15話 仇敵の使者
鬼武者は、荒れていた。今は亡き主君の姿を思い浮かべながら。
若き頃は気に入らない人間を素手で殴り殺すほどの暴れ者だった。
しかし、曹操という天才と出会い、全てが変わった。自分の命はこの男のためにあるのだと思った。
そこからは勉学に励み、兵の言葉をよく聞き、人望の厚い将軍として振舞い続けた。
それが曹操のためになると思ったからだ。しかしその男はもう、この世に居ない。
「殿は、何を考えておるのだ! これでは俺は、孟徳に会わせる顔が無い! 夏侯淵、酒だ!!」
「兄者、もうその辺で酒はやめた方が良い。ただ、言いたいことは皆が分かっている。俺だって不満さ」
「宛城での、殿の姿に俺は心が震えた。まだ孟徳の意志は死んじゃいないと思った。しかし今はどうだ。郭嘉や董昭らの横暴を咎めるどころか、共に享楽に耽る始末だ!」
「荀彧殿にも相談はしたが、首を振るばかりだ。何度か殿を諫めてはいるらしいのだが」
「ならば俺は、この首を斬って孟徳に詫びる。殿の目を、覚まさせてやる」
「は、早まるなよ兄者!」
「分かっている! だが、こうでも言わんとやっとられんのだ!」
まだ日も高い昼間に、夏侯惇は酒を飲んでいた。毎日のように、諸将からの不平不満を聞き続けているのだ。
我慢も限界のところまで来ている。このままでは本当に、曹操が育て上げた軍部が崩壊してしまう。
例え崩壊しても、いくら曹昂が腑抜けてしまっても、自分の命は変わらずに曹昂に預けるつもりだった。
ただ、それでも、この失望と怒りはどうしても抑えきれなかった。夏侯惇もまた、一人の人間なのだ。
「御免。伝令に御座います」
「なんだ!!」
「夏侯惇将軍、夏侯淵将軍、ただちに宮廷へお越しください。張繍より、使者が訪れたとのこと」
「っ」
自分の全てを奪った、憎き男の名前である。
夏侯惇と夏侯淵は、額に血管を浮かべて立ち上がった。
◆
「こちらが、曹司空(曹操)様、そして曹諫義大夫(曹洪)様、程兗州都督(程昱)様の首に御座います。お確かめくださいませ」
髭の長い、老いた使者であった。怒りに震える諸将らを前に一つも動じていないが、恐らく死を覚悟しているんだろう。
そりゃそうだ。今や俺らにとって張繍は仇敵であり、交渉の余地なんて一つもない。にもかかわらず、こうしてのこのこと現れた。
こちらの怒りを天下に示すためにも、使者は殺されて当然とも言えるだろう。
「董車騎(董承)殿、どうかこの男を我が手で斬り殺す許可を。父の墓前に供えたく思います」
「曹鎮北(曹昂)殿よ、気持ちはよく分かるが、陛下の御前だ。将軍方も落ち着かれよ。話を聞いてからでも、遅くはあるまい」
困り顔でどこかへらへらとしている董承の言葉は、夏侯惇を始め、多くの将軍達の気を逆撫でる。
しかし、確かにここは陛下の前だ。宦官らが首の入った複数の箱を受け取り、一旦、別室へと移動させていく。
「はてさて、それで使者殿よ、どのような面を下げてここに来られたのかな? 御覧の通り我らは怒りに震えておる。まさか殺されに来たのではあるまい」
「申し上げます。張繍は城や兵糧物資などを、荊州牧の劉表より借り受けているに過ぎず、先の戦も劉表の指示によるもので、張繍は逆らうことが出来ませんでした」
「なれば張繍は、劉表に責があるというのだな? それはあまりに身勝手が過ぎよう」
「いえ、さりとて圧力に逆らえず戦を仕掛けた責は張繍も分かっております。もし陛下のお望みとあらば、張繍はその身を縄で縛り参内する所存。されどそれでは、劉表に対する怒りが晴れません」
「ほう、それでどうするつもりかな」
「劉表を討ちます。それが叶い次第、荊州牧の印綬と共に張繍はこの場に参内し、腰斬に処される覚悟に御座います。人質として、張繡の従弟も数名連れて参りました」
なるほどな。確かに張繍も張繍で、今は苦しい立場にあるというわけか。地盤を持たない傭兵隊長に過ぎないという状況だからな。
勿論、罪に服する気持ちなんてさらさらないだろう。ただ、地盤を得るための猶予期間が欲しいだけだ。
下手に出てはいるが、脅しにも受け取れる。ここで拒み、そして使者を斬れば、劉表と結託するかもしれない。
今の俺に、呂布や袁術と同時に、張繍と劉表を相手にするだけの余力はない。しかしここで張繍討伐の意思を示さなければ、恐らく。
「言わせておけば、このゲス野郎がっ」
「夏侯惇!」
我慢の限界に来たのか、夏侯惇が列を離れて使者の方へと歩みだす。
その大きく岩のような拳は固く握られており、俺の制止の声も届いてはいなさそうだった。
慌てて側にいた夏侯淵と曹仁が夏侯惇を押さえつけ、何とかその足を止める。
夏侯惇はもがきながら、涙を浮かべた鬼の形相で俺を睨みつけていた。
「曹仁、夏侯淵。すまないが、夏侯惇殿を外へ。陛下に失礼だ」
「殿! 何故、こいつを殴れと命を出してくれないのだ! 殿は、悔しくはないのですか!?」
「早く連れていけ!!」
曹仁と夏侯淵が不安な面持ちでいる中、数人の衛兵も出てきて夏侯惇を外へと運び出す。
その様子を見ていた董承は、フンと不快気に鼻を鳴らした。
「あー、陛下、董承は思いますに、使者の言葉に一考の余地はあるかと存じます。曹鎮北殿は、如何かな?」
「臣は張繍を討ちたく思います。父の仇なのですから。されど、同時に漢の臣下でもあります。群臣の意見も聞かなければなりますまい」
「賢明であられる。それでこそ、曹司空殿の嫡男よ」
不敵にほほ笑む董承を横目に、俺は劉協に向かって深々と首を垂らした。
・夏侯淵
超高速の進軍速度が自慢の武将。「兵は神速を貴ぶ」の体現者。
五虎大将軍の黄忠が有名になれたのは、この夏侯淵を討ったから。
この作品では夏侯淵は夏侯惇を「兄者」と呼んでいますが、血縁的には兄弟ではなく同族の親戚。
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