告白
「いい? 誰かが倒れたら例えそれがすぐ隣でも救急車を呼ぶ事! 鉄則よ!」
俺と彩音は東邦大桜病院に李里奈を運び込んだが、そのまま看護主任の綺麗な方にきつく怒られる羽目になる。
面会謝絶という札の掛かった病室の前。
既に彩音は両親に連絡を済ませており、先ほど才羅さんが駆けつけてきたところだ。
俺も母親にLINEを送る。
『傍にいてあげるのよ。逸平』
その短い言葉がすぐさま返ってきて、母さくらの愛を感じる。
圭人と渚さんは体育館の片付けと後始末に追われているそうだ。
『こっちが終わったら、すぐに行くからな』
頼もしい圭人のLINEの言葉に目頭が熱くなる。
才羅さんは色々と忙しく動いていて、こちらにはなかなか顔を出さない。
彩音が大きな目いっぱいに涙を溢れさせて、しきりに鼻をすすっていた。
俺はただ何も言えず、その隣に腰かけて時折肩を叩いたり、「大丈夫だ」と根拠のない声掛けをするのが精いっぱいだった。
「逸平君。李里奈がこんなになったのはあたしのせいなのかな。あの子を無理に演劇に呼ばなかったら良かったのかな」
さっきから同じ言葉を繰り返すようにして、自分を責めている。
俺は意を決すると彩音の手を強く握った。
彩音の肩がハッと大きく揺れて一瞬体が固まるが、すぐにすがる様に手を強く握り返してくる。
あたたかい手のぬくもり。小さくやわらかな感触。
彩音の細い指が、自分の筋肉質な太い指に触れる。
その細い指先は小刻みに振るえていた。何かに怯えているように。
「そんなこと……そんなことあるか! 李里奈は彩音、お前が演劇をやっているところを見たかったんだ。だからそんな風にして自分を責めちゃだめだ」
俺は彩音を正面から見つめて、真っ直ぐに否定した。
彩音が劇中で言葉を発するたびに、踊る様子を見るたびに、李里奈の瞳は輝きを増していた。それは袖から俺が見ていたんだから確かな事だ。
「逸平君。いつかはこうなる事は分かっていたの。分かっていたはずなのに……ごめんね。あたしは泣いてばかりだね」
彩音がつないだ俺の手を自分の膝の上に持って行く。落ち着くように大きく深呼吸を繰り返す。豊かな胸がゆっくりと上下に揺れる。
「ありがとう逸平君。逸平君の手はあったかいや。もう少しだけこの手を握っていてもいい? 安心できるんだ」
「こんな俺の手で良ければ好きなだけ握っていればいい。べ、別に俺は嫌じゃないしな」
俺も彩音の手のあたたかさを感じて、彼女の力になりたいという気持ちがどんどんと心の中で大きくなっていく。
「聞いて、逸平君……李里奈が今の病気にかかっている事を知った時の事。たぶん、話したことはないんじゃないかな」
彩音は俺と繋いでいるのとは違う手を眺めながら話し出す。
それは、俺も知らなかった話。彩音の子供の頃の話だった。
「李里奈は生まれた時から体が弱かったんだ。いつまで生きられるか分からない。そう、お医者さんに早くから言われていたの」
そのことを親から聞かされた彩音は何日も泣いたそうだ。
泣きながらも、自分が代われるものなら、代わってあげたいと何度も思っていた。
もちろんそれは、叶うべくもないことだった訳で。
俺は話し始めた彩音の言葉に時々頷きながら、でも握った手は離さず、彩音もまったく離そうともせずに、昔話は続いていく。
「病院にたまたまきていた叔父さんがね、世界の超常現象の書かれたトンデモ本を李里奈に渡していたのよ。あたしは初め、なんでそんなものを李里奈に見せるのって怒ったの。でもその本を楽しそうに読んでいたあの子を見て、びっくりしたんだ」
ずっと自分の病状に塞ぐように笑顔すら見せなくなっていた李里奈。それが叔父さんの持ってきたトンデモ本を見て笑ったんだ。彩音にとっては衝撃的だったんだろう。
「李里奈が楽しいって思ってくれるなら。あたしはこの子の楽しみのために生きようって、そんな事を幼い自分に誓っちゃってね」
涙を目に含ませながらも段々と心が落ち着いてきたんだろう。自分の幼い頃の考えに自虐的に笑う彩音。
「そうなんだ……それが今の彩音のオカルトのハシリ? なんだね」
俺は笑顔を顔に滲ませる。
彩音もそれにつられるようにして「あはは」と笑う。
「途中から割と本気で面白くなって来て、あたしの趣味みたいな感じにもなったんだけどね。でも、初めは李里奈を楽しませたい、ただそれだけだった」
彩音の薫りが俺の鼻孔をくすぐった。
彼女は手を一瞬離すと、そのまま左腕を両手で強く掴む。全身の熱が俺の腕に伝わってくる。彩音と目が合う。彼女のくっきりとした瞳から、大量の涙が流れ出るのをただ茫然と眺めている。
「ごめんね逸平君。ちょっとだけ……隣で泣かせて。こんな話、誰にも言ったことなかったし、逸平君にしか言えないんだ。あなたはあたしの中で特別なんだよ」
そのまましゃくりあげる様に俺の左腕にすがって泣き崩れる彩音。
彼女の涙が、俺の制服の袖を濡らしていく。それを感じながら、心の中では、たった一つの、氷のように冷たい決意が固まっていた。
どんな手を使ってでも、たとえこの体がどうなろうと。
俺は彩音のこの涙を止めたいって。




