◆3-8:イザベル 通用路(1)
女子たちにとって待望のシャワールームが見つかったのはシャッターで封鎖されていた従業員用の区画だった。
ユフィのパスが通ったことを端緒に、それを緊急用のアカウントとして拡張し、ほぼ全ての権限でこの避難艇区画のシステムをコントロールできるようになったのだ。
懸念されていたハンザ艦隊本体との連絡も付けられ、まずは一安心。
だが肝心の救援の方は、安全確保のため、この避難艇が十分に減速するのを待つ必要があるとの理由で三日後になると伝えられた。
それからイザベルはネムリと二人で区画内のリソースを確認した。
水と食料は十分過ぎる蓄えがあったが、エネルギー量は単独の供給機関を持たないため自由にできる電力には限りがあることが判明する。〈宇宙クラゲ〉に蓄積されているエネルギーから転換される余剰電力だけが頼りである。
そこで艦内の見取り図を見ながら開放する機能と区画の選定に取り掛かった。
彼女らが真っ先に手を付けたのはダイナーの給仕機能でも、自販機の無料開放でもなく、シャワールームに通じるドアへのアクセスであった。それは他の女子からも不満の出ていた懸案事項ではあったが、特にイザベルにとっては死活問題となる最重要事項だった。
メディアの取材が殺到する晴れ舞台を前に、満足に身だしなみを整えられないのでは、彼女のその後のキャリアにも差し支えが出ようというものだ。
濡れて光ったユフィの足跡をたどりながら、イザベルは無機質な従業員用の区画を足早に進む。
馬鹿な男子が悪戯しないようにと考え、必要以外のドアは全て施錠したままにしていることもあって周囲に人影はない。
最初はそれを不幸中の幸いと喜んだイザベルであったが、足跡が一直線にモールの店舗スペースへと伸びていることに気付いて再び慌て始める。他に寄り道できないのだから、ユフィの足が真っ直ぐそちらへ向かうのは当然の結果である。
スタッフゲートを出た辺りで、ユフィの付けた足跡が途切れ途切れになり始めたことでイザベルはさらに危機感を募らせた。
ほとんど走るようなスピードで飛び飛びの足跡を追う。
ここのT字は? ……折れずに直進だ。
その先、突き当りのT字は? どっち?
通路の先ばかりを見ていたせいで、イザベルは右手側から出てきた人影にぶつかりそうになる。
衝突を避けるため、イザベルとその人影は腕を前に突き出し、互いの腕を掴んで身体をスイングバイさせた。
真っ直ぐ通り過ぎようとしていたT字の角で90度。いや、270度身体の向きを変えて静止する。
「うーわっ。なんだよ。危ねーな」
人影の正体はアキラだった。
「シャ、シャワーの時間はまだよ。終わったら呼びに行くって約束でしょ?」
「知ってるよ。なに焦ってんだ」
女子の裸を覗きに来たのかと糾弾するつもりで口を衝いたのだが、すでにシャワールームからは距離が離れ過ぎていて、イザベルのその意図はまるで通じなかった。
だがとにかく、ここでウィットに富んだ返しを考えている暇はない。アキラがここにいるということは、他の男子も近くにいる可能性がある。
そう思った瞬間、アキラの頭の後ろをライムグリーンの輝きが横切った。
「あっ」
「えっ?」
イザベルが見開いた瞳のわけを見定めようと、アキラが反射的に身体を捻る。
「だ、駄目!」
イザベルも負けじと反射的にアキラの頭を両手で掴み、思い切りこちらに向き直らせる。
「痛っ……てえな! なんだよ一体?」
「駄目だからね? このままね?」
アキラの頭をしっかり固定したまま、イザベルはその肩口から通路の先に目を凝らす。
一瞬だけ見えたユフィの姿はT字路の奥へと消え、再び姿を現すことはなかった。
近くの足跡から考えてここの角は直進したはずだから……、つまり、ユフィは次の突き当りを右に曲がって、そしてまた右に回って折り返してきたのか……。
イザベルは頭の中で付近の見取り図と、ユフィがたどった経路を思い浮かべた。
「お前……、なんか髪濡れてね?」
耳の近くでボソリと呟くアキラの声に、イザベルはうなじの毛をゾワリと逆立たせる。
「なっ! なに見てんのよ。エッチ! 変態!」
「えっ、いや。見たっていうか、なんかシャンプーの匂いしたから、つい……っていうか」
「か、嗅ぐなー。鼻摘まんで。あと目も閉じて」
「やめろ。分かったから。悪かったよ。だから落ち着けって」
イザベルが片手でアキラの鼻を摘まみ、もう一方の手で両目を塞ごうとするのをアキラも必死になって抵抗する。
アキラにしてみればとんだ災難に違いないが、イザベルにとって今のアキラは邪魔な障害以外のなにものでもなかった。とっとと放り出してユフィの後を追いたいのに、もしユフィが進行方向を変え、こちらに戻ってきたらと考えると、アキラをこのままに放置していくことも躊躇われた。
だって、ほんの目と鼻の先に、全裸のユフィが……。
「あらぁ? あらあらあらあら。これはまあ!」
二人が通路の真ん中でつかみ合いをしているさなか、芝居がかった口調で現れたのはミャウハ族のヘルハリリエだった。
いつもは二人以上の御供を引き連れているのに、今は珍しく一人のようだ。
「随分仲のおよろしいこと。こんなところで逢引きですか?」
「これが仲良さそうに見える?」
「いえいえ。わたくしはじめからお二人はお似合いだと感じておりましたのよ?」
いっときも早くここを離れたいのに、なんて面倒臭い絡み方をしてくるのかしら。
イザベルは口の中で尖った犬歯の先端をなぞる。
だけど……、待って。そうだ。
「あ、ユフィ。ユフィ見なかった?」
「ユフィさん?」
ヘルハリリエがやって来た方向は、つい先ほどユフィが歩いていった先と同じに見えた。
まさか、裸の女の子を華麗にスルーして私に嫌味を言いに来たわけではないでしょう?
そんな含みの表情で視線を交わし合ったのだが、ヘルハリリエの反応は要領を得ないものだった。
「ユフィさんがどうかされたのですか?」
「えっ、すれ違ってないの? はだ……、いやぁなんでもない! リリエ、あんたどっちから来たのよ?」
「わたくしはダイナーの方から。ああ、そうだ。ちょうど良かった。わたくし、皆を代表してイザベルさんに意見をしに参りましたの。調理設備が復旧したのは喜ばしいことですし、イザベルさんとネムリさんがご尽力いただいたことにも感謝しておりますが、どうしてチュルティナの高級レストランは稼働なされないのですか? 大体、地球系の皆さまは種族ごとの食の好みを軽んじる傾向が──」
長々と喋り出したヘルハリリエの話をイザベルは上の空で聞き流していた。
ユフィの進路から見るとダイナー側へは左折することになる。これまでの傾向と、彼女の姿を見ていないというヘルハリリエの証言から考えれば、ユフィはずっと右回りに移動しているとは考えられないだろうか。
驚くべき移動速度、驚くべき落ち着きのなさだが、突き当たって右折、突き当たって右折を繰り返していったとすると……。
「ユフィがいなくなったのか? なら、俺も探すの手伝うぞ」
「だっ、駄目! 駄目絶対。あんたはここを動いちゃ駄目だから」
「はあっ!? なんでだよ」
「リリエ! アキラを捕まえといて」
「えっ? なんですの? わたくしの話はどうなりましたの?」
「おい。なんで俺が悪者みたいになってんだよ。ケネスのことはちゃんと謝っただろ?」
違うんだけど。そういう意味じゃないんだけど。
おそらくアキラが100%善意で言っていることは分かったので、流石に申し訳ない気持ちになったが、彼に非があるとすればその鈍感さだ。
詫びは後で入れようと割り切り、イザベルは二人をその場に残し、全速力で駆け出した。




