◆4-8:メラン 倉庫(1)
唐突に照度が下がり、周囲が薄闇となったことで余計に疚しさが増して感じられる。
メランは、ケネスの身体の上に這わせる自分の手をそんな後ろめたい感傷でもって俯瞰していた。
「どうした? 怖いか?」
不意に起きた環境の変化は、我ながら不自然に感じていたメランの手の動きに思い掛けず説得力を与えたようだった。
これがベルゲンの通路で揉み合ったあの黒スーツの男と同じ筋肉であるかどうか。彼の肉付きを確かめたいというやむにやまれぬ衝動により、メランは自分の指をケネスの二の腕に絡めたのだったが……。
ケネスはどうやら、そんなメランの邪な動機による触診を、幼きユフィの怯えによるものと解釈したらしい。
メランはまるでその声に促されたように彼の腕をつかむ手に力を込める。
断じてそんな理由ではなかったのだが、彼の誤解を利用すべく、メランは怯える少女を装い、身を縮めて密着する。
「大丈夫だ。俺が護ってやる。何があっても、誰が相手でもお前のことは、俺が護る」
メランにとっては急転直下の告白である。
一体どんな顔をすれば、そんな恥ずかしい台詞を吐けるものかと気になって思わず顔を上げるが、非常灯の明かりが作り出す濃い陰影のせいでケネスの表情はよく分からない。
メランは意図が汲めないながらも、二人はいつの間にそんなことになったのだろうと一人で慌てふためいていた。
確かに幼女のユフィはとりわけこの謎の少年に懐く様子をみせており、それが恋愛感情かどうかはさておき、彼を特別な存在として見ている節はあった。
だが、その逆の可能性については正直考えてもいなかった。
──自分は好かれているのか? この、敵かもしれない少年から?
いや、自分ではないか。ケネスはあくまでこちらをユフィという少女だと思っているのだ。無垢で無力な、誰かに護って貰わねば生きていけなさそうな幼気な存在だと。
メランは何重にも折り重なる、複雑な後ろめたさに苛まれ、さらに身を強張らせる。
「おい。俺もいるってことを忘れんなよ」
背後から聞こえたアキラの声でメランは我に返る。
そうだ。ここにはアキラもいたのだ。これは余計に恥ずかしい。……じゃなくて。なんとかしてアキラに今のこの窮状を伝えなければ。
今度はいつまでこの自我を保てるか分からないメランとしては、それに対する備えを打つことも重要な達成目標の一つであった。
仕組み自体は皆目見当が付かないものの、メランがユフィの表層に意識を浮かび上がらせるためには、ケネスの側にいる必要があるのは確からしい。
せめてその情報だけでもアキラに伝えておかねばならない。当のケネスには悟られないように……。
「ああ。分かっている。この際だ。手伝ってくれないか。どこかに気密服がないかを探して欲しい」
「はあ? 気密服?」
不満を声に表しながらも周囲を見回すアキラ。
「確かにここなら……、探せば出てくるかもしれねーけど」
E16区画のドン詰まりにあるこの場所は倉庫のような名残がある。
一旦無重力となり、縦に横にと振られた後で落ち着いた今は、薄暗い照明も相まって、大昔の廃工場を模した映画のセットのようだと表現した方が近い気もするが。
あちこちに山を為して積み上がる巨大なコンテナ群を開いて探していけば、気密服の一つや二つ、いや、あるとすればグロスの単位で出てきそうな雰囲気はあった。
「見つけたとして、そんなものが必要になるのか? ……艇の外に出るつもりなのか?」
その場で身体を一周させた後、アキラがケネスの方に視線を戻す。
と同時にカチリという音が鳴る。
そこではケネスがユフィを小さなコンテナの上に座らせていた。
そのぼんやりとした輪郭にアキラが目を瞠ると、ユフィの手首に手錠のようなものが嵌められているのが見えた。手錠のようなものというか、あれは疑いようもなく、身も蓋もなく、手錠そのものだ。
もう片方の輪はコンテナに付属した棒状のハンドルと繋がっている。
「なっ……、おまっ! 何やってんだよ」
「一時的な措置だ。歩き回って迷子になられても困る」
食って掛かろうとするアキラを片手を上げる身振りで制して、ケネスは何でもないことのように言い放つ。
一旦怯んだアキラが怒りを噴かし直し、足を一歩踏み出したときには、すでにケネスは五、六歩先を行き、倉庫の奥に消えようとしていた。
「あい……つ。クソ。何が俺が守るだ。ユフィは俺が……」
行き場をなくした怒りを行動力に転換し、ケネスとは別の方向へ歩き出そうとするアキラ。そのアキラの手をユフィの手が掴んで引き留めた。
これまで呆然と自分の手首にある手錠に見入って人形のようにしていた彼女に急に魂が吹き込まれたかのようだった。
「あ……、おまえ──!?」
「シッ……!」
ユフィが人差し指を口の前に立てたのを見て、アキラが反射的にケネスが歩いて行った方を振り返る。
そのときにはすでに、ケネスは倉庫の奥の暗闇へと姿を消していた。
気を取り直し、アキラは今度は目の前の謎の少女に向け、囁くように問う。
「おまえは、一体誰なんだ?」
「……俺はメラン・ミットナー。ベルゲンで警備員をやってる。君らとは農場区画で会ったことがある。赤い髪で、ヘッドギアを落として坂道を転がした……。憶えてないか?」
「は、はあ……?」
極力声を落としながら早口で捲くし立てるメラン。
顔や声の調子は至って真剣だったが、それを聞くアキラからはみるみる緊張感が失われていく。
「ユフィとは、違うのか? 別人なのか?」
「ユフィと呼ばれてるのも多分俺だ。デュオクト族みたいな、別人格のようなものだと思うが、生まれたばかりで頼りにならない。今はお前だけが頼りなんだ。俺のことを連盟政府の大人に伝えてくれ」
「ちょ、ちょっと待てよ。頭が混乱して。まずお前、男なのか?」
その質問にはメランが脱力を強いられた。
「そんなこと、どっちでもいいだろ。銀連の命運が掛かってるんだぞ?」
「あ、ああ、そうか。そうだな……。えっ!? じゃあ待て。やっぱりあいつって〈見えざる者〉──」
ジャラリと手錠が鳴り、ユフィの手がアキラの口を塞ぐ。
「シーッ! 気持ちは分かるが、できれば驚くのも静かにやってくれ」
「すまん。しかし、えっと……、そうだ。追われてるのかお前? なんだか、イザベルたちがお前のことを匿おうとして必死なんだけど」
「────」
何かを言い掛けたユフィ(メラン)の口がそのままの状態で固まる。
どこかに消えてしまった少女の中の別人格が戻ってきて、再び彼女(彼?)と会話することができたなら、全ての疑問が氷解するはずだと思っていたアキラにとって、次にユフィの口から出た言葉はその期待を大きく裏切るものであった。
「……こっちもすまない。そもそも俺……というかユフィは今、何から隠れようとしてるんだ?」
ユフィが見聞きした情報をモザイク状に知覚するメランは、自分の身に起きている状況を類推することでしか知ることができない。
それにそもそも、ユフィの前で話し合われることのなかった今回のかくれんぼ作戦は、メランが関知できる範疇を超えていたのである。




