100話 最強を継ぐ者
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敵襲。伝令は馬上でそう告げた。
胡車児率いる騎馬部隊が、侯成の率いるこちらの先鋒と接敵した。
いよいよか。夏侯惇は全軍に前進の命を告げると、規律正しく陣容が変化しながら前へと進む。
左翼に曹仁、路招の部隊、右翼には楽進、張遼の部隊が並び、本隊を夏侯惇が指揮する。
俺は最後方にて兵車にしがみつき、手汗が滲んでくるのを感じながら、軍の全容の動きを眺めていた。
何度も煮え湯を飲まされてきた夏侯惇の抑えきれない気迫が、どうにも危ういもののように感じる。
「董昭! お前は夏侯惇将軍の側に! 将軍の気が逸っていれば止めてくれ!」
「かしこまりました!」
「劉曄は俺の側に居ろ! それで、先鋒の状況は!」
「やはり賈詡の指示があったのか、車蒙陣には近づかず、騎射を繰り返しながら隙を伺っているとのこと」
「そうか、それは良かった。胡車児もそこまで勝手な男ではないらしい」
かつて呂布を破った車蒙陣は、いわば兵車を用いて平野に壁を立てることで、騎兵に対抗するという戦術であった。
木箱のような簡易的な戦車の中から弩兵で狙撃し、騎兵の突進力や、一方的な騎射から身を守るというからくり。
恐らく平野において騎兵に対抗するための、現時点での唯一の対抗策と言っても良いだろう。
だがこれにも弱点はある。騎兵が攻めてこなければこちらも動けず、機動力の点では絶対に騎兵に劣ってしまう。
他にも、城攻めでは役に立たないし、敵が歩兵主体ならそれほど効果は発揮できない。
呂布を破れたのも、初出しの戦術だったからであり、俺たちは初見殺しの優位を掴んだに過ぎなかった。
その前提で考えると、賈詡がこの車蒙陣に対策を打っているのは間違いない。
攻めずに翻弄し、隙を見つけて崩す。敵軍を翻弄することは、涼州騎兵の得意戦術でもある。
「車蒙陣の兵車に弩兵ではなく土嚢を積み、敵騎兵を威圧しながら城の堀まで進む。まずは成功と言ったところですか」
「そもそも、物資輸送のために作成された台車を改良しただけの代物だ。こっちが本来の役目だよ」
諸葛亮の発案した兵糧輸送車「木牛流馬」を、西晋の名将「馬隆」が対騎兵の実戦用に改良したのが車蒙陣だ。
呂布を破ったこの陣形の「名前」を利用し、城攻めへの布石を打つ。どうやらその一歩目は効果を発揮したみたいだ。
「勝負はこちらの本隊と、敵の本隊が戦場に到着したときです」
「その前に戦線を押しに押す。だからこうして急いでるんだ。後はもう勢いに任せるほかない」
胡車児の部隊、総勢一万余り。宛城の守備兵と合わせれば二万に達するものと思われる。
それに対しこちらは一万と三千のみの軍勢での侵攻である。張繡と戦う前に、胡車児にも兵力で及ばない。
曹操が占領した中原の土地は、とにかく戦火が多い地域ばかりで、民は流れて土は荒れている。
少ない人口で兵士を徴収し、火種の燻ぶる数多の地域に守備兵を配さないとならず、兵糧も非常に少ない。
これで東西南北に戦線が広がってるんだから、曹操はよく史実でこの状況をひっくり返せたなと驚く他ない。
そんな曹操を討った敵との戦いである。その因縁は両軍の末端の兵士までもがよく知っていた。
「侯成は何をやってる!! とにかく止まるなと指示を出せ!!」
「涼州騎兵の翻弄を前にして、陣形を保ちながらの前進は無茶です! 綻びが出ればあっという間に突き崩されますぞ!」
「止まればそれこそ終わりだ! こっちは再編もままならない部隊ばかり、決戦になれば必ず負ける!」
喉が張り裂けんばかりに叫んで指示を飛ばす俺に縋りつくように、劉曄は何度も無茶だと反論を繰り返す。
ここでリスクに振り切れないところが、荀攸と劉曄の差なのだろう。あいつなら逆にここで俺が引くぐらいリスキーなことを口走ったりする。
前線の車蒙陣は確かに前進を続けているが、巧みな涼州騎馬の迎撃に、失速を続けていた。
統制をとることが難しいが、個々の実力が抜きんでている、それがこの涼州騎兵の特徴である。
騎射を繰り返しながら、さっと射程圏外に退き、こちらの弩兵の迎撃から逃げてしまう。
ここまで翻弄されてしまうと、于禁クラスの、相当な統率力がある武将でしか陣形を保つことが出来ないだろう。
「殿! 我らが余りに前に出てしまいますと、前線や本隊に歪みが!」
夏侯惇を気にしていたくせに、どうやら一番気負っていたのは、俺だったらしい。
最後尾に居たはずなのに、いつしか中軍にまで食い込んでしまっている。
その時だった。無理な前進を続けていた車蒙陣が崩れ、中央がやけに前に出てしまった。
まずい。そう思った瞬間には、もう既に胡車児は動いていた。
「ここは一時撤退を!」
突出した前線の兵士は瞬く間に敵の騎兵に切り離され、あっという間に飲み込まれた。
つまり、車蒙陣の張りぼてがバレた。涼州騎兵らは沸き立ち、狂い喜びながら、一斉に牙を剥く。
敵兵は思い思いの罵詈雑言を叫び、俺の首を目指して濁流の如き殺意を向けてくる。
夏侯惇は左右に指示を飛ばして、小さく軍を固めて迎撃の準備を整えたが、どうにも右翼の動きがままならない。
「で、伝令に御座る! 右翼騎兵を率いる張遼将軍が、三百の私兵のみを率いて突撃を開始! ご指示を!!」
まずい、全軍が崩壊してしまう。
俺の脳内に「死」の文字がハッキリと浮かび上がった。
そういえば張遼の扱いの難しさはかねてより議題に挙がっていた。何故それを、考慮しなかった。
急ぎ俺の側に駆け寄ってきた夏侯惇は怒号を飛ばして、張遼を見捨てて楽進に合流を急ぐように伝えた。
もう何が何だかわからず混乱を極める戦場。どこかで忘れていた、本物の戦場というものを。
神様の気まぐれで、あっけなく生と死が決まってしまうのが戦争だ。俺だけが無関係というわけにはいかない。
馬首を翻し、急いで戦線から離脱を始めた俺の兵車に、再び一人の伝令兵が迫る。
振り向き、目に映る光景。土煙に満ちた戦場では、血飛沫が空に舞い上がっていた。
「司空! 伝令に御座います! 伝令に御座います!!」
「今度はなんだ!!」
「──ちょ、張遼将軍が、胡車児を討ち取ったと! ご指示を!!」
・木牛流馬
諸葛亮が北伐の際に開発した、兵糧輸送用の台車。
史書に名前は載っているが設計図や実物が残っていないため、どういうものかはよく分かってない。
たぶん木牛が狭い陸の道を、流馬が狭い河の道を進む台車だったのでは? と推察される。
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