◆3-18:メラン 船外作業前室(2)
「ここだ。ケネスがここから飛び出してって、外にいたお前を連れ戻したんだ。お前、ちゃんとあいつに礼は言ったか?」
アキラは側に立つ少女の変化に気付いていない。
ユフィ(メラン)はみるみる顔を赤くしていたが、アキラはアキラで勝手にテンションを高め、彼女の顔をまともに見ていない。
二日前にあったエキサイティングな救出劇の様子をあれこれ細かく説明するのに没頭しているようだった。
メランはアキラの話を聞き、やはりそういうことだったかと得心しながらも、突然手に入った身体の自由をどのように行使すべきか、という問題にも並列で処理せねばならなかった。
これまで憶測だけで象られていたものが、記憶の断絶が、欠けていたパズルのピースが、次々に埋まっていき、現在この避難艇が子供たちだけを乗せて飛んでいるという事実もはっきりする。
情報の洪水だ。身体の操縦を取り戻せた安堵。発汗の懐かしい不快さ。自分が果たすべき使命に、どうやってそれを為すべきかという焦り。呼吸のやり方。頼りない手足の肉付き。アキラの腰を掴む右手の感触。どのくらいの塩梅で握っておけばいいのか、いや、そろそろ離す頃合いなのかという迷い(どうでもいい!)。子供たち相手に自分の正体を明かしたときに想定される気恥ずかしさ(もっとどうでもいい!)。あとそれと、膀胱にあるちょっとした尿意。
様々なものに気を取られて思考が一つにまとまらなかった。
まったく、以前の自分はどうやってこれらの情報と上手く折り合いを付け、優先順位を判断し、行動に繋げていたのだろうか。
そんなメランの動揺をよそに、アキラが握っていた手を離し、デッキルームの端へと駆けていく。
メランは空になった両手を見つめ、そこに握ったヒンヤリとした空気の感触を確かめていた。
遠くでアキラがうずくまり、そこに落ちていたケーブルを両手で束ねながら戻ってくる。
「これこれ。こんなの絶対切れるわけないのに、なんかヤバイって感じたんだよなー。あのときは。まあ、結局間に合わなくて切れちまったんだけど」
弾力と剛性を備えたワイヤーを縒り合せたものだ。
その両端を持ったアキラが両手を近づけると、ぎゅんと音を立て力強くしなった。
命綱か。
自分たちの生命すら危ういときに、身を挺して救ってくれた子供たちへの感謝は簡単には言い表せない。
敬意を持って傾聴し、礼を述べるべきことなのだが、いつまでもこうしているわけにはいかない。
悪いがどこかで話の腰を折り、こちらの打ち明け話を始めねばならない。
アキラの話を上の空で聞きながら、切り出すタイミングを計っているとき、ふとメランはある違和感に気付く。
それは混乱した精神をなだめるのに忙しくしている、こんなときに気になることとしては、あまりに脈絡のない違和感だった。
そんなことよりも気にすべきことなど幾らでもあっただろうに、メランは思い付いたその疑問を口にせずにはいられなかった。
「これは……、随分短くないか? それにこれは、引き千切られたというより、何か鋭利なもので切断されたように見える」
唐突に口を利いたユフィにアキラが目を瞠る。
いま彼女の口から発せられたのは、昨日までの彼女が彼の前で見せていた幼稚な振る舞いからは全く予想も付かない、理路整然とした質疑である。
だが、今のアキラにとっては驚きよりも、彼女の興味を引くことに成功したという嬉しさの方が勝ったようだった。
「あ、ああ、そうだな。これはぁ……、ああそうだ、多分……」
何かを言い掛けた途中でアキラは不意に背中を向け、先ほどとは別の方向へと走りだした。
アキラの動きを追ってメランが振り返ると、視界の端にケネスとドゥルパ族の少年の姿が映る。
ケネスはオーダズマの閉じた瞼を興味深そうに撫でているところだった。
さっきのやり取りの感じからして仲が悪いのかと思ったが、彼は和やかに談笑しながらケネスのやりたいようにやらせているようだ。距離があるので話している内容までは聞こえて来ない。
「──悪い。こっちだった。こっちが船体で擦れて千切れた方な」
アキラが戻ってきて別のケーブルの端を見せる。
ウインチに巻かれていたものを伸ばし、ズルズルとここまで引き摺ってきたのだ。
メランは少し腰を屈めてそれを検分する。
なるほど確かに。
こちらの断面は先ほど見たものよりも粗く、縒り合さったケーブルがそれぞれ微妙に異なる長さで千切れ、縮れている。
そこに尋常ならざる力が働いたことは明白だった。
改めて、そんな力が荒れ狂う場所からよく生還できたものだと驚かされるが、すると合点がいかないのはやはりさっきの短く端切れとなったケーブルの方である。
メランの視線の意を汲んで、アキラがもう片方のケーブルの端を持ち上げてみせた。
「こっちは多分ケネスの仕業だな。あいつのスーツ、凄ぇんだ。よく持ち込みの認可が下りたと思うよ。こう……シャッて」
アキラがケーブルを片手に持ち替え、空いた手で作った手刀を斜めに振ってみせる。
再びパズルの時間だ。情報の断片から全体像を組み上げる論理パズル。だが今のメランは無力ではない。天啓のように閃いた一つの推論をもとに、問いを投げ掛けることのできる舌を持ち合わせていた。
「そのスーツの色は……全身黒じゃなかったか?」
ポカンとするアキラの顔越しに、メランは、線の細い小柄な銀髪の少年を見ていた。
今の彼は、後ろを向いて差し出されたドゥルパの太い尻尾におそるおそる手を伸ばしているところだった。
「ああ、そうだ。あんまり見ない変わったデザインでさ。もしかして憶えて……思い出したのか? すげー。おぉい、ケネ──」
表情をパッと晴れやかにし、背後のケネスを呼び寄せようとするアキラ。
メランはとっさにその肩を掴んで強引に引き戻す。
首の後ろに腕を回し、そこに身体をもたれ掛けさせながら、アキラの耳元で囁いた。
「あいつは、いつからここにいるんだ? 合宿の参加メンバーではないのか?」




