17.4 挿話:マルテシア・マルルマール
――五百年前。
荒野の中に、一つの巨大な塔があった。大魔法使いの塔と呼ばれるその塔は、増設に増設を重ねて、いびつな形になっていた。
無数の城や砦や屋敷を、子供が積み木のように重ねた姿。どうやってバランスを保っているのか分からない構造物もあった。
細い橋だけで繋がった部屋、壁に接続した球体。不可思議な場所はいたるところにあり、絶えずどこかで光や音が発せられていた。
この塔の頂には、一人の女性が住んでいた。美しい姿をした、ローブをまとった女性だ。
緑色の髪、緑色の目。市井にいれば宝石と称えられたであろう。翠玉の姫君。そうした名前がふさわしかったはずだ。多くの男性たちに求婚されたのは、想像に難くない。
しかし塔にいる者たちは、彼女に恋愛感情を抱いたりはしなかった。塔にいる魔法研究者たちは、いずれも彼女のことを尊敬していた。研究者たちは、彼女のことを敬意を持って大魔法使い様と呼んでいた。
塔では常にさまざまな研究がおこなわれている。それらを見て周り、助言をおこなうのは大魔法使いの日課だった。
研究者たちのあいだには対立もあった。派閥もあり、殺し合いに発展することもあった。大魔法使いは、それらを全て黙認した。
彼女は、魔法の発展にしか興味がなかった。発展のためには人の感情や死などは些末なものだと思っていた。
そうした彼女に反発して去っていった者もいた。ザラエルという研究者だった。
「あなたは、人間というものを分かっていない」
それが去り際、ザラエルが残した言葉だった。
果たしてそうだろうか、と大魔法使いは思った。
ザラエルは、自らの信念のために他の研究者を殺す。人間について分かっているから殺すのか。分からないから殺すのか。
大魔法使いは人間も魔法の一部だと思っていた。研究者の中には、人間の霊魂に魔法再現器を接続する者もいた。
そうした過去の事例を思い出しながら、もしかしたらザラエルの方が私より、深く人間を研究している可能性もあるなと考えた。
大魔法使いの塔は、大地にできた腫瘍のように大きくなり続けた。ありとあらゆる研究がそこではおこなわれた。全ては魔法のためだった。そして、ある日を境に、全ては失われた。
「大魔法使い様、立ち会っていただきたい研究があります」
翠玉の容姿の大魔法使いは立ち会った。ここ数ヶ月、彼女が興味を持っていた研究だったからだ。
点のような穴の魔力湧出口を、のぞける程度の広さまで拡大しようという実験だった。
これまで誰も成功させたことはなかった。しかし、この研究者の立てた計画は、成功の可能性を秘めていた。
大魔法使いの塔に充満している魔力を、全て一点に集中させる。その魔力を霊体化して魔力湧出口に圧縮する。そこから出てくる魔力をさらに圧縮して、魔力湧出口を拡大していく。
霊体化と圧縮を続ける限り、魔力湧出口は大きくなり続けるはず。計画は非常にシンプルなものだった。
実際にはその実現のために、複雑な魔法を用意しなければならなかった。
実験の日、魔力湧出口は計画どおり拡大した。瞳孔ほどの小さな穴ができた。そこに研究者は、霊魂の糸を挿入した。穴の向こう側を調べるためだ。
糸と繋がっていた研究者が消えた。研究者は穴に吸い込まれて魔力に分解された。魔力湧出口は、拡大しながら周囲を飲み込み始めた。
実験器具が消えた。机が消えた。椅子が消えた。実験に立ち会った研究者たちが消えた。大魔法使いも消えた。部屋が消えた。隣の部屋が消えた。
塔は次々に飲み込まれていき、一瞬のうちに空間がえぐり取られた。そして制御を失った魔力湧出口は消失した。
大魔法使いは裏の世界に落ちた瞬間、自身を囲む壁を作った。次々に壁を作り続けて、消滅から自身を防ごうとする。彼女は必死に穴から出ようとした。
残された時間はわずかだった。死にいたるシナリオはいくつかあった。自分の魔力が尽きて分解される。魔力湧出口がバランスを崩して閉じてしまう。
表の世界にたどり着いた直後、穴はなくなった。
肉体は崩れ去り、霊魂だけの存在になっていた。
その霊魂も万全のものではなかった。ゆっくりとした動きしかできない微かな存在でしかなかった。
魔法の研究は失敗した。しかし、私はまだ生きている。
その状態を生きていると言ってよいのか分からなかった。
しかし、大魔法使いと呼ばれる自分なら、ここから命を繋ぐこともできるだろうと思った。
『霊魂義体』を作ろう。
最初にそう決めたとき、その作業に四百年もかかるとは思っていなかった。そして、部品を集めて作ることができたのは、子供のように小さな体だった。




