◆3-13:イザベル シュレッダールーム
シュレッダールームに駆け戻ったイザベルは入口から部屋の奥を覗くなり大きな溜息をついた。安堵の溜息というよりも、うんざりとした諦念のような溜息である。
イザベルが安堵すべき材料はちゃんとある。ここにタウネル=バッハがまだ姿を現していなかったことと、巨大なシュレッダー装置が停止したままであったことがそれだ。
だが、そこにたどり着く前から入口の前にはみ出して見えたショッピングカートの列がイザベルの気を重くさせた。入口に立って中を覗いてみれば案の定である。
部屋全体を埋め尽くすように押し込まれたショッピングカートの山。そのカートの中はどれもモールから流れ出たと思しき商品がぎっしりと詰め込まれていた。
タウネル=バッハの仕業──もとい、彼が昨晩一睡もせずに成し遂げた貢献の成果であるに違いない。
挫けそうになる心を奮い立たせ、イザベルは手近なカートのハンドルを引く。それから、おりゃあっとばかりに力任せに押して、長い廊下の先へとそれを追いやった。
タウネル=バッハが戻ってきてからでは面倒だ。それまでに掘り返しておかなければ。
イザベルは半裸に近い姿で、一人黙々とショッピングカートを引っ張り出す作業に勤しんだ。
部屋の中からカートの半分ほどを廊下に待避させ、どうにかシュレッダー装置の操作盤までの道を切り開く。
拭き残した髪の雫だか、新たに噴き出た汗だか分からないものを額から拭って太腿に擦り付けたあと、投入口の脇に回って金属製のカバーに取り付いた。
操作盤の画面には異常停止を示す文字が控え目に点灯している。ここでケネスとパスタ缶を分け合って食べたときに出ていた表示のまま。
レバーを握り、上に持ち上げると筐体のカバーはすんなりと持ち上がった。
イザベルはそれを脇に除け、内部構造が大きく開き見えるシュレッダーの側面に向き直る。
内部のベルトコンベアには見覚えのある薄桃色のドワーフスーツと、ケネスが着ていた黒基調のスーツがくんずほぐれつした仲睦まじい姿で絡まり合っていた。
「危ない危ない。うっかり──」
うっかり破砕されていたら大変なことになるところだった。これは大切な遺留品。ユフィの身元が分かる何かがスーツの内側に残っているかもしれない。ちゃんと調べておかないと。
自分の行動の妥当性を確認するように、イザベルは頭の中でそんなふうに呟きながら桃色のスーツを救い上げ、ポンポンと形を整えてやる。
筐体の横に立て掛け、床に座らせ頭部のガラス面から内側を覗いてみる。
……まあ、でも、中に何か残ってたのならドッドフが気付いてるわよね。
ガラスの曲面に貼り付いた白い毛を見て眉を潜めるイザベル。その視線がツイと流れて足元の床面へと落ちる。
そこにはケネスの黒いスーツが横たわっていた。
質量の大部分は卵状のヘッドギアにあり、伸縮性の高いゴムのような素材でできた胴体部はくたびれた感じでシワになり床に投げ出されていた。
着脱用と思われる胸部のジッパーは、慎ましくも艶めかしい細い口を開けて、何者かを待ち構えているように見えた。
イザベルは誘われるようにしてしゃがみ込み、その襟元を広げて掴む。
ゴクリと唾を飲み込むと、ジリジリとした手付きでそれを抱き寄せ、鼻の下にあてがい胸いっぱいに吸い込んだ。
後ろめたく細められていた彼女の瞼。そこから覗いていた瞳がとろりと落ちて閉じられる。
誤解のなきよう注釈しておくが、これは何も彼女が特別に偏執的な情動や性癖を有していたことを意味するわけではない。
そもそも人間の嗜好とは、性的なものであれ、そうでないものであれ、何を好み何に価値を見出すかはその時々の文化や社会的背景、道徳基準と分かち難く根付いており、あるいっときの価値観──例えば地球人類がまだ母星のみに居住していた西暦二千年代初頭の価値観──などに照らして、それを是なり非なり破廉恥なりと断じることは甚だ不当と言うべきだろう。
ましてや彼女、イザベル・テニスカヤは人工的に遺伝子操作を施されたアーキテクトミュータントであり、この時代のスペースバンパイア種は、特に好ましい異性の血の匂いを嗅ぎ分けるために特化された鋭敏な嗅覚を特徴としているのだ。
ケネスがこれ見よがしに漂わせていた芳醇な体臭を前に、好奇心を抑え切れなかったのだとしても、それを論い責め立てるのは酷と思うが、いかがだろうか。
「んはぁ……! 美少年の香りぃ!」
今や頭をスーツの中にすっぽりと埋めたイザベルが感極まって叫ぶ。
二次成長に差し掛かったばかりの未成熟な彼女には多少刺激が強過ぎたのかもしれない。グループのリーダーとしての責任に抑圧されていた数日。我慢していた欲求が解き放たれる解放感と、淫靡な罪悪感で彼女は完全にハイになっていた。油断していた。気を抜き過ぎていた。
イザベルが頭に被ったヘッドギアをクルクルと回し、内側から外の世界を覗く。
それで何が見えると期待したなどという合理的な行動ではなかったが、ちょうどそのとき、時を合わせるようにして集った複数の視線がそこで交錯する。
「あ──」
「何やってるの?」
シュレッダールームの入口にひっそりと立つ二つの人影。
ポツリと呟くネムリの声は、疑問形ではあったが、その目は何か悲しいものを見つめるように薄く細められていた。
その隣では、ネムリに手を握られたユフィが不思議そうな顔でイザベルを見つめている。
「ああ」
やや間を外し、ネムリが思い出したようにユフィの頭の後ろから両手を回して目を塞ぐ。さも、小さな子の教育に悪いものを見せてしまったというように。
「ち、違うのこれは。凄くいい匂いだったから──てぇ、そういう意味じゃなくって。ちょっと! ちょっと確認する必要があると思っただけでぇ……」
頭に被ったスーツを脱ぎ、慌てて二人のもとに駆け寄ろうとするイザベル。
だが、部屋いっぱいに散らかったジャンクの山がなかなかそれを許さない。
「あー。あー。聞こえなーい」
ネムリの口調は呆れるでも怒るでもなく平板な波長。
今度はユフィの両耳を塞ぎながらクルリと向きを返し、二人で連れ添い、廊下へと逆戻りする。
この特別な旅において、イザベルとネムリの二人の仲を最も深めた切っ掛けが何だったかと問われれば、この出来事をおいて他にはなかっただろう。
イザベルは、自伝の中で決して著すことのないこの一節を、人生の要所要所で思い出すたび、地団太を踏むほど激しく悶え苦しむことになるのだった。




