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14話 首の行方


 広間に数多の箱が並べられていく。これらには全て、塩漬けにされた首が入っていた。

 先の、宛城での戦における「戦果」である。あまりにも大きな戦果であった。しかし、大きすぎた。


「やはり、突き返されたか」


「どうするのだ、軍師殿」


 その広間で、眉間に皺を寄せて唸る壮年の男が一人、そしてその隣には一人の若武者が立っていた。

 若武者は名を「張繍」と言い、その張繍に軍師と呼ばれているのが「賈詡」である。

 先の戦で見事、曹操軍の隙を突いた奇襲作戦を行い、大戦果を挙げた軍の当主と参謀だった。


 賈詡は疲労でやつれたような顔色をしており、目の下には濃い隈が浮かんでいる。

 そして張繍の方は、涼州出身の若武者らしい、真っすぐで向こう見ずな性質がその顔に現れていた。


「恐らくですが劉表は、我々への援助を減らし、弱体化を図るはずです。こうして曹操の首を突き返してきたなら、猶更、我らへの関与を断ちに来るかと」


「そんな……この南陽郡とて劉表殿からの借りものだ。兵糧の援助が無ければ、軍の維持すらままならぬ!」


「だからこそあそこで、曹洪と程昱の部隊を壊滅させた時点で、曹操軍に総攻撃をかけるべきだったのです。そうすれば劉表と我々は互角になれた」


「し、仕方なかった。劉表殿が危急を告げる伝令を飛ばしてきたのだ。攻撃を止めろと」


「劉表は殿にこれ以上、功を立てられたくなかったのです。と、何度もお伝えしたはずですがね」


 落ち込む張繍を横目に、賈詡は溜息を吐く。とはいえこうなることを予測できなかった、自分が悪いのだとも思っていた。

 確かに曹操軍を夜間に急襲し、敵を壊滅させるための算段は全て自分が組み立てたものであり、張繡はよく戦ったのだ。


 本気で、曹操の首を取るつもりで策を編んだ。しかし心のどこかで、曹操が本気で死ぬとは思っていなかった。

 天才だったのだ、曹操という男は。あらゆる戦場で規格外の才能を発揮してきた。秘かに、憧れてもいた。


 その天才の首が、今、自分の手元にある。

 曹安民、曹洪、程昱の首もある。典韋だけは遺体の損傷が激しく、埋葬する他無かったが。


「嫡男である曹昂、あの男を逃がしたのが痛かったですね。あれさえ討てていれば、殿は今や大将軍にも三公にも昇っていたでしょう」


「軍師殿よ、これから俺はどうすればいい。どうか導いていただきたい」


 張繡は、戦うしか能が無かった。しかしそれを自分でよく分かっているからこそ、賈詡は彼を殿と呼んでいた。

 賈詡の考案した進言や作戦を躊躇うことはあれど、拒んだことは一度もなく、素直に健気に従ってくれる。まるで父に従う息子の様に。


「殿が選ぶべき道筋は三つです。一つ、北上して曹昂軍を降し、天下に号令する。二つ、劉表を飲み込み、江南で覇を唱える。三つ、劉表の臣下となり、冷や飯を食う」


「一番簡単なのは」


「三です」


「困難なのは」


「二です」


「なに、一ではないのか? 曹操を殺したとはいえ于禁や夏侯惇といった将が揃っていて、もし対決すれば決死の覚悟で抵抗してくるだろう。しかも我らは劉表殿からの援助が受けられん」


「ですが劉表に我々を背後から攻める余力はありません。領内では根強い反乱が起きているし、東には孫策が居りますので。されど我々が劉表を攻めるとなれば、曹昂は動く」


 曹操軍の名だたる者達を、殺し過ぎた。普通、事前に立てた作戦は、四割が成功すれば上出来と言えるのが戦だ。

 ただ今回は、八割以上が上手くいってしまった。曹昂を逃した。その一点だけだろう、失敗と言える失敗は。


 事前の情報では、曹昂は「よく出来た息子」でしかなかった。乱世を乗り越えられる器量など持っていなかった。

 しかしどうだろう。曹操が死んでも、不安定ではあるが、何故か陣営が崩壊に達していない。


 もしかしたら自分の取りこぼしたこの一粒の偶然が、後々、大きな禍根を残すことになるかもしれない。

 故にここで曹昂を倒すと張繍が言えれば、賈詡は自分の生涯の全てをこの男に捧げ、天下に大業を打ち立てるつもりであった。



 だが、それが言える男ではないことを、心の中で既に分かってもいた。



「軍師殿に、決めてほしい」


「これは殿の問題です。私が決めるべきものではない」


「……聞けば、曹昂は父の仇である我々よりも、袁紹や呂布に対しての警戒を強め、兗州を中心に人事の変更を行っていると聞く。そうだな?」


「程昱の後任に、袁紹陣営から逃げてきたばかりの董昭を据えたとか。明らかに袁紹を意識はしております」


「ならばまだ話し合いの余地があるのではないか? この首を今度は朝廷に返し、一時的な不可侵を結ぶ。その間に荊州を飲み込み、基盤を整え、曹昂との決戦に臨む」


 自分達は、曹昂にとって親の仇であり、不倶戴天の敵だ。曹操はかつて父の仇を名目に、徐州のあらゆる命を刈り取ってもいる。

 曹昂はそんな曹操の息子だ。話し合いが成立するはずがなく、和睦などもってのほかだ。


 それに、もしもこれが成立してしまえば、間違いなく曹昂は父を超える存在になる。

 父の仇を二の次や三の次に置いて、天下の情勢を見渡せるような男に、誰が勝てるというのだ。

 賈詡は思わず眉間にまた深く皺を刻み、重くなった頭を片手で支える。


「こ、交渉が決裂すれば、曹昂を攻める。されど成立したら劉表を攻める、というのはどうだろうか?」


「御意」


 妥当と言えば、最も妥当な回答だ。しかし、ここで即決できないところに、張繍という男の弱さがある。

 元より叔父の張済が戦死したことで、急遽軍閥を継いだだけの若武者なのだ。部隊長としては優秀だが、君主という器ではない。


 そんな男を補佐するのが、自分の運命であり、腕の見せ所なのだろう。

 賈詡は言い表せない不安をぐっと飲み込み、冷えた指先を擦り合わせたのだった。



・張繍

叔父の張済から急遽、軍閥を引き継いだ武将。後に曹操に降伏。

かの有名な曹丕にいびられて自殺したなんて逸話があったりする。


・賈詡

君主を転々と変えながら乱世を渡り歩いた謀臣。

絶対に曹丕にいびられそうなのに、ちゃんと寿命を全うした保身のプロ。


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― 新着の感想 ―
[一言] 賈詡は仕官させておきたいねぇ ただの一度も献策の誤りがなかったと言われるほど鬼謀の持ち主だし
[一言] 今回の更新の、劉表と張繍の曹操の首のやり取りの話を見ていて、 ふと、曹操と孫権の間での、関羽の首の押し付け合いという、心温まる史実を思い出しちゃいましたw 話は逸れますが、史実で曹丕が張繍…
[良い点] これは曹操死んだし、最後まで上手く生き抜くことに定評のあるカクもやばそう。 というよりはだれが死んでもおかしくない緊張感。
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