董承め、裏でこういうことをしていたのか。ちゃんと皇帝の印も押されてある。
荀彧がこのことを知らないとなると、董承の権力掌握は案外早く進んでいたのかもしれない。
「これにより私はてっきり、小沛を去るものだと思っていた。事態が急変しすぎていてよく分かっていなかったのだ」
「なるほど、承知した。董承の件は存じていなかったと。これで陛下の信任篤い劉豫州殿を、罪に問わずに済む」
「背筋の冷える想いがしました」
先手を打って身に降りかかる余計な疑いを晴らすか。
まぁ、呂布と交戦するにあたって劉備と敵対するなんてことは出来ないんだけど。
呂布の領する徐州に攻め込むにあたって、劉備の輿望は必要不可欠だ。
その領地の現地民の協力ほど力強いものはない。ただ、劉備をどう御するかで話は変わっても来る。
「ただ、任地を守り通すことは出来ませんでしたが、曹鎮北殿の大切な御方はしっかり、お守りいたしました」
「大切な人?」
「丁宮殿に御座る」
丁宮。一世代昔に、朝廷の最高官位である「三公」の地位に昇った政治的な大人物である。
そしてこの丁宮は、丁夫人の、いや、母上の叔父という人物でもあった。
政界から引退すると郷里である沛国に帰っていて、そこを劉備に保護されたのだろう。
確かに、今の俺の最大の後ろ盾とも成り得る人物だ。どこまでこの劉備は、周囲のことを探っているのだろうか。
あの曹操と肩を並べる人物だ。
本物の「偉人」を前に、圧倒される気分が拭えない。
「感謝してもしきれませぬ。我が母上もお喜びになるでしょう」
「敗軍の将が、最低限のことをしたまでです」
「謙遜なさらないで下さい、劉豫州殿が居て心強く感じます。共に呂布を追い出し、陛下にご安心いただきましょう」
「未熟な身なれど、粉骨砕身の想いで陛下と、そして曹司空殿のため、逆賊を討ち果たす所存に御座る」
差し出された長い腕。俺はその手を握り、力を込めた。
大きく広い、俺の手の平を飲み込まんとする手。だが、負けるものか。
呂布を討つのは、俺だ。
乱世の流れを自分のもとに引き寄せる、その為の戦なのだから。
・劉備
三国志の主人公格。蜀漢王朝の始祖。大泉洋さんが演じた人。
史実の三国志を学ぶにつれ「好き→嫌い→好き」みたいになるらしい。
マフィアのボスなのに社会的な名士とも縁が深いというスーパー世渡り上手。
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