◆2-12:イザベル シュレッダールーム
そんなイザベルの考えに呼応して、というわけでもないだろうが、ドッドフと別れたすぐ後、彼女にとって絶好の機会が巡って来る。
ミリィの気密服を背負って入ったシュレッダールームで、あの銀髪の美少年と遭遇したのである。
こんにちの完璧に管理された探査船団社会においては、生命を脅かすような極限状態に置かれることなど、まずありはしない。そんなものは映画やドラマの中だけだ。
けれど、今イザベルの目の前にあるのは、その望むべくもないドラマチックなシチュエーションだった。
大人が誰一人としていない閉鎖空間。どことも知れぬ宇宙空間を漂い、生還できるかも分からない極限状態。そこに現れたのはミステリアスで儚げな雰囲気を漂わせる銀髪の美少年だった。
今なら競争相手となる同年代の女子たちもいない。彼と個別に仲を深めるなら今をおいて他にないだろう。
そう思った途端、一気に脈拍が上がる。温かな体温が触媒反応を促すように、心の方も臨戦態勢を整える。
イザベルは浮き立つ心を懸命に抑えながら、静々と彼の背後へと近付いていった。
彼女が狙いを定める王子様は、彼のトレードマークともいうべき黒いスーツを脱いで胸元に抱えていた。それを抱えたまま、何やら熱心に回収機の前のパネルに見入っている。
相手が気付いていないことをいいことに、イザベルは彼の背後から食い入るように観察を続ける。
グレーと青基調でデザインされたインナーは、シンプルだが洗練されていて彼らしいストイックな人となりを想起させる。
肌にピッチリと張り付いた薄手の生地は、当然ながらそれまでに着ていた気密服よりも彼の肉付きを緻密に浮かび上がらせていた。
ビジュアル面でももうすでに我慢ならないほど刺激的なのだが、イザベルにとってよりクリティカルだったのは、彼から香る体臭のほうである。近付いてみるとそれがよく分かった。
全体的に色素の薄い儚げな容姿に反し、その体臭は力強い野性味を感じさせるものだった。
きっと彼は惑星生まれに違いない。生まれてからずっと完璧に調整された食物しか摂取せずに育った甘っちょろい宇宙人では成し得ない豊かな体組成。彼の中で年輪のように積み重なった冗長性が、彼個人にしか持ち得ない匂いを醸しているのだ。
彼の細く白い首筋に噛み付いて、今すぐその味を確かめたい。
イザベルの種族が遠い昔に捨て去ったはずの吸血衝動というエロチシズムが俄かに沸き立つのを感じる。
あっ──。
イザベルが胸の前で抱えていた缶詰のカプセルがこぼれ落ちた。
瞬間、今の今まで彼女の内側で漲っていた衝動がスッと消え失せる。
片手でドワーフスーツの両手首をまとめて持ち、もう片方の手に缶詰を一つ。持ちきれないもう一個を手首と胸の間で挟んで支えていたのだが、それが滑ってこぼれ落ちたのだ。
咄嗟に受け止めようとして太腿を持ち上げるが、無論そんな曲芸師のような真似ができるわけもない。缶詰はイザベルの膝の上で弾んだ後、床に落ちて銀髪の彼の足元目掛け勢いよく転がっていく。
銀髪の彼──ケネスは、その音でハッと気付いてイザベルに向き直り、自分に向かってくる円柱のカプセルを爪先を使って器用に掬い上げた。
垂直に蹴り上げたそれを掴み取る様は、曲芸師どころではないさり気なさで、イザベルにはそれが合成技術で作り出された映画のワンシーンのように見えた。
ケネスは最初、自分の手の中に収まったカプセルを興味深げに見つめていたが、正面にたたずむ少女の手に同じ物がもう一つあることに気付くと、近くまで歩み寄りそれをそっと差し出した。
イザベルの背後でミリィの気密服がドサリと崩れ落ちる。
間近に迫ったケネスの顔を呆然と見つめながら、彼が差し出す缶詰を受け取ろうとするイザベル。だが、不意に我に返って缶詰を押し付け返した。
「これ、貴方の分よ。渡そうと思って、貴方を探してたの」
「あなた? 俺の、ぶん……」
イザベルの意図を確認するように、ケネスの指が自分の顔を指す。
「そう。お腹減ってない?」
「……これは、食べ物、だろうか?」
自分の手の中の円柱を目線の位置まで上げ、様々な角度から観察するケネス。
パッケージには商品名と開封方法の説明がプリントされているが、そこにあるのは文字だけで中身の調理品のイメージ図などは付されていない。
イザベルはその様子を見て、彼はきっとまだ銀連の文字を読めないのだろうと推測する。
「貸して。こうするのよ?」
イザベルは一旦は押し付けた缶詰をケネスから取り上げると、上端に付いた小さな穴に指を掛け、半時計周りにクルリと回転させた。
蓋がスライドして出てきたボタンを軽く押し込む。
数秒待つとチンというベル音が鳴って調理の完了を告げる。
プルタブに指を掛け、グッと力を込めて持ち上げると、その下からホカホカの湯気が立ったミートパスタが顔を覗かせた。
「はい」
イザベルはカプセルの側面に付いたスライド窓から取り出したフォークとともに、出来上がったパスタを差し出した。
ケネスの方は、彼女がそうする様子をずっと興味深そうに見つめていた。
促されるままフォークを取り、カプセルの中身をそれでかき混ぜる。だが、それを口に運ぶ直前で動きが止まった。
「どうしたの? 味はそんなに悪くないから食べてみて? 標準係数は5だし、アレルギーは大丈夫だと思うけど。あ、それとも宗教的なタブーとかある?」
「……それほど、空腹ではない」
「えっ、そうだった?」
「食べ物。少ないと聞いた。大事に、したほうがいい」
「ああ……」
イザベルは曖昧に答えながら、彼はきっとセスとムンドーの間であったという口論を聞いていたのだろうと想像する。
「でももう開けちゃったしなあ……。ねえ、じゃあ半分こしよう? 実は私もあんまりお腹空いてないの」
本当はパスタの匂いを嗅いでから無性に空腹を感じていた。いまなら一人で二缶とも平らげられそうだったが、ここは我慢のしどころだ。
「こっちはネムリの分なの」と、もう一つのカプセルを振って示しながら、そこからフォークだけを拝借する。
それからケネスを壁際に誘って並んで床に座り、開けた缶詰を交互に受け渡しながら中のパスタをつつき合った。
「いい味だ。……美味しい。うまい」
「良かった。口に合って。味覚が近いってことは、やっぱり貴方、原生地球種族の近縁かしら?」
その問いにケネスは返事を返さない。
たった今口に運んだものを咀嚼するのに忙しくしているだけかもしれないし、イザベルの使う単語が難し過ぎて理解できなかったのかもしれない。
いずれにしろ、返事があることはあまり期待しないまま、イザベルは独り言のように話を続ける。
「ごく稀に、大昔に入植されて以来連絡が途絶えてた惑星が、探査船団に再発見される事例があるっていうけど。最近そういうニュースがあったって話は聞かないわね。でも、貴方からは地球に近しい匂いを感じるわ。アキラなんかよりよっぽど」
流し目でケネスの反応を窺うイザベル。その眼光には十分な余裕と、年頃に似合わぬ妖艶さが宿っていた。多少腹も落ち着いたし、その次の獲物は……といったところだろう。
「知ってる? あいつの自慢は、原生地球人との遺伝子一致率が90%以上もある準純血種だってことなのよ? 私たちアーキテクトミュータントにはそういう尺度でルーツを語る資格がない。けど──」
そこでイザベルがケネスに身体を寄せて鼻を鳴らす。
「血を嗅ぎ分けるこの嗅覚は、私たちの祖先の匂いをより好ましく感じるようにできているっていうわ。人工的に研ぎ澄まされてはいるけれど、数千年にも渡って受け継がれている本能。それって、とってもロマンチックだと思わない?」
吐息混じりの、囁くような声音。
それが異性を誘惑する類のものであることはケネスにも理解できていた。若いとはいえ、そこまで野暮ではない。
ケネスが生まれ育った組織、社会においてはケネスはれっきとした成人であった。小柄な体格のせいか、ここにいる子供たちには同年代と思われているようだが。
ケネスは自分と少女の顔の間に缶詰のカプセルをずいと割り込ませ、そのまま彼女に押し付ける。
「俺はもういい。残りはお前が」
「お前じゃなくて、イザベルよ。イザベル・テニスカヤ」
イザベルはほとんど空と言っていい軽さになったカプセルをぞんざいに受け取ると、流れるように床の上に置き、ケネスと同時に立ち上がる。
「ケネスだ」
握手の手を差し出す仕草と物欲しそうにする顔で彼女の意図を察したケネスは遅まきながら自己紹介に応じる。
「ケネス……。下の名前は何?」
「名前の、下とは何だ?」
「ファミリーネームよ。あるでしょ?」
統一銀河連盟には様々な出自の種族が所属している。
中には家族意識が極めて希薄なせいで、ファミリーネームという風習がない者たちもいる。例えば、純フィライド族であるセスのフルネームはセス・フィライドだし、マダグ族のムンドーはムンドー・マダグだ。憶えやすいが、イザベルたちにとっては少し味気ない。
ケネスくらい原生地球人に近ければ、当然ファミリーネームを持っているだろうと思って訊いたのだが、意外なことにケネスはその質問に対し露骨な口ごもりをみせた。
「話せない。いや……、憶えていない」
「それって、〈一族の掟〉みたいなもの? 結婚を決めた相手としか名乗り合えない、みたいな?」
俄然瞳を輝かせるイザベル。
「う、んー。近い。似ている、かな? みたいな?」
「素敵。私そういうのに弱いのよ。ほら、探査船団て、混じり合って同じになろうとするばかりで全然尖ってないでしょ? 私は生物学的な差異じゃなくて、異なる環境でできた文化や風習なんかに凄く興味があるの」
ケネスはいつの間にか、自分が彼女に両手を握られていることに気付く。
腕が交差され、これでは攻撃を受けてもとっさに対処ができない。敵地でこれほど隙を作るとは。これまで一体どんなぬるい訓練を受けてきたんだと罵るヴェエッチャの顏が思い浮かんだ。
「ねえ、もっと貴方のことを聞かせてよ」
「……俺は。……俺も、興味がある。君たちの、文化に」
追い詰められ、思わず衝いて出た言葉は自分の些細な失態を取り繕うためのものだった。
〈接触派〉の論調をなぞるわけではないが、この際だ。敵の内情を詳しく知るための潜入調査。そんな任務の一環だと考えれば、このように彼女らと親しくすることにも妥当性があるというものではないか。
「あ、ごめんね。そうよね。私たちより、ケネスの方が慣れてないことばっかりで心細いよね。何でも訊いて? ねえ、そういえばさっきはこの前で何してたの?」
不自然な形で両手を繋いだままイザベルがケネスを引き摺っていく。先ほどまでケネスが熱心に見ていた回収機のパネルの前へだ。
「これって洗浄装置じゃないよ。中に入れた物は粉々に粉砕されるの」
「……そうしたい」
「えっ!? 捨てちゃうつもりだったの? もったいない。や、今はやめた方がいいんじゃない? そのスーツ珍しい……、貴方の惑星から持ち込んで物だとしたら、同じ物はなかなか取り寄せられないと思うし」
「大丈夫。……故障した。危ない。だから、粉々にしたい。……粉砕したい」
「そ、そう……」
「中に、入れると粉砕するのか? それだけで?」
「ん? うん……」
イザベルはもう一度パネルに表示された文字に目を走らせると、床に転がされていたミリィの気密服に駆け寄っていった。
ケネスはようやく解放された自分の両手の平を見つめ、イザベルが遠くでうずくまっている隙に、そこに薄っすらと滲んだ汗を腰の側面で拭う。
気密服を抱えて戻ってきたイザベルは、ケネスの見ている前でそれを目線の高さまで持ち上げ、フラップ状になった投入口に押し込んだ。するとすぐに、中でガタゴトと大袈裟な音が鳴り始める。
振り返って「ねっ?」という表情を見せるイザベルを見て、ケネスも同じように自分のスーツを拾い上げて投入した。
「さ、行きましょ?」
用事が済んでしまった以上、ここに留まる理由はない。本当は完全に粉砕されたことまで確認しておきたかったが、当然のように彼の腕を取って歩き始めるイザベルに従いケネスもシュレッダールームに背を向ける。
「大丈夫、だろうか? 硬い物でも」
「ええ。大丈夫。硬度なんて意味ないよ。最終的には原子レベルまで分解されるの」
惑星人の社会は総じて科学技術の普及が遅れていると聞くが、そんなことを心配するとは、ケネスは余程未開の惑星からの来訪者なのだろうとイザベルは想像する。
幾らか広々しているとはいえ、宇宙探査艦の中は閉じた世界だ。単純に物を廃棄することなどあり得ない話だった。
自然とそういうことに気が回るイザベルは、それから後、なるべく上から目線にならないよう気を付けながら、ケネスに対し探査船団社会のことを話して聞かせたのだった。




