109話 祝え
「大都督(夏侯惇)、総攻撃の号令を」
「総攻撃だ! 太鼓を鳴らし、牙旗を振れい!!」
空が白み始めた早朝。本当に宛城の東門から火の手が上がり、そこから敵兵が飛び出してきたのだ。
その光景に、工作の話を半信半疑に聞いていた夏侯惇も、そして劉曄でさえ驚いた顔をしていた。
ただ、一番驚いたのは俺だ。
あの夜に届いた一通の書状は、まさかの「李厳」が差出人だった。
蜀の高級な錦に綴られた、美しく整った筆跡。育ちの良さや学識の高さを見せつけてくるかのようだった。
内容は、簡単に言えば「内通してやる」とのこと。その証として、この東門を事故に見せかけて開くと言ってきたのだ。
そして同封されていた煤けた一通の書状は、まさかの「郭嘉」が残したものであった。
昆陽の城が攻められ、命を落とした郭嘉。焼けていく部屋で李厳と対峙し、この書状を託していたらしい。
内容は郭嘉から李厳に宛てたもの。見覚えのある筆跡に、不意に目頭が熱くなる。
李厳を始めとした荊州人士は、曹昂と張繍、どちらに付けば利があるか。簡単に言えば、そういう内容。
『郭軍師は言った、司空は軍規と論功を最も重く見ると。張遼の処遇の件を聞き、納得した。相応の対価を期待する』
朝廷に矛を向けている以上、張繍に大義は薄く、漢室を尊ぶ荊州人士は涼州の田舎侍と志を同じく出来ぬ者も多い。
飛躍してもせいぜい荊楚の領主。願わくば我ら荊州人士は、天下で荊楚の学才を振るえる地位を望む。
李厳の要求は至って簡単。荊州人士を厚遇すること。それも"大いに"厚遇すること、だ。
今の朝廷は豫州や兗州の人士が大半を占めるが、そこにねじ込んでほしいと言っているのだろう。
例えるなら、丞相が荀彧なら、副丞相に相当する地位を李厳に与えなければならない。
中々の劇薬だ。もし味方に引き入れても、この栄達の欲がある限りまた内通する可能性もある。例えば、袁紹とかに。
(とはいえ宿敵である張繍の陣営に、有力な不穏分子が居ることの戦略的な意義は大きい。それに郭嘉が遺したものだ、活用する他無い)
李厳は俺と張繍を値踏みしている。才能と自信に溢れるからこそ、己が仕える人間を見極めているのだろう。
まぁ、とはいえそんな話、口外できるはずもない。だからこそ今回は「工作」として、城門を開かせたことになっている。
「先鋒の曹性が敵の攻勢を退けた瞬間に、一気に攻め入るよう路招に念を押して来い!」
指揮を振るう夏侯惇の檄にも熱が入っている。
それもそのはず。ここは宛城、因縁の地。曹操が、命を落とした場所だ。
「伝令! 南門より敵の一団が脱出! 輜重隊も多数確認しました! 追撃しますか!?」
「追ってはならんと諸将に厳命を降せ。宛城を落とすことが肝要、それ以外のことに手を出すな。それでいいか?大都督」
「勿論。そのように伝令せよ」
「承知しました!」
暴発して出てきた涼州兵を、待ち構えていた曹性の部隊が次々と切り伏せていく。
まだ若き旧呂布軍の将校だが、まるで機械の如く徹底された軍人気質な彼の差配は、極めて的確で効率的。
流石、あの高順が自分の部隊を託した軍人だ。東側の包囲軍を統轄する路招将軍は、極めて戦いやすいだろうな。
そんなことを考えているうちに、敵の雪崩に隙が見えた。夏侯惇が太鼓を鳴らすと同時に、路招の本軍が動き出す。
もはや城壁上からの抵抗もまばらとなり、北と西の包囲軍も城壁に到達しつつある。
伏兵が仕掛けられていたとしても、ここまで戦線が崩れれば挽回は困難。すなわち、勝負は決したのだ。
「大都督、宛城を落としたぞ」
「おめでとうございます。孟徳も喜んでおりましょう」
「しかし、ただの空の城だ。李厳も逃げた。張繍と賈詡の首は取れていない。なんともやりきれない思いがするな」
「それでも喜ぶべき。それを見て、将兵も殿と同じく歓喜するのですから」
「分かった。朱頼、劉曄! 手配していた楽隊を準備させよ! 派手に宛城の占拠を祝うぞ!!」
以前、瑛さんに繕ってもらった黒地の羽織は既に完成し、小部隊にならば配給できるほどの量も揃えられた。
顔を拭き、髪と髭を整え胸を張る。左右に並ぶ朱頼と劉曄、そしてそれに続く楽隊も、同じく黒地に赤の刺繍が彩られた羽織を纏う。
異様な出で立ち。しかし目を惹く奇抜さと、洗練された勇ましさ。
流石だな、瑛さんは。まさかこういったデザインセンスを持っていようとは。正直、俺には皆無の能力だから助かった。
「はぁ……こういうよく分からんところは、孟徳にそっくりだな」
「あはは! 説教はまた今度にしてください!」
「もう好きになされよ! どうせ聞かぬのは分かり切っておるのですから!」
「これからも頼りにしております! さぁ楽隊よ、楽器を響かせ、勝利を彩れ! 隊列を寸分も乱すなよ!!」
虎士に守られ、楽隊は進む。
城壁のあちこちにはすでに「曹」の旗が掲げられていた。
・楽隊
派手に楽器を鳴らしたり歌ったり、とにかく士気を上げるにはもってこい。
孫呉の猛将「留賛」の部隊は、髪を振り乱し、大声で歌い、敵軍に突貫して暴れまわったとか。
たかが歌や楽器だと侮るなかれ。
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