◆3-12:イザベル 通用路(2)
「そう言えば、何だったの? 気付いたことって」
「そう。あの子のこと。イザベルが、ミリィかもしれないって言ってた話。思い出したの」
「あ、ああ……」
そう言えばネムリには話していたのだったと思い出す。セスが秘密の共有相手が増えるのを嫌がっていたので、忘れてくれていればいいと思っていたのだが。
「あのときは、なんて子供じみた妄想かしらって聞き流してたんだけど、あの子のパスが通った理由考えてたら、あながち馬鹿にもできないなって」
「ふ、ふーん。言うじゃない」
イザベルは笑顔で頷きながら、自分のこめかみがピクピクと震えるのを感じていた。
「あの子がそうだっていう何か決定的な証拠があったの?」
イザベルの反応にも素知らぬ顔。
ネムリはとことんマイペースだった。
「いや、そう面と向かって言われると厳しい。似てるっていう直感だけよ。けど、ああなっちゃう前に少しだけまともな会話ができたんだけど、彼女、追われてるって言ってた」
「追われて……。他には? あの子が着てた気密服の中は調べた?」
「中?」
言われてイザベルが真っ先に思い浮かべたのは、ドッドフから取り上げたあとで覗き見た毛だらけの裏地である。思わずうんざりした声で唸ってしまう。
「う、うぅん。どうだったかなぁ……」
着せ替えキットは別売りですよと言わんばかりに裸の女の子が詰められていたものだから、それだけだと思い込んでしまったが、確かに奥までよく調べれば身元を示す何かが紛れていた可能性もないとは言えない。
それに……、そうだったわ。
お陰で大事なことを忘れていたのを思い出せた。
イザベルは言葉を濁しながら、ネムリの質問への回答を密かに自分の胸にしまい込んだ。
「あとは、髪の色くらい? それはネムリも見てるでしょ? けど……」
赤い地毛が根拠になるのなら、この宇宙には何万人ものミリィがいることになってしまう。それだけで証拠にはならない。
「そうね……。やっぱり遺伝情報を照会しなきゃ」
「遺伝情報を調べたくらいで何か分かるの? ミリィ本人の遺伝情報なんてトップシークレットなのに。それに──」
「赤い髪はノイテニア族の特徴でもあるわ」
「ノイ……テニア……。それが?」
どうかしたのかという顔で話の先を促すイザベル。
正直なところ、それがどんな種族だったか咄嗟には思い出せなかった。
「原生種のノイテニア族は、ちょっとマダグ族に似てるところがあって、一番有名なのは性の分化が始まるのがだいぶ遅いってことなんだけど──」
「あ! ああ、ノイテニア! それか!」
ネムリが両耳を手で塞いで立ち止まる。
「ああ、ごめん……。ごめん、続けて?」
イザベルが慌ててネムリの両耳を労わるように触ろうとするのをネムリが迷惑そうに振り払う。
「……ノイテニア族にはもう一つ、あまり知られてない別の特徴もあるの」
「うん」
「それが、大きな外傷を負ったときに成体から幼体に変態して巻き戻るっていう特徴。そうすることで治癒力を高めたり、別の成体からの保護を受けて生き延びようとする習性がある」
「なにそれ。凄いじゃない」
「実質的にそれで寿命を延ばせたりして、不老不死にも繋がる危険な因子だから、政府が禁じて、ヒューマノイド化措置の際には削除されてるって話だけど……」
「先祖返りって話?」
「そう。多分。私が思い付いたのは、ミリィ・クアットが1万年生き続けてる不老不死だっていうオカルト記事を憶えてたからなんだけど」
「あっ……」
イザベルが下唇に親指を当てた状態で動かなくなる。
そのポーズを保ったまま、ネムリから提示された情報と、自分が直接見聞きした情報を繋ぎ合わせ、話の全体像を整理する。
ネムリはイザベルが自分と同じ結論に達するのをジッと待った。
「……ミリィがノイテニア族だったなんて。ちょっとショックだわ。100%じゃないにしても、ほとんど純血に近い地球人なんだろうって思ってたのに……」
「いや、そっちじゃなくて──」
「分かってるわよ。ミリィが誰かに致命傷を負わされたのかもってことでしょ? 彼女が命を狙われてるって可能性は最初から考えてたもの」
だからこそ他の皆には正体を隠しているし、救難信号でリューベックと連絡が繋がったときにも彼女の存在は伏せておいたのだ。
ついでにイザベルなりの機転で気を利かせ、ケネスのことも黙っておくことにした。
故にいま大人たちには、この避難艇に乗っているのは、ベルゲンの社会体験合宿に参加した男女十五名だけだと思われているはずである。
「ベルゲンに起きたことと、あの子は何か関係があるのかもしれない」
「うん」
「対応を誤るのは、危険」
「うん。そう思うよ」
「本当にあの子がミリィ・クアットかどうかの判断は保留。けど、子供の身体なのに成人のパスを持ってたことと、幼児退行してるみたいな言動を考えたらノイテニア族の自己防衛反応を当てはめて考えるのが、自然……。全部憶測だけど……」
最後の方になって自信なさげに俯いたネムリを元気づけるようにイザベルが両手を握る。
「大丈夫。ネムリの推測、合ってると思うわ。その証拠ならあるもの」
ネムリが物問いたげな表情で僅かに顔を上げる。
「ミリィの胸のとこ見なかった? 傷痕があるの。縦にざっくり裂かれたみたいな大きな傷。お湯掛けて温っためたら浮かび上がってきて」
「……そう。気付かなかった。そっちはよく見てなくて」
「そっちは?」
「……それより早くあの子を探して捕まえましょう。遺伝情報を照会する。ノイテニア族の遺伝情報が見つかれば、今の話がより現実的になるでしょ?」
「あ、それよ。遺伝情報を調べるって、どうやって?」
イザベルははたと向き直り、再び彼女の両手を握った。
「倉庫の奥に年代物の測定器がある」
「ウソッ。ほんとに?」
「紙の目録にあった被災時用備品リストが古くなければ」
「じゃあさ、じゃあさ。あー、駄目かー。反則かー」
「……なに?」
変なところでテンションを上げたイザベルを冷ややかな目線で見つめながら、ネムリは半ば仕方なしに話の先を促す合いの手を打つ。
「それってカプセル式のやつ? 中に入って全身スキャンするタイプ?」
「多分」
「もう一人調べたい人がいるのよ。本人に内緒でこっそり調べられないかなあ?」
「……それって、ケネスのこと?」
「んんんっ……、正解!」
ブン。
ぐっと溜めたイザベルの声が明るく弾んだ直後、二人の頭上から短い不満げな音がして船内の照明が瞬いた。
二、三度明滅を繰り返したのち完全な消灯。
イザベルがあてどなく頭上の暗闇を見上げ、不安を口にしかけたとき、発電機の唸りのような低く長い振動音とともに照明が回復する。
いかにもこの艇らしい、古めかしくてわざとらしい演出だった。一瞬本気で心配しそうになったのが馬鹿らしく思えてくる。
「今のは?」
「多分、粉砕処理機が稼働を始めたんだと思う」
何も心配要らないわと言うように答えるネムリは至って平常運手。
瞼をトロンと下げ欠伸を漏らす。
だがそれを聞いたイザベルの反応はネムリとは対照的だった。
「ディスポーザー!? えっ、それは別に稼働させなくていいって言ったよね?」
このE16区画には生命維持に必要なサバチエ機関を補助する有機物転換炉が積まれてある。
粉砕処理機はその前処理のため、廃棄物を分子分解するための装置だった。
エネルギー使用量が大きいから停止したままにしておこうと、この艇のコントロールを確保したときに二人で相談して決めたことなのに。
イザベルは勝手に約束を反故にして平然としているネムリの眠たげな顔を信じられない思いで見つめた。
「大丈夫。減速を始めたせいでエネルギーは電力に転換されて飽和気味になってたし、どうせ蓄えきれない電力は熱になって放射されるだけ」
「そ、そうじゃなくてぇ」
ネムリにはイザベルが焦りだした意味が分からない。分からないながらも、どうやら不足していたと思われる自分の説明に当たりを付けて付け加えることにする。
「ごみが溜まって処分できないからって、頼まれたの。タウネルに。……ごめん。バッハだったかもしれない」
どっちでも一緒よ、と心の中で反射的に返したものの、それは二人に対し失礼だわねと自分を諫めるイザベル。
忙しなく揺れ動く思考の中で、イザベルはたった今ネムリから聞いた話と、タウネル=バッハが引き摺っていたフロートカートのヴィジョンを結び付けていた。
「シュレッダールームも今ので動き始めたかなあ? あれって連動してるんだっけ?」
「シュレッダー……? ……さあ?」
ネムリの返事は要領を得ない。だが、それは仕方ない。ネムリだってこの艇の構造を熟知しているわけではないのだ。時間を無駄にした。返事がどうであれ、すぐにでも走り出すべきだったのだ。タウネル=バッハよりも早くあの部屋に戻らないと。
イザベルは通路の前後を忙しなく見回したあと、これまでとは逆の方向へと駆け出した。
呆気に取られてネムリがそれを見送る。
イザベルの姿が曲がり角で消える直前で、あの子を捕まえにいくんじゃなかったの、と呼び止めることを思い付いたが、大きな声を出す自信がなかったので、結局大きく息を吸い込んだだけだった。
彼女の体内でそれは溜息と、次いで大きな欠伸へと転換される。
仕方がない。自分一人ではとてもユフィを捕まえられないだろうし、諦めて今夜こそゆっくり休むとしよう──
「ユフィのこと捕まえといてー!」
──と思っていたら、曲がり角の向こうからイザベルの馬鹿でかい声だけが反響して戻って来た。
「…………」
仕方がない。運が良ければあの銀髪のイケメンが捕まえておいてくれるかもしれない。あの子は遠くに見えた彼の背中を追い駆けていったわけだし。
ネムリが後戻りしかけていた足を苦労して前向きに直し、冷たくなった足の指をぼんやり見つめていると、イザベルが去ったのとは逆の方向から二組の足音が近付いて来ることに気が付いた。
一人は硬い靴底を鳴らし、もう一人はぺたぺたと床を叩いていることからネムリやイザベルと同じ、素足であることが窺えた。
一定の間隔で規則的に響く靴音に対し、素足の音は不器用にバラララッと踊るようなステップを踏んでそれを追っている。
「──すまない。ちょっと離れて歩いてくれないか。君は平気かもしれないが、俺の方は気が気でないというか……。寒いのか? まあ、そんな恰好だしなあ……」
おやおやこれは。どうやら探す手間が省けたようだ。
ネムリは欠伸がてら通路の壁に寄り掛かり、足音の主たちが到着するのを悠然と待ち受けることにした。




