18.1 詫びと礼
――四月上旬。
だいたい厄介事は突然起きる。そして、俺にとっての厄介事の象徴は、メザリア・ダンロスという同じ一年生の公爵令嬢だ。
魔法学校の授業が終わって放課後になった。日々の勉強はそれほど難しいものではない。だから、他のことを考えながら、ぼんやりと聞いていることが多い。その延長でぼうっとしているうちに放課後になってしまった。
さあ、グラノーラの部屋にでも行くか。そう思って荷物を片付け始める。
どうせ教室にいても、誰も俺には話しかけてこない。さっさと退散して宿舎に戻るのに限る。グラノーラがいなければ、パロスに借りた本を読むのでもいい。とにかくここに長居する理由はない。
「アステル・ランドール」
女性の声で名前を呼ばれて、俺は表情をこわばらせて顔を上げた。
何でここにこいつがいるんだ? 銀色の長い髪に灰色の目。すでに上級生たちも取り込んでいる。この学校の最大派閥の首魁であるメザリア・ダンロスが、俺の席の前に立っていた。
手下に俺を呼びに行かせるのではなく直接来た?
厄介事の予感しかない。しかし無視するには相手の身分が高すぎる。
「こんにちは、ご機嫌麗しゅう存じます」
荷物を素早く鞄に入れて笑顔で一礼して立ち去ろうとする。
「待ちなさい。ついてきなさい」
教室中の目が俺たちに向けられている。廊下にいる生徒たちも注目している。ここで無視して立ち去れば、魔法学校での立場はさらに悪くなるだろう。
仕方がない。従うしかない。胃が痛い。そう思いながらメザリアのあとを従者のようについて行った。
廊下に出たメザリアは、まっすぐに玄関に行く。特に声もかけられないので無言で従う。
校内の敷地を歩き、記念館へと向かっていく。結局自分の領域に引きずり込むのか。そう思ったが文句を言わずにメザリアのあとを追った。
石造りの建物内に入った。ダンロス公爵家の紋章が刻まれている扉の前までやって来た。何も声をかけていないのに扉が開く。メザリアが来るのを待って、中の生徒が開けたのだ。
メザリアはつかつかと部屋に入り、奥の執務机に向かう。机の向こうの広いガラス窓からは外の様子が見える。メザリアは椅子に座った。俺は執務机の前で立ったまま、彼女が何か口にするのを待った。
「まずはお礼を言うわ」
「何のお礼でしょうか?」
「私の配下だったムジカ・フロアの魔法を奪った相手を突き止めてくれたことよ」
メザリアは、淡々とした様子で言う。
配下だった、……か。
魔法を失ったムジカ・フロアは、新しい魔法を獲得しない限り、貴族として独り立ちすることはできない。このままでは、部屋住みで一生を終えるか、第二の人生を歩むことになる。
あまり他人事とは思えない。俺も一家が貴族から脱落するかの瀬戸際で苦しんでいる。そのためムジカの境遇は理解できる。
「それとフロア家に代わって、お詫びも言うわ。あなたを犯人として疑ったことを」
「それは、どうも」
尾行していたことについては、お詫びはないようだ。まあ、そうだろうなと思っていた。
「用件が終わったようなので帰らせていただきます」
「まだよ。椅子を用意するから座りなさい」
えええ。
早く帰らせてくれよと思う。
壁際にいた生徒が、椅子を持ってきて俺の後ろに置いた。座らないと失礼にあたる。仕方がないので腰を下ろす。本当は一刻も早くここを立ち去りたかった。
「それでは用件を言うわ。私に仕えなさい」
「お断りします」
俺は席を立つ。用件を聞くという礼儀は守った。これでいいだろうと思った。
「座りなさい。話はまだよ」
喉元まで文句の言葉が出かかったが、再び席に着いた。
「あなたの能力を認めてあげているのよ。ムジカ襲撃犯の根城を押さえた顛末は聞いているわ。あなたは私に仕えるべきよ」
何か気に入られているようだが、正直なところ迷惑だった。
手下を使わずに直接俺を呼びに来たのは、彼女なりに最大限の敬意を俺に払っているのだろう。だからといって、俺がメザリアに仕えることはない。
「俺の仕える相手は決まっています。グラノーラ・フルールただ一人です」
「なぜ彼女にこだわるの? 出身地方が同じだから?」
面倒くさい女だなと、目の前の高位貴族を見て思う。
「この話はこれぐらいにいたしましょう。ここには私を好まない人もいるようですし、そろそろ失礼させていただきます」
なるべく早くこの部屋を出ようとする。
「あなた、グラノーラ・フルールが好きなの?」
「はあっ!」
俺は思わず声を上げてしまう。
「いや、好きとかそういうわけではなく」
「結婚したいの? 身分違いで難しいと思っているようなら、公爵家として仲介してあげてもいいわよ」
な、何を言っているんだ、この公爵令嬢は。俺はあまりにも想定外の提案に狼狽する。
「婚姻の仲介は、貴族の有力な政治的活動よ。私にその力がないと思っているの?」
「いや、えーと、その」
部屋にいる生徒たちが俺に注目している。恋バナのたぐいが展開されていると思っているのかもしれない。
「私には、あなたの恋愛を成就させる力があるわ。今すぐにとは言わないわ。考えておきなさい」
駄目だ、どうしてそうなるんだよと思った。
「それはそうと、お礼とお詫びをすると言ったわね。何か希望はある? これは私に仕えることとは別のことよ」
言葉だけかけて終わりなのではないのか?
てっきり、先ほどの短いやり取りで終わりだと思っていた。
「学校で何らかの便宜を図る。あるいは私の権限の範囲で何かをする。できることとできないことがあるけど、可能な限り希望を聞いてあげるわ」
まあ、お礼とお詫びということなら、何かをしてもらってもよいか。
こうしたところから切り崩されていくのかもしれないが、素直に受け入れよう。
とはいえ、俺自身に希望は特にない。誰かのためにこの権利を使うとすれば何がいいか。
「魔法学校の図書館には、奥の間があるそうですね。そこに入る権利を与えてください」
俺はマルの姿を思い浮かべながら言う。表の書庫にない本があるのならば、マルは喜んで読むだろう。
「分かったわ。鍵を届けさせる。これで今日の用件は終わりよ」
「それでは失礼します」
俺は一礼して立ち上がり、ダンロス家の部屋から出て行った。




