8 話 ラクス国王アイン
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皇太子の恩人を国賓として迎えて約二日が過ぎた。
意識が戻るまでは極力、離宮への人の出入りは抑えるよう水の精霊長に指示されたので、御殿医長と数名の医師以外、あれからはまだ一度も足を運んでいない。
用事のある時は風の精霊長が自ら、余の執務室へと来る。
現在ただ今も、その来訪を受けていた。
風の流れが悪いので家具の配置を少し変えたい、との申し出だった。
すぐに了承したが、突然、風の精霊長が顔色を変えた。
「如何なされましたかな?」
「……主様が御目覚めになられた御様子で。呼ばれましたので、これにて失礼を」
軽く会釈し、そのまま風の精霊長は姿を消した。
余はすぐに他の者に伝令を飛ばし、自身も身繕いを整えた。
余は皇太子以下、最低限の人員で離宮へと望む。
目覚めたとはいえ、体調が良いとは限らない。
すぐに入室させて貰えるかどうかは不明だ。
部屋の前で一度、他の者達を見遣り、たがいに頷き返してから部屋の扉を叩くよう立哨兵に命じる。
本来であれば中への声掛けも立哨兵か下の者にさせるべきなのだが、余がこちらに出向いてきたという事をすぐに判ってもらうには余が直接声を上げる方が早い。
「精霊長どの、入室して宜しいですかな?」
「どうぞ」
了承の返答が来た。
という事は、多少であれば会話が可能なのかもしれぬ。
無理なのであれば精霊長がこちらへ来て説明するであろうからな。
開かれた扉から、室内へと入る。
付いてきた護衛が扉で止まり待機した後、余は寝台へと近づいてゆく。
彼の者は横たわったままの姿でこちらを見ていたが、その眉が少しだけ顰められている。
見え難いからなのか、それとも警戒しているのか、判断が付け辛い。
寝台の傍まで寄り、こちらの所作をつぶさに見ている風の精霊長に声をかけた。
「風の精霊長殿、こちらの御方と会話をしても宜しいか」
風の精霊長は意をはかるかのように彼の者を見た。
小さくではあるが頷いた事が判る。
「良いでしょう」
風の精霊長の口から許可を得、余は彼の者に向かい口を開いた。
「意識が戻られたと聞き、安堵し申した。お加減は如何ですかな?」
柔らかな雰囲気で相手の警戒を解こうという心づもりではあったが、彼の者の表情は硬い。
「申し、訳、ないの、ですが……起きた、ばかりで、現状が、把握、できて、いません…………まず、お聞き、したい……ここは、何処で、貴方、方は……どなた、ですか?」
身分という制度がある以上、足場が判らなければ会話も成り立たぬ。
その事を理解した上での質問に、余は温和な態度を崩さずに彼の者へ告げる。
「……ここはエルレ大陸が東、ラクス王国の王都ソルデイン。その王城内の離宮になり申す。余はこのラクス王国の国王アイン・シルヴィアート・ガイ・ラクスと申す。隣にいるのは皇太子のエルケ・フィリリァド・セル・ラクス。……後ろに控えるは我が城の神官長と巫女長と御殿医長だ」
彼の者は、余の紹介に少しだけ目を瞠り視線を外す。
僅かな沈黙の後、少しだけまぶたを閉じ、開く。
「スイ、起こ、して」
彼の者の言葉に水の精霊長がすぐに従い、その上半身を起こす。
のろりとした動作で彼の者の両手のひらが寝台へ置かれた。
まだ力が入らないのか、上半身を支えるその腕はやや震えている。
大丈夫なのだろうかと思う中、彼の者の頭が深く下げられた。
「まだ、身体が、よく、動かない、故……跪座も、できま、せぬが……知らずとは、いえ、皇太子、殿下、へ、相対し……無礼な、言動を、致しました、事……重ねて、謝罪、申し、上げ、ます」
高階級でも通用しそうな流暢な言葉が彼の者の口からこぼれ出た。
ただ、息継ぎの度に苦しそうな呼吸音が聞こえている。
「これ、以上、御迷惑を、かけぬ、様……すぐに、御前から、退去、致します、心づもりに、ござい、ますれば……失礼を、お目こぼし……下さい、ます、様……」
苦しそうな呼吸の中、ゆっくりと。
それでもはっきりと意思を伝えてくる彼の者に、余は声をかける。
これは、止めざるを得ない。
「どうか、頭を上げてくだされ」
寝台に数歩歩み寄り、彼の者のすぐ側へと立つ。
こちらに軽く視線が向けられたが、その顔色は良くない。
「さ、まずは背を楽な位置に」
彼の者は視線を水の精霊長に向けた。
水の精霊長は即座に背もたれを用意し、彼の者の身体をそれに預けさせる。
大きな呼吸が幾度か繰り返された。
今度はこちらが、彼の者に対して言葉を選ばなければならなくなった。
彼の者の言葉は終始、謝罪と退去の意、だけだった。
普通ならば、少しでも相手に気に入られようとして社交辞令的に発せられる様々な賛美の言葉。
ましてや一国の王を目の前にして追従するのならば、もっと他の言い回しがあるだろうに、それがない。
また、こちらだけに名乗らせて、彼の者はまだ己の名を明かそうともしてない。
先程のようなきちんとした儀礼をとれる者が、己の名を相手に返さない理由。
それはつまり、すぐにでもここから消え去る用意がある、という事。
であれば、高圧的に接するのは論外。
逆に相手の希望を最大限に汲みとらねば、恐らく二度と彼の者に会うことはないであろう。
こういう相手は、同目線を好む傾向が強い。
余は静かに言葉を紡いだ。
「まずは、我が息子の生命を救ってくれた事を感謝する」
国王としてではなく、ひとりの人間として。
心を込めて頭を下げた。
「皇太子だと知らぬが上の言動に無礼も何もない。却って見知らぬ他人であるのに、その上で救いの手を差し伸べてくれた事そのものを有り難く思う」
自分の言葉に、彼の者が僅かに苦笑する。
「……寝覚めが、悪いと……そう、思った、だけ、です」
あまりにも簡単な理由に驚いた。
が、その理由が嘘ではないのだろうという事も、何とはなく判った。
「理由が何であれ、皇太子の恩人には違いない。こちらの方こそ申し訳ないのだ。皇太子と間違われて生命にかかわるような大怪我をさせてしまったのだからな」
「間違われ……ああ……マント、か……それで……」
納得がいったのか、軽く頷きがあった。
これならば、こちらの希望を呑んでもらえるやもしれぬ。
「恩ある方を、まだ怪我の回復もしていない状態で放逐するなど、それこそ人道にもとる。ましてやその方が精霊王様の御印を戴く方ともなれば、国賓として迎え入れるは喜びでしかない。侘びも礼も、満足にしてはおらぬ。せめて、身体が回復されるまで、国賓としてのもてなしを受けては貰えないだろうか?」
一度目を閉じ、ゆっくりと息を吐き。
彼の者は再び我を見つめ、口を開いた。
「礼儀、とか……言われ、ても……判り、ませんよ?」
先程あれだけまともな言葉を操りながら、今更礼が取れぬという。
察するに、堅苦しい事はしたくないのであろうな。
では、その意は汲むのが一番。
「対等対話は国賓の権利。言葉も普通で構いませぬぞ」
彼の者に僅かに笑みが浮かぶ。
が、すぐにまじめな表情に戻った。
「……俺の、御印を、知る、者と……古代語……それらに、関する、情報に……枷、を、付けさせて、貰える、の、なら……滞在、しても、いい」
自身の持つ御印と古代語に係わる事柄を秘密にしてくれ、という事か。
確かに、大きすぎる力は争いの元となる。
それは余も望まない行く末だ。
行動や会話に付けられる枷は明らかに不自由なものではあるが、見も知らぬ者を助けるような人物が、極端に重い枷を付けるとは思えぬ。
しかも隠す事柄が御印ともなれば、決して完全に隠しきれるものではないのだ。
御印は、視える者には視えてしまうもの。
多少の誤魔化しは可能だが、対外的に穏便に済ますのだとしたら。
そして、彼の者がそれを国王である余に問う、その本意は。
脳裏に浮かんだ自分の考えを、そのまま口にした。
「枷を付ける事、承知いたした。ルクス王国国王として、四大精霊長の加護者の来訪を心より歓迎する」
余の言葉に安堵したのか、彼の者が浮かべた微笑みに、了承の意思を感じ取れた。
「俺の、名は、リツキ…………暫く、お世話に、なり、ま……」
ゆっくりと名を告げ、彼の者……リツキ殿は目を閉じる。
呼吸が荒い。
水の精霊長の両の手のひらが、静かにリツキ殿の首元から胸へと当てられた。
呼吸が僅かに止まり、リツキ殿の身体から一気に力が抜ける。
すぐに呼吸は回復したが、その息は浅く、速い。
突然意識を失った様子と合わせて体調を案じたが、数分ほどして呼吸が落ち着いてきたので、ほっとした表情の水の精霊長に尋ねた。
「かなり無理をされていた様子ではあったが……大丈夫ですかな?」
「止まりかけた心臓は無事に稼働しましたから、とりあえずは」
空気が、冷えた。
具合が悪化したようには見えたが、まさかそこまでとは思わなんだ。
「あれだけの血が流され、あちらこちらの筋組織が半減している今、あるじ様の御身体は鉛の様に重く感じられ、呼吸する事すら苦痛が伴っている筈。現在はまだ、危険な状態からは脱してないという事、しかと意識に刻み付けられるが宜しい」
水の精霊長の言葉が氷の様に心に刺さる。
気づかずとはいえ、無理をさせてしまったこちらに非がある事だ。
「そこの御殿医長であれば、回復にどれほどの時が必要なのか理解しておろう?」
水を向けられ、御殿医長が頭を下げる。
一時は危篤だと判断せざるを得ない程、酷い状態だったのだ。
血量の回復、筋力の回復、どちらにも時間がかかる。
それらをざっと考慮したうえで見解を述べた。
「こちらの御方様の本来の体力を存じませぬが、無理のない動きが出来るまで六から七月程度かと」
「確かに。が、あるじ様はすぐ無茶をなさる。……そなたの予想より恐らくは二月は早く回復される筈」
「無茶をして長患いになるのではなく? 回復が早く、なる?」
「少しでも動けるとなると、あるじ様御自身で、御自分に合った薬剤を調合し、服用されてしまうでしょうから」
「…………やはり、薬師様でいらっしゃいましたか」
軽く水の精霊長が頷く。
「わたくし達精霊はあるじ様を御護りすると同時に、あるじ様に使役される者。わたくし達があるじ様のなさろうとされる事を無茶や無謀と判じても、あるじ様から主命を受ければ、命じられた事柄を履行しなくてはならず、止める手立てがない。止められるのは、あるじ様が御自身で認められた人間だけ。……それを踏まえ、御殿医長にその尽力を望む」
水の精霊長の言葉に驚く御殿医長。
容体の変化には気づいていたが、それを止められずにいた事への咎めかと思いきや、口に乗せられたのは自分への協力の要請。
窺うような視線を水の精霊長へと向けると笑みを返された。
「会話を止めよう、と。国王に声をかけようと、幾度も逡巡していた……その心掛けを酌んで。名のりを許します」
「……ラクス王国、王室御殿医長ニール・ロウ・パルカウムと申します」
頭を下げ礼を取ると、再び声がかけられた。
「御殿医長ニール・ロウ・パルカウム。そなたに、あるじ様を患者として扱う事を許可しましょう。善き配置、善き看護を望みます」
「御意向に沿える様、精進致します。…………辛口でも、宜しいでしょうか?」
笑みを浮かべたまま水の精霊長は応じた。
「許可します。……存分にどうぞ」
「承知いたしました」
御殿医長が礼をとり終わるのを待っていたかのように、今度は風の精霊長が口を開く。
「主様が先だって移送された室内外で。また現在の室内外他で関連、見知っていた全ての者達に、今しがた[枷]をかけ終えた。それらの事を真実知る者同士だけの場合を除き、口に乗せることも書を記すことも出来ぬものである。勿論、心話使いにも読めぬし、伝えられぬ。また、これより先、主様がそれに係わる会話をなされた際にも追加で[枷]に組み込まれる仕組みとなっている」
「元より承知いたした事」
余の言葉に頷きを返し、風の精霊長は続ける。
「わたし達精霊長は、主様の御傍でその命に従う者。この数日で理解しているであろうが、単身でも配下を使えば御傍を離れずとも雑務はこなせる。が、主様は此度の滞在に[人間の事情、都合を思慮せよ]と、わたし達に命じられた。一国の国賓ともなれば、内外問わず人間側の諸事情、対応がある事は知っている。わたしとしては、やや不本意であるが、主様の身の回りの諸雑事をこなす従事者の選定を国王に任せたいと考えるが、如何に」
どのような伝達がされたかは判らぬが、リツキ殿はこちらの事情も考慮していたらしい。
動く事もままならぬ、あの状況で……だ。
頭の回転の速い御方だと感嘆するしかない。
だが、ここは有り難くこの申し出を受けるが最良。
「善き者たちを選定することを誓おう」
「欲得や打算が入る者は不要。また淡々と職務だけをこなす者や、主様や我等を畏怖しすぎて会話ひとつまともにできない者も不要。望むべきは主様に好意を持つ者のみ」
「考慮致そう」
国王以下、精霊長たちに与えられた責務をこなす。
急遽、選抜会議が開かれ、幾人かの人員の選考が行われた。
翌日、決定された者達を精霊長達へと引き合わせる。
選抜された者達は、まず精霊長達によって再度面接を受け、さらに幾つかの説明をされ、それらを許容した者達だけが世話係として認可される事となった。
最終的に認められ、賓客付きの傍仕えとされたのは五人。
彼等は賓客であるリツキを主とし、この離宮で生活する事となる。
が。
昨日の無理がたたったのか、リツキはその日一日、目を覚ますことがなく。
離宮の主が、彼らの紹介を受けるのは、そのまた翌日であった。
そろそろ、眠ってばかりのリツキを起こさないと(笑)




