日本合身後 31日目から40日目
31日目。
運転率を落としていた苫小牧と鹿島と山口と愛媛のコンビナートが点検を終え運転率を上げ始める。近日中に海沿いの県にはガソリン・軽油・灯油・重油・潤滑油の他、化学原料の提供が始まるだろう。稼働出来る内航タンカーやケミカルタンカーも点検を終えている。
もっとも、全力運転などすればあっと言う間に製品が溢れることになる。日本の工場はほぼ停止していて点検の最中だった。受け入れ先がない。しかし、人員不足で全力運転など当面不可能だ。
更に言えば人手が7年間で激減しており、特にノウハウを知るベテランは病気などで亡くなっていたり復帰出来なくなっていたりする。暴動や飢餓で死亡した人間も多い。
消費する側の人間が減っているために、コンビナート全体を効率の良い運転態勢には持って行けそうにない。コンビナートを減らすかという声には、将来を考えると余剰設備の破却をして需要が増加した場合に対応出来るのかという考えもある。石油コンビナートは周辺まで含めて効率最優先で作られている。今の人材で建設出来るのか?見本として出来れば動態保存出来ないか?
この件も、国家会議(国会にかわる一時的なもの)で検討されることとなる。
32日目
比較的平地に近く難易度が低いと見られていた県境で通路が開通する。開通と言っても通路であって、オフロードバイク程度が通過出来る幅と土の路面だ。それでも現場は興奮に沸き返った。
県境が川の場合は川幅が拡がっており架橋による早期開通は諦められている。山の場合もその険しさから早期開通は諦められている。
そして、たいていの場合県境は川と山だった。
最初に開通したのは
埼玉県児玉郡上里町と群馬県高崎市新町の国道17号線が開通した。区間距離は36km。
埼玉県側は国道17号線が川を越えたところで切れており、群馬県側は自衛隊駐屯地のそばで切れていた。途中結構な川幅の河川が2本と中小の河川が何本か有ったが山は見えず多少の凸凹はあったが森を切り開くだけで良かった。と言っても、直線ではなく木々の間を縫うように通路にしただけである。川は自衛隊の渡河機材で渡った。それでも繋がるのはうれしい。
埼玉県側は人手不足で主役は群馬県の自衛隊だった。
他の県は余裕が無くまだ先になるだろう。
33日目
次に開通したのは
新潟県村上市伊呉野と山形県鶴岡市鼠ヶ関奥田の国道7号線が開通した。区間距離は28km。同じく途中結構な川幅の河川が2本と中小の河川が何本か有ったが山は見えず、多少の凸凹はあったが森を切り開くだけで良かった。直線ではなく木々の間を縫うように通路にしただけである。
海岸沿いながらほぼ平地で主力は新潟の自衛隊だった。
サハリン州の物資不足を解決するために、サハリン州から人手を募る。日本国内の物資を持って行って良いと。但し地域は《 東京 》《 川崎 》の一部。条件として後片付けを少し協力して欲しいと。結構な人数が応募した。大丈夫なのかな、現地はかなり悲惨だ。
34日目
各地の製鉄所や金属精錬所から復旧には数年かかる炉が多いと報告が上がってきた。正常に休止状態に持って行けた炉が少ないためだった。古い炉なら作り直す方が良いと。
正常に休止状態に持って行けた高炉は、室蘭、鹿島、千葉、君津の高炉だった。他は緊急停止に近くその後は製鉄所を動かす動力が足りず手を付けられない状態だった。
電炉も正常休止状態に持って行けた炉は少なく、復旧は大変であると。
鉄はおそらくその4カ所があれば大丈夫なはずだが、特殊鋼やパイプには影響が出そうだ。特に和歌山のパイプが拙い。早急に対策を練る必要がある。
と、国家会議が報告を受ける。しかし、現状では人手も足りず手が出ないのが現実である。
38日目
また1カ所、開通した。
静岡県湖西市新所原と愛知県豊橋市中原町の県道3号線が開通した。平坦で区間距離29km。やはり直線ではなく木々の間を縫うように通路にしただけである。
平坦であり、こちらは静岡県の民間土木建設会社が頑張った。途中の川は浜名湖や浜中ウレタンから持ってきたボートで渡った。大きな川には渡船場を作り、小さな小川程度なら鉄骨で橋を架けるという。
愛知県は千葉県並みに人口が減っており愛知県の陸上自衛隊は小規模で余力は無い。静岡県も人口はかなり減っているが両隣の神奈川県や愛知県に較べれば、電力不足で市民生活は苦しいがやる力はある。
静岡県は山梨県との交通確保に自衛隊主力を振り向けている。山梨県の周囲で高い山がない場所は富士川沿いしかない。
富士川は急流で障害も多く船で遡るのは出来ない。切り札のLCACも危険として使わない。
ハバロフスク地方の上陸地点に仮の浮桟橋機材を積んだクレーン付きバラ積み貨物船1隻と人員を載せたフェリー1隻が到着。仮の浮桟橋設置を開始する。
39日目
沿海州地方へ輸送艦「おおすみ」と敷設艦「むろと」とクレーン付きバラ積み貨物船1隻と人員を乗せたフェリー1隻が到着。LCACは1艇であった。残りの3艇は未だ稼働出来ない。それでも重機を濡らさず揚陸出来るのは便利で直ぐにベースキャンプという天幕村を設定する。
また、LCACに頼れない(いつ故障で使えなくなるかわからない)ので桟橋を作る。これはハバロフスク地方の上陸地点でも同じだった。貨物船は緊急で組み立てた浮桟橋や鉄骨など桟橋用資材を積んでいる。そこら辺にあった鉄骨なので海水に対する耐蝕性はわからない。取り敢えず浮き桟橋という形になればいい。仮の浮桟橋といっても緊急で作った鉄製タンクと空のドラム缶やウレタンを使い荷重30トン程度では沈まない浮力を持たせてある。その内必要な機材を積んだ台船がやって来て本格的な桟橋を作る。予定だ。それまで持てばいいのだ。
港湾建設会社には無理を言って人材と機材を出して貰った。彼らも変わった海底地形で港湾関連の仕事が多くなったのに人材は減っているので相当ぼやかれた。しかし、日本の未来のためならと言って出してくれた。
「むろと」は海洋状況の調査が目的だった。主に海底地形である。ここからハバロフスク地方へ海岸沿いに向かう。
ちなみに海上自衛隊でも人員不足は深刻で、「しもきた」「おおすみ」「むろと」で足りない乗組員は他艦から融通している。ほとんどの護衛艦は管理者数名が乗り組んだ状態で浮いているだけになっている。
40日目
サハリン州から人手を運ぶためフェリーが茨城県大洗港からサハリン州コルサコフに向かう。フェリーには、運搬用として4トントラック20台と大型トラック10台にワゴン車と2トン車計20台が積まれている。もちろん所有者はいない車だ。ありがたく資源の再利用をさせていただく。現地で運転に慣れてもらい、日本に入ってから慌てないように考えている。
浜中ウレタン
浜口ウレタンのことです。ウレタン製非常用ボートも有ります。浮力はウレタンで確保しているので外装に穴が開いてもエア漏れで沈むということはありません。
極東ロシアは右ハンドルの車(日本の中古車)が相当多いのですぐなれるでしょう。




