114話 対面、劉表
ホクホクとした笑顔の張遼と、明らかに納得がいってないような不満顔の夏侯惇と曹仁。
無事に、しかも当初の予定よりも随分と早く帰還した彼らからその事情を聴くのが、今日の俺が一番最初にやらないといけない仕事らしい。
「張遼! 今回は運が良かったからいいものの、本隊を置き去りにして、勝手に交戦するとは何事か!!」
「そうは言うがな、大都督(夏侯惇)。獲物を目の前に矢を射ない狩人など居ないだろ? まぁ、結果は大成功なんだから、今は喜んどきましょうや!」
「勝手な行動をするなと言っているのだ!」
「それで司空(曹昂)。戦勝の宴はいつやるのだ?」
「話を聞けい!!」
「まぁまぁ、大都督。将軍に独断行動を許したのは私だ。ひとまず落ち着いて」
なんというか、根本的に噛み合ってないな。この二人は。
張遼は戦場で自由に生きてきた、いわば獣に近いような軍人だ。獣に軍規の話をしても意味はないだろう。
今までのウチの軍は、夏侯惇や于禁といった重厚な大将の下、軍規が特に重んじられてきた一面もある。
急に入ってきたこの特殊な部外者に、まだ皆が慣れていないのだ。夏侯惇が怒るのも無理はない。
「とりあえず今回は、よくやった。夏侯惇、曹仁、張遼。この三人だからこそ、武運が掴めた。そうだろう?」
「いやぁ! 司空はよく分かっておられる!」
「ぐぬぬ…」
「ひとまず戻ってゆっくり休んでくれ。宴席の準備も進んでいるから、ね?」
これ以上は埒が明かない。それが分かっているからこそ、夏侯惇も曹仁も何も言わずに部屋を後にした。
夏侯惇はそれこそ、今回の一戦に決死の覚悟で挑んでいたわけだ。肩透かしを食らったような気分なんだろうな。
ま、誰も怪我をせずに済んだ。運が向いているというのは良いことだ。うん!
張遼の扱い方もこれからちょっとずつ慣れていけばいいのさ!
「ふぅ…それで劉曄、お客さんのほうは?」
「別間に通してございます」
「案内してくれ」
◆
その男を目にしてまず驚いたのは、その巨躯であった。細く長く、しなやかな"竹"のような老人だ。
これが劉表か。何とも食えない古狸。しかし流石にこの現状に落ち込んでいるのか、しょぼんと縮こまっていた。
「こ、これは曹司空! お助けいただきまことに感謝いたしまする」
「司空・車騎将軍の曹昂と申します。礼には及びません。頭を上げてください」
倍以上の年齢差があるというのに、劉表は些かやり過ぎなほど頭を下げて、感謝の言葉を吐き続ける。
だがその言葉は俺の心には、不自然なまでに響かない。なんというか、おべっかを言ってるっていうのが分かるんだよなぁ…
劉表と共に同席しているのは数人の文官らのみ。最後まで劉表に付き従ってきた者達だ。
黄忠や文聘といった名のある武官達も居たが、彼らは怪我を負っていたのでここに同席はしていない。
ちなみにあの「王威」という烈士は、劉表を守るために城に残り、甘寧に討たれたとか。
多くの者達を切り捨てて、劉表は生きる道を選んだ。まだまだ油断ならない男だろう。
「え、へへ、それで、そのぉ、司空はこれから如何なされるおつもりで? 襄陽を奪還してはいただけたりなどは…」
「李厳が宛城から南陽郡の戸籍やら重要書類、物資のほとんどを運び出したり、焼却しております。なので奪還は愚か、宛城の維持すらままなりません」
南陽郡の民の多くは非協力的。それどころか苛烈に抵抗を繰り返すありさまで、こちらの兵站での被害も少なくない。
そんな中でこの最前線である宛城を維持しようとすれば、少なくとも三万の兵力を常駐させる必要がある。
その三万の兵力で各地を慰撫し、徴兵や徴税を行える体制を整え、増援も含め十万規模の兵力を迅速に整えられる状況にしないといけない。
勿論、そんな余力は一切ない。こっちも兵力や物資はカツカツ。特に一番の問題である兵糧。これがどう考えても足りない。
「そ、そこで一つ提案なのですが、あのぉ、儂の荊州牧の印綬をお返しいただければ、その権限でもって民衆を慰撫し、張繍の内側を乱すことも出来ます。宛城も維持できるかなぁ、と」
「なるほど、確かに長く荊州を統治してきた実績もあられる。荊州の人々の心を掴むには、貴殿の名前は特別な意味を持つ」
「そうでしょうそうでしょう!」
「されど劉景升殿、些かそれは我儘が過ぎるかと。貴方がこれまで朝廷に示してきた態度、覚えてないとでも?」
「うっ」
「何故、朝廷の意向を無視してこられたのか? 陛下が行うべき漢室の祭祀を、何故、貴方が勝手に行っていたのか?」
「いや、それは、そのぉ、董卓のせいで朝廷は乱れておりましたしぃ、仕方なくというかぁ…」
「我が父・曹操が戦死したあの戦で、張繡の後援をし、戦うように仕向けたのは誰であったか」
「お、お許しを…」
まるで皇帝にでもなったかのような振る舞いの数々。
劉協を擁しているこちらからすれば、それらを見過ごすことは出来ない。
「はぁ…別に罰しようというのではありません。朝廷には貴方を慕う官僚や学者も多いですしね。一度、陛下の前で申し開きをなさいませ。それが筋というものです」
「むぅ、なれば、宛城は如何になされる」
「こちらで追々考えまする。そして、劉景升殿。もし快く許昌に来ていただけるのなら、こちらを振舞いましょう」
俺が手を叩くと、従者達がテキパキと長机に青銅の盃を準備し、そこに少量の酒を注いでいく。
これはかつて曹操がマニュアル化したとされる「九ウン春酒法」によって製造された名酒である。
まだ全国に流通させるほどの余裕はなく、皇室や朝廷の長老たちの間でのみしか飲まれていない、幻の酒と言ってもいい。
董昭が調略の際に、嫌というほど劉表の酒好きの情報を聞いたと言っていたため、一応、持って来ていたのだ。
「なんという酒か。これほど離れておるのに、鼻の奥を殴りつけてくるかのように香しい…」
「どうぞ。毒は入っておりません」
俺も注いでもらった酒を一気に煽る。
この時代の酒は、いわゆる「どぶろく」が主流で、アルコール度数を高くする技術も発達していない。
しかしこれは違う。日本酒や紹興酒のように麹でじっくりと発酵させて作るため、度数も高くなる。
俺が飲んだのを見て、たまりかねたように盃に手を伸ばした劉表は、それを一口で飲み下した。
「う、ガッ…」
「如何でしょう」
「いやはや、これは、ほぅ、凄まじいな。まるで酒の暴力だ。一瞬、毒でも飲んだかと思うほど喉が熱くなったが、それもすぐに冷め、そのあとに酒の香りと味が内側から殴りつけてくる。危険だ。この酒を飲めるのなら、死んでも良いと思えるほどに」
「予備の酒は許昌に御座います。さて、都に来ていただけますかな?」
「勿論!」
噂に違わぬ、大の酒好きで助かった。
先程まであんなにしょぼくれていたのに、今の劉表はまるで別人かの如く、顔に喜色を滲ませていた。
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