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106話 策士の一手


 胡車児が死んだ。あの涼州イチの剛の男が、緒戦で、それも得意の騎兵戦で討ち取られた。

 長く戦場を共に駆けてきた猛将の死を耳にして、張繍は誰の目から見てもハッキリと狼狽えてしまっていた。


 マズいな。賈詡はそんな大将の様子に危機感を覚える。

 軍の頂に立つ男がこの様子では、不安が下の将兵にまで波及してしまうだろう。


「申し上げます! 宛城を守る李厳将軍は、敗走する胡車児将軍の兵士の受け入れを拒み、あろうことか城内から射殺しております!」


「な、裏切ったな李厳! これだから荊州人は信用ならんのだ!!」


「お待ちくださいませ。殿、李厳は裏切ってはおりません。むしろ、これは大いなる軍功に御座います」


 怒鳴り声と共に投げつけられた兜に怯え、伝令兵は幕舎から逃げるように出ていく。

 張繍もまた、気が逸りやすい気質の涼州人だ。

 普段は尊重している賈詡に対しても、憚ることなく怒りの目を向けた。


「味方を殺しておいて、何が軍功だ!?」


「殿が胡車児と李厳の両将軍に出した命令は、宛城の防衛です。ここで敗走兵を受け入れ、城門を開けば、敵の追撃部隊が城内に入ってしまう恐れがございます。裏切ったのであれば、もうとっくに城は落ちていたでしょう」


「…俺の、直下軍に矢を向けたのだぞ」


「李厳を咎めてはなりません」


「それでは俺の面子はどうなる! 威厳なき将に、どう兵士がついてくるというのだ!!」


 いつもであればぐっと感情を飲み込むことが出来たはずなのに、明らかに今の張繍には余裕が無い。

 胡車児は、張繍の直下軍の要であり、軍中でも張繍に次ぐ立場の男だった。その死を飲み込めるほど、心を偽れないのだろう。


 しかも長い対陣である。いつもとは勝手の違う攻城戦で、皆も精神が削られていた。

 結果を急がなければ。賈詡は僅かに眉をしかめる。戦場ではいつも予想外のことが起きる。予定通りに事が進むことなど決して無いのだ。


「殿、されど大局に問題は御座いません。ようやく準備が整いました。間もなく、襄陽と樊城の門は開きます。曹昂を退かせる策も、既に手配済みです」


 本当であればもう少し、万全を期したかったが、やむを得ない。

 劉表の首が取れる見立ては、十のうち三といったところか。


「なに? それは本当か、軍師殿」


「城を落とした後は、文官の仕事に御座る。後は万事、お任せあれ」


 王の器量ではない。しかし、この賈詡が支えると決めたのだ。器量でなくとも、王になってもらわねばならない。

 賈詡は深々と一礼をして、幕舎を後にする。後方では、張繍が怒り声を上げながら、物に当たり散らしている音が響いていた。




 夜も更け、篝火の明かりを頼りに、小柄の将軍は傷口を洗い流していた。

 小柄ではあれど、幼い頃から人一倍、丈夫で健康な体だった。つい数刻前に出来た傷すら、既に塞がり固まっている。


 最初はただの農民兵。仲間の武具も背負ってやって行軍していたところを、先代から見初められ、いつの間にか将軍となった。

 戦が終わった後の疲労が濃い夜は、いつも決まってその時の光景が頭の中をぐるぐると駆けまわる。


「朱頼殿、感謝する。兵たちもこれで疲れが取れるだろう」


「私はただ羊と酒を届けただけです」


「そうか、そうか。わかった」


 朱頼は曹昂の親衛隊長だ。その男がここまで羊と酒を届けに来た。この意味を汲み取れないほど、楽進は鈍い男ではない。

 少ない量の酒だが、高級なものだった。羊も若く、丸々と肥えていた。楽進は本陣の方角に向け、深々と頭を下げる。


「どうですか、巡察のほうは」


「やはり粗暴な涼州兵に民は怯えていたのか、我らを歓迎してくれる集落や砦が多かった。あの馬草も、近くの集落の者達が分けてくれたのだ」


「それは良かった。ここは本陣の退路に近い場所。危険も少ないでしょうし、ひとまず落ち着いても良い頃合いかと」


「まだ逃げた涼州兵が残っている、油断はできない。酒も一杯だけだ」


 余った酒は返却する。生真面目にそう返答する楽進に、朱頼も笑みを浮かべながら了承する。

 こういった軍人気質な将軍が、若き朱頼は好きだった。楽進は、こうなりたいと憧れる先輩の一人でもあった。


 寂れた小さな砦が、今夜の拠点らしい。

 砦と言っても、低い塀があるだけの倉のようなお粗末なもので、物資だけをそこに入れ、楽進の部隊は野営をしている。


 宴席を始めて少しの時間が過ぎた頃だ。楽進は眉を顰めながら、頭上に昇った月を睨む。

 違和感。周囲の巡察に出ていた兵が戻ってきていない。慣れない土地だから迷ったか、いや、全員が迷ったとは考えづらい。


「火を消し、武器を持て。追加の斥候を出す」


 楽進の指示は短く、そして明快。叩き上げの精鋭部隊である。切り替えは極めて迅速であった。

 砦を中心に小さく固まる。朱頼も急ぎ、楽進の指示通りに、輜重隊を砦の中へと引き入れる。


 夜風が遠くの草木を揺らす。野営地は平原だが、少し離れた先は木々が茂り、見通しは悪い。

 追加に出した斥候も、戻ってこない。しかし一本の鏑矢が、天高く鳴り響いた。


「朱頼殿、十騎しかいないが、貴殿に全ての騎兵を預ける」


「救援を呼んでまいります」


「違う。我らのような小部隊の生死はどうでもいい。それより糧道を守る輜重隊が危ない。急ぎ危険を夏侯淵殿と李典殿に伝えよ」


「…ご武運を」


 馬にひらりと跨り、朱頼は駆けだす。

 親衛隊を束ねる男だ。その個人の武勇は信頼に足る。


 木々の先。松明の火が小さく見えた。

 それが合図であったのか、楽進の部隊を囲むように、ぐるりと火が灯る。


「将軍、包囲されています。これほどの兵が、どこに隠れていたのでしょうか」


「我々を快く出迎えた集落や城塞の全てが、最初から騙すつもりだったか。抜かった」


「如何しますか」


「飯も食った。酒も飲んだ。疲れもとれた。あとは戦うのみ。打って出るぞ」



・楽進

一般兵から曹操に抜擢され、軍功を重ねて将軍となった人物。五大将の一人。

その武勇は曹操軍きってのものであり、劉備が名指しで警戒した数少ない曹操軍の武将。

南方の戦線を預かり、あの関羽や孫権を見事に抑え込んだとされている。


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