◆2-13:イザベル 医務室
ミリィによく似た少女が次に目を覚ましたのは、子供たちが一度眠りに就き、夜朝昼と都合三度の食事を済ませた後のことだった。
三食目ともなると皆、チョコ菓子やクッキーなどの甘い軽食にも飽き始め、ちゃんと調理された温かい料理が食べたいと不平を漏らし始める(ムンドーの暴食事件の後は、そんな食べ物しか発掘できなかったのだ)。
しかしながら、ダイナーの自動調理施設は稼働を休止したまま。どんな命令の字句を並べてみても動き出す気配がない。
今のところ、自分たちが孤立無援で宇宙空間を漂流しているという事実を察して騒ぎ出す者がいないのは幸いと言えるが、それにしたところでもう時間の問題だ。事情を知るイザベルたちは、救援のための進展がないことに内心痺れを切らし始めていた。
そんな中にあって、ずっと昏睡状態にあったミリィが目を覚ましたことは朗報であった。
それが特段、事態を好転させる材料ではなかったとしても。
目を覚ましたミリィに対し、イザベルとセスは根掘り葉掘り情報を聞き出そうとしたが、どういう訳かミリィはキョトンとするばかりで言葉を返そうとしない。
喋らないだけでなく、こちらが言ったこともどれだけ理解されているのか分からない頼りなさに二人は慌てる。
寝惚け眼のネムリを引き摺って来て、彼女の端末のライブラリにある症例と突き合わせてみた結果、ミリィの症状は精神的なショックによる一時的な記憶の混濁と精神退行ではないかと結論付けられることになった。
もっとも、面倒臭そうに所見を述べたネムリにしても、彼女自身その結論をどこまで信じているか分からない。当然ながら、十二歳の子供に過ぎないネムリに専門知識があるわけもない。単にイザベルとセスの二人が納得できそうな説明を無理矢理言わされた感じである。
ネムリは、イザベルが思い詰めた顔で説明し始めたクローン云々という与太話を適当に聞き流しながら、もうひと眠りするために引き上げて行った(どうやら彼女は一人で夜通し調べものをしていたらしい。今しがた寝入ったところを二人に叩き起こされたのだった)。
「どう思う、セス?」
再び二人きり(ミリィも数に含めれば三人きり)になり、イザベルが途方に暮れた様子で訊ねる。
「明らかに失敗だと思う。ネムリには言うべきじゃなかった。まあ、私もウィッグ付けるの忘れてたから他人のこと言えないんだけど」
そう言うとセスは、ミリィ用に準備した衣類の中からライムグリーンの長いウィッグを摘まみ出し、形を整えながらミリィの真っ赤な頭の上に被せた。
ミリィは両手を頭の方に伸ばして触ろうとするが、セスによってそれを遮られる。
「ちょっとじっとしててねー。すぐに済むから」
その言葉のとおり、ミリィの頭の上にその場所を定めた〈順応分子ウィッグ〉は、根本の形状をうねうねと変え、瞬く間に、髪の毛一本一本に自身のライムグリーンの色を絡み付かせた。
セスから掴まれていた手が自由になると、ミリィはすぐさまウィッグを引っ張って外そうとしたが、そのときには完全に地毛と一体化し、梳いても揉んでも剥がせなくなっていた。まるで生まれてからずっとそのライムグリーンの地毛であったように自然に見える。
ウィッグを付けたミリィの反応はどう見ても初見のもので、何が起きたのか分からないといった表情だ。
幼児のような無垢な愛らしさは、これはこれで庇護欲を誘う好ましさがあるものの、イザベルが昔ヴイで見た、インタビュアーに向かって自らの赤い髪が紛れもなく天然物であると主張したときの毅然とした面影はどこにも見当たらない。
イザベルは彼女の様子を観察するにつれ、自分の中の期待が萎んでいくのを感じていた。
憧れのミリィと直接話ができるという期待然り。彼女の覚醒が、漂流を続ける自分たちの窮地を救う糸口になるのではという期待然りだ。
「……秘密の件もそうだけど、いま訊いてるのはミリィの症状についてよ」
「記憶障害と幼児退行って説明には賛成。実際、そのとおりに見えるし。皆に紹介するときにはそういうことにしておきましょう?」
「どうしたら記憶が戻ると思う?」
「記憶なんて戻らない。だってこの子は空っぽのクローンなんだから。……でしょ?」
セスはやはりこのミリィが、連盟中に名を馳せるスーパースター──ミリィ・クアットのクローンだという考えを揺るがせていないようだった。
イザベルも最初こそそうに違いないと信じていたが、最初に目覚めたときの彼女とは曲がりなりにも会話ができていた。時間経過によって生じたこの変化にはどう言って説明を付ければよいだろう。
「ひょっとしたら、タウネル=バッハみたいな感じかも」
「デュオクト族の血が混じってるって? 私にはそんな彫りの深い顔には見えないけど?」
セスの端的な反論一つでイザベルはすぐ言葉に詰まる。
確かに、外見的にそうは見えない。だが、長い血筋のどこかでデュオクト族と交わっていれば、子孫の誰かがそれと似た形質を発現させる確率はゼロではない。
デュオクト族ではなくとも、別の星系種族でも多重人格を発現させるマイナーな種族がいるのかも……。残念ながら、寡聞にしてイザベルはそんな星系種族を知らなかったが。
「まあ……、いいわ。私は今の状態が一時的なものだって方に賭ける。会話できるようになったら全部はっきりするでしょ? この子がミリィのクローンなのかどうかも」
セスは多少渋っていたが、イザベルはミリィを皆と同じように艦内を自由に出歩かせることに決めた。
狭い部屋に押し込めておくのは気が咎めたし、他の皆に、〈宇宙クラゲ〉から生還した少女の元気な姿を見せることには意味があると思ったからだ。
それはセスも賛同するところだったが、イザベルが一番必要だと思ったのはミリィ自身への刺激だ。仮に、精神の自己防衛的な働きで脳が休眠状態にあるのだとしたら、いろんなことを見聞きさせることはきっと効果があるはず。
「あ、待って」
ミリィにちゃんとした服を着せてやり、イザベルが彼女の手を引いて部屋の外に出ようとしたとき、セスがドアの開閉ボタンの前に手を翳して遮った。
「名前。さすがにミリィはまずいよ。別のを考えないと」
「そうね。貴女……、名前は? なんて呼ばれてたの?」
「二万と跳んで三十七号」
「黙って」
おどけるセスを諫めてイザベルはミリィに向き直る。正確には、扉に向かって呆然と立ったままのミリィの両肩に手を置いてこちらを向かせた。
この顔を真正面に見るとどうしても怯んでしまう。
もちろん美人である。だが、イザベルだって自分の優れた容姿には自覚的だったし、それだけのことで怯んだりはしない。
彼女を落ち着かない気持ちにさせるのは、ヴイで観ていたミリィ・クアットと今のミリィの差異のせいだ。
眩いスポットライトと歓声を浴びながら、華麗に踊り、歌う、神々しいスター性。きっと血の滲むような努力に裏打ちされたであろう自信とカリスマ。イザベルが憧れたそういった輝きが、今のミリィからは完全に失われていた。肉体的に明らかに幼いというのもあるが、その内側にも彼女を彼女足らしめる知性が感じられないのだ。
セスの言うとおり彼女がただのリザーブで、本物のミリィとは無関係な、入れ物に過ぎないのだとしたら、こんな評価は甚だ不当と言わざるを得ないが、イザベルの主観では今のミリィは大事なものが剥ぎ取られた無残な抜け殻のように思えてしまうのだった。
ふとイザベルが思い出したように自分の手首の端末に指を掛ける。
すると、フワンと柔らかい音が鳴って、彼女とミリィの間に小さな鏡が浮かび上がった。
イザベルが回り込み、ミリィと肩を並べて鏡の中の像に指をさす。
「私は、イザベル。……こっちね。イザベル。私の、名前。イザベル。分かる? じゃあ、貴女は? こっちの緑髪の子の名前は何? 思い出せない?」
ミリィは興味深そうに鏡に見入っている。
やがて鏡の中のミリィがおずおずとこちらに手を伸ばしてきた。二人の手が中指と薬指で触れ合い、そこに波紋が立つ。
ミリィは初めて鏡というものを知った動物のように驚いて手を引っ込める。
うねうねと歪む鏡の中の像を見て、怖いと感じたのか、横に立つイザベルの身体に身を寄せて自分の姿を隠そうとする。
「丸っきり赤ちゃんね」
改めてセスが言うことも一理あるなと思った。
こんなに大きな身体の赤ちゃんはいないが、彼女が培養槽で育てられたクローンであり、これまでほとんど学習をして来なかったのだとすれば、こんな生まれたての子猫のような反応も頷けるのではないか。
「ごめん。鏡を見せるんならウィッグ付ける前が良かったかもね」
「一回外す?」
「リムーバー探さなきゃ。あと、髪を洗える場所も」
「あー、そうだったね」
彼女らにとっては貧しい食事問題に加えて、それも重大な問題の一つだった。
多少窮屈だが、トイレの洗面台を使えば髪ぐらいは洗えるだろう。だが、できればシャワーを使いたい。
ここはショッピングモールだから探せば大抵の生活用品は見つかるが、流石にバスルームのような大きな物までは売っていない。身綺麗にできないことは年頃の女子たちにとっては大変由々しき問題である。
二人が気を重くしている側では、ミリィが好奇心と勇気をふり絞り、浮遊する鏡と対峙していた。
イザベルの背中にひっしと抱き付きながら、彼女の身体の陰から頭を覗かせる。波紋が収まった鏡面にゆっくりと、用心深く顔を近づけ、マジマジと観察する。小さな唇が僅かに震え、すぼめられた。
「ユフィ?」
思いがけずはっきりと呟かれた言葉に驚いてイザベルとセスがミリィを──彼女たちが勝手にミリィだと見なしていた少女の顔を見つめる。
「え!? 今、この子が言った?」
「思い出したの? それが貴女の名前?」
二人は俄かに興奮し、ユフィと名乗った少女に詰め寄るが、少女の方は二人が何に驚いているのかも分かっていない。置いてきぼりになった表情で二人の顔を見つめ返すだけだった。
「私は、イザベル。彼女は、セス。ね? イザベルに、セス。貴女は? この子の名前は? なんて言うの? もう一度教えて?」
「……ユフィ?」
イザベルに向かって小首を傾げながらも、少女は最初と同じ音節を口にした。
彼女が起きてから初めて会話らしい会話が成立したことに、二人はひとしきり沸いたが、今の彼女から引き出せた目ぼしい反応はそれだけだった──。
*
「うーん……。でも、前進はしたわよね? やっぱりこれは一時的な症状。回復するんだわ。でしょ?」
「確かに。刺激を与えた方がいいって言うベルの考えは合ってるっぽいね」
「それに、ミリィのクローンでもなかったことになる」
「いや、それはまだ分かんないわよ? 身元を隠すために普段使ってた偽名……識別用のコードネームかも」
「そ、そっか。そうかもね」
セスの言い分に完全に同調したわけではなかったが、決め付けはよくないとイザベルは自分の中で先走る考えをたしなめる。
「まあ、とにかく、ユフィって名前なら問題ない。皆に会いにいきましょう?」
意気揚々と医務室を後にする二人と一人。
こうしてメランは、ユフィという名前だけを憶えている記憶喪失の少女として、皆の前で紹介されることとなったのだった。




