103話 中策
雪崩を打ったように、兵士が城に向かってくる。それも、味方の兵士だ。
その光景に驚いたのは一瞬で、すぐに興味を無くしたように、李厳は城壁から降りて幕舎へ向かう。
曹昂は甘い相手ではない。涼州兵はそれを侮った。いい気味である。
李厳は逃げてくる涼州兵の懸命な顔を目にして、僅かに鼻で笑った。
そこに駆け込んでくるのは、同い年の副官「傅トウ」だった。
直情型で気持ちの良い性格をしており、将兵にも好かれている。李厳とはほぼ正反対ともいえる軍人だ。
「将軍! 胡車児大将が討たれ、味方は総崩れ! すぐに開門を!!」
「門を開けてはならん。開けようとする者が居れば問答無用で斬り捨てよ」
「……今、なんと」
「門を開けるな。これは厳命だ」
李厳は刀を抜き、言い縋ろうとする傅トウに突きつけた。
ここで門を開ければそれこそ敵の思うつぼ。すぐに曹昂軍の追撃部隊が城内に入り込んでしまう。
「味方、なのですぞ」
「殿の命令を破り野戦を仕掛けたのは胡車児だ。我らが果たすべきは城の堅守。それを邪魔するのなら、誰であろうと敵だ」
そもそも涼州兵の制御は、李厳には出来ないものであった。城を守る上で、我の強い涼州兵は邪魔でしかない。
そういった意味ではむしろ好都合。最初から味方だとも、思ってはいなかった。
するとすぐに城内が騒がしくなる。兵の間でも意見が分かれ、揉めているのだろう。
李厳は溜息を吐きながら刀を収めて、傅トウに命を降す。
「城門や城壁に縋りつく者を殺せ。守備兵に矢を射かけさせよ、今すぐにだ」
「涼州兵は、殿の直下軍。将軍の立場が」
「関係ない。やれ」
「……ハッ」
傅トウは迷いの表情を浮かべたまま幕舎を後にする。
どうせ曹昂軍は城を落とせるだけの兵力は有していない。守るだけでいい。
どうしてそれくらいの意図を読み取れないものばかりなのかと、李厳は一人幕舎の中で眉をひそめた。
「さて、郭嘉よ。貴殿の今際の言葉、試させてもらおうか」
◆
張遼の活躍で、戦況は一変した。俺はまさに英雄が誕生するのを目の当たりにしたと言っても良いだろう。間違いなく歴史書に残る、それほどの功績だった。
胡車児が討たれた。その衝撃で、涼州兵の足は止まる。
如何に個の力で戦う兵とは言えど、やはり頭を潰された衝撃は無視できなかったらしい。
そこから一気に後退気味だった全軍が反転し、総攻撃を開始。あっという間に敵を蹴散らし、追撃に追撃を重ねた。
首を取るな。装備を奪うな。殺せ。馬を奪って、敵を追え。勝てば全員に褒美を取らせる。全部隊に伝令を飛ばす。
激しく揺れる馬車にしがみつき、もうもうと立ち込める砂煙の中を突っ走る。
もはや前方もよく見えない。しかし駆けるしかない。
何が何でもこの追撃で、今回の戦の決着を付けなければならない。だからこそとにかく前進の厳命を繰り返す。
敵が敗残兵を城に入れるその瞬間を逃さず、門を突破する。最短で城を落とすには、もはやそれしかないからだ。
「張遼将軍より伝令! 敵は城の門を閉じ、味方すら射殺し防衛の構えをとっているとのこと! ご指示を!」
「クソッ、城主は李厳か。厄介だな。張遼の部隊は周辺の斥候に移ってくれ」
「御意!」
「劉曄!」
「ここに」
「どう考える」
「味方すらも撃ち殺し城門を守っているあたり、宛城は容易く落ちません。孫策の脅威も迫る中、早急な行動が必要です」
劉曄が示した方針は三つ。
上策は直ちに総攻撃に移ること。城は固いとはいえ、こちらは勝ちに乗っている。勢いをそのままに勝負を決する算段である。
中策は城を包囲したまま張繍本軍を牽制し、劉表の反撃を援護すること。しかし劉表は策を弄する人物で、果敢に戦う人物ではないため当てにはしづらい。
そして下策は、宛城周辺の民衆を接収して帰還すること。幸いこの一戦で勢力の境はこちらが押し込んだ。それを戦果とすべきという話だった。
心情としては、下策は取りたくない。消極策過ぎるのだ。確かにノーリスクでそれなりのリターンはあるが、これでは劉表を救うという本来の目的が達成されない可能性も大きい。
しかし上策も怖い。城攻めは、要は防衛側の士気で成功率が大きく変わる。兵数の差はあまり問題じゃなく、李厳の構えを見れば士気も高そうに思える。
「中策を取る。しかし当初の予定通り堀を埋めて、圧力をかける。いつでも攻撃に移れるようにもしておきたい」
「御意。では早速、前軍の侯成将軍に堀を埋めるよう指示を出します。包囲陣形の形勢は夏侯惇将軍に委ねましょう」
劉曄はそう言って一礼すると、更に速く馬を駆けさせた。
やっぱり名家の出自なだけあって、馬の扱いが上手い。あ、ダジャレじゃないよ?
敵とも味方とも分からない死体を馬が蹴飛ばし、車輪は踏み潰しながら前へ駆ける。
激しい揺れと相まって気分が悪くなりそうだったが、溢れ出るアドレナリンのおかげか、何とか耐えきった。
別に今更、人の死をどうこう言うほど甘ちゃんではないつもりだ。乱世で生きているのだから。
しかしこんな思いをせずに済むならそれに越したことは無い、と考えるくらいには甘いらしい。
「城を包囲し、張繍を牽制し、劉表を動かし、孫策の動向を見張り、周辺の民衆を慰撫する。もしかしたら、中策が一番過酷だったのかもしれないな」
うんざりとした思いを胸に、砂煙の中で僅かに顔を上げ、目を開く。
激しく揺れる視界には、大きな城壁が映っていた。
宛城。曹操が死に、そして俺が俺として生まれた因縁の地。
しかし今はただの障壁に過ぎない。感傷に浸っている暇は、ただの一秒も許されていない。
・傅彤
劉備に仕えた勇将。夷陵の戦いでは、劉備を逃がすために殿軍を務めた。
投降を呼び掛けられた際「漢王朝の将軍が、呉の狗に降るわけがないだろう!」と叫び、壮絶な戦死を遂げた。
また息子の傅僉も、蜀漢が滅亡する戦いの中で、味方の裏切りに遭うも最後まで抵抗し、父と同じく戦死を遂げた。
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