111話 混迷の乱世
天下の南方は、激動の最中にあった。
まず、曹昂軍は張繍軍の大将"胡車児"を討つという奇跡的な勝利を挙げ、更には宛城までをも抜いたのだ。
だがその中で張繡の本軍は、その敗戦を大きく塗りつぶすかの如く襄陽と樊城を奪取し、荊州の要の土地を掌握してしまった。
劉表は逃げ、穣という決して固いとは言えない城に逃げ込み、最後の足掻きを行っている。
頼みの綱は盟友関係にある曹昂軍だが、南陽郡では曹昂の占領を不服とした反乱が相次ぎ、その曹昂軍は上手く身動きが取れないでいた。
しかしここでまた新たな風が吹く。
混乱極まるこの絶好の機会を前にして、父の仇である黄祖をもう一歩のところまで追い詰めていた孫策軍が撤退したのだ。
理由は、寿春にて天下の動乱を虎視眈々と眺めていた「徳の将軍」が、動いたからだ。
劉備は物資も兵も少ない。江東を攻めても追い返されると、誰もが思っていた中での出陣である。
それは何故か。孫策軍の根拠地である揚州呉郡を中心として、大規模な反乱が一斉に吹き上がったからだ。
江東の豪族らを徹底的に力で従属させていた孫策を倒すため、地元の豪族や民衆に至るまで、多くの人々が「徳の将軍」に縋りついたのだ。
予め筋書きが決まっていたかのような、周到な根回し。
まるで、江東の人々と深く関わり、孫策陣営の内情をよく知る者によって用意された舞台かのようだった。
この一大事に孫策軍は退却。これによって豫州で孫策軍に備えていた汝南の満寵軍に余力が生まれ、それが南陽郡に投入される。
曹昂はその増援を董昭・夏侯淵・李典に預け、退路の確保に専念させることとした。
あとは張遼・曹仁が率いる部隊を夏侯惇に預け、劉表救出のために急ぎ穣の城へ向かわせる。
こうして曹昂は全ての片が付くまで、じっと宛城に腰を据え、大小さまざまな報告の精査に時間を費やすことになったのだ。
◆
軽騎兵と軽装歩兵、合わせて二千にも満たない少数精鋭部隊。
行軍速度と物資面を考えれば、これが夏侯惇に委ねることが出来る最大の兵数であった。
目的は劉表の身柄の保護。それをするには穣の城を包囲する猛将"甘寧"の部隊を打ち破らなければならない。
夏侯惇と甘寧は一度、戦っている。郭嘉が戦死した昆陽での戦いで、特に猛威を振るっていた敵将が甘寧であった。
「子孝(曹仁)よ、戦の指揮はお前に全て任せる。頼んだぞ。ところで張遼はどこへ行ったのだ」
「あそこは指揮権が独立していますからね、よく分かりません。考えるだけ無駄でしょう」
「役に立つのは事実だが、何とも釈然としないな」
張遼が率いる騎兵、およそ三百。完全な遊撃部隊として独立しており、どの道をどう進んでいるのかすら分からない。
ただでさえ軍規がしっかりとしている曹昂軍の中で、この新参の猛将は明らかに異質な存在であった。
夏侯惇と曹仁の部隊は軽装とはいえ歩兵も抱えているから、全速力で目的地に向かうということは難しい。
しかも既に敵の影響力が濃い地域に入っている。いつでも戦えるよう体力を出来るだけ残しながら急がなければならなかった。
そんな進軍をまどろっこしく思ったのか、張遼はすぐに夏侯惇らと離れ、先に駆けて行ってしまった。
斥候も兼ねている先行部隊として助かる反面、あまりに勝手な行動に夏侯惇と曹仁は調子を乱されてもいた。
「あの使者として来た王威とかいう烈士は、城に入った頃だろうか」
「昼夜も問わず駆けていたなら、もっと早くに到着しているかと。それで大都督、甘寧というのはどういう敵将で?」
「うむ。とにかく強い。甘寧もそうだが、奴の率いる直下軍はとにかく精鋭揃いだ。侠の出身だからか、結束力がまるで違う」
「そういえば劉豫州(劉備)も侠の出身でしたな。関羽に張飛、確かにあそこも直下軍が並外れて強い」
だが、だからといって無敵というわけではない。
彼らは強固に結束しているが故に、部外者の干渉をとことん拒むという性質がある。
ようするに周囲と協力できないのだ。仲間を重んじすぎるが故に、周囲や、果てには社会から孤立する。
戦争孤児や罪人や鼻つまみ者など、孤立した人間だけで形成されている集団だから当然と言えば当然の話でもある。
侠の出身ながら世渡りに長け、徳の将軍などと呼ばれている劉備とは異なり、甘寧は徹底した侠の気質の武人。
つまり甘寧の率いるその最強の直下軍さえどうにかしてしまえば、戦況を動かすことは不可能ではない。
「目的は劉表を保護することです。甘寧を打ち破ることではない。我らの軍で甘寧の直下軍を翻弄し、劉表軍に内側から包囲を破らせる。そして逃げる。これが我らのやるべきことかと」
「なるほど」
「ただ穣の城は北面に河川が流れており、そこに橋がかけられてはいますが、甘寧はその橋を落とそうと躍起になっているでしょう。劉表軍もその唯一の退路を決死で守っているとは思いますが」
「つまり橋を落とそうとしている甘寧軍だけは、絶対に破る必要があると」
「はい。橋を確保した後、対岸に渡って甘寧を翻弄しなければならないので」
とにかく難しい戦であることはよく分かった。
難しい顔をして唸る夏侯惇。そんな彼の下に届いた急報。
──先を走る張遼の部隊が、甘寧の斥候部隊と交戦状態に入った。
まだ穣の城までは距離があるというのに、アイツは何をしているのだ!!
顔を真っ赤にしながら、どこまでも響くような怒鳴り声で夏侯惇は叫んでいた。
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