17.3 落とし穴
パロスの研究室を出たあと図書館に行った。パロスに借りた本は鞄に入れたまま、マルが読みたい本を何冊か抱えて、一番端の閲覧席に座った。
「マル、そろそろ教えてくれてもいいんじゃないか?」
他の席の人には聞こえないように小さな声で話す。
「何をだ?」
マルが姿を現す。少し寂しそうな顔をしている。
「分かっているだろう。パロス先生のところでの会話を聞いていたんだからな」
「塔の消失か?」
「そうだ」
「面白い話ではないぞ」
「俺も歴史を学んだ。魔法王国ザラエルの成立の十年後に、大魔法使いの塔は消失している。ザラエルに消されたのか?」
歴史に人の意思が宿っているのならば、そうであってもおかしくはない。
「あれは純粋な事故だよ。私自身はそう思っている」
「何か実験をして事故が起きた?」
マルは神妙な顔をしてうなずいた。
「弟子の一人がな、ある研究を進めていた。私も興味があり支援していた。まだ私が見たことのない領域の研究だったんでな」
「マルが見たことがないって、たいていのことは知っているだろうに」
「世界はな、知れば知るほど、知らない領域が広がっていくんだ。
私は、弟子が調べようとしている場所の存在を知っていたが、見たことは一度もなかったんだ」
「どこか遠くの場所なのか?」
「いや、身近な場所だ」
「身近で知っているのに見たことがない? そんな場所があるのか?」
「考えてみるがいい。おまえはすでに、その場所の存在を知っている」
俺は眉を寄せる。マルの指導はこういうのが多い。
おまえはすでに答えを知っている。気づいていないものに気づけ。世界の見方を少し変えろ。ばらばらの情報を線で結べ。
マルは俺に、頭を柔らかく使うことを求めてくる。
俺は、これまで学んだことや体験したことを振り返る。
魔力、霊体化、物体化、霊魂の目、精霊、霊体の架け橋、霊体の糸、精霊探知、魔力供給、霊体の部品、魔力湧出口、人工精霊、これから学ぶであろう魔力再現器。
「あっ」
俺は気づいた。身近で知っているのに見たことがない場所があることを。
「分かったか?」
「ああ、これだろう」
俺は人差し指を立てて、ぐるぐると縦に回す。
「キーワードは?」
「循環。魔力は湧いてきたあと徐々に消える。消えた魔力は再び集まり湧いてくる。この循環では、俺たちが見ることのできない裏の世界がある」
「そうだ、裏の世界だ。
私たちは当時、その世界に繋がる穴をすでに作っていた。魔力湧出口だな。その穴をこじ開けて、裏の世界から無尽蔵に魔力を湧かせることはできるのか。ある弟子が、そうした研究を始めたんだ」
俺は感心する。才能が集まる利点とは、こういうことかと納得する。
一人では思いつかないことでも、多くの人がいれば思いつく者が現れる。そして、ばらばらに研究したものを合わせれば、新しい技術へと発展する。
「その研究が、どうして塔の消滅に繋がるんだ?」
「アステルに質問だ。この研究は成功したと思うか? それとも失敗したと思うか?」
「失敗したから塔は消滅したんだろう」
「違う。成功したから塔は消滅したんだ」
俺は意味が分からず目元に力を込める。
「研究は成功したんだな?」
「そうだ」
「それで、なぜ大魔法使いの塔は消滅するんだ?」
「魔力湧出口をこじ開けた結果、穴が開いたんだよ。そしてその穴は、裏の世界に続く窓ではなく、裏の世界に落下する落とし穴だったんだ。
純粋魔法を教えるときに最初に言ったな。魔力は霊体と物体に変化する。基本的にその逆はないと。
これは表の世界、こちら側でのルールだ。裏の世界では違う。この意味が分かるか?」
何が起きたのか想像する。その光景を想像して額にじわりと汗をかいた。
霊体と物体が魔力に変化した。塔にいた者は等しく裏の世界に落ちて、魔力に分解された。
「私は何とか脱出したが、そのときには肉体を失い、霊魂もかなり小さくなっていた。
塔の周辺には、魔法の部品が大量に落ちていた。それらを集めて、『霊魂義体』を組み立て、形を取り戻すのに四百年ぐらいかかった。
『霊魂義体』を作ったはいいが、動くことはできなかったよ。微かな霊魂しか残っていなかった私には、『霊魂義体』を動かすほどの魔力がなかったからな」
マルは笑みを浮かべて言った。
「顔色が悪いな。大丈夫か?」
マルが優しく声をかけてきた。
「裏の世界での分解。魔法研究の行き着いた先はそれだったのか?」
「私や私の仲間がたどった末路はそうだった。おまえが魔法について確たる手応えを感じるまで話さなかった理由が、今なら分かるだろう。やる気を削ぐのはよくないと思ったからだ」
俺は渇いた喉を潤すために唾を飲み込んだ。
複雑な全自動魔法を作るには、無数の部品が必要になる。それらを作るには膨大な魔力が必要になる。大国間の軍拡競争と同じだ。いかにして魔力を得るかに、誰もが血道を上げるようになる。
そして、いずれ誰かが発想する。裏の世界から直接魔力を取ってくればいいじゃないかと。
「魔法の開発を止め、世襲の貴族に魔法を管理させたザラエルは、ある意味正しかったのかもしれない。魔法の開発競争は止まり、王国は大いに栄えて、人々の暮らしは豊かになった。
それでも違う道があったのではないかと私は思うのだ。私は魔法の研究者だからな。研究とは失敗を糧に進むものだ。
マルテシア・マルルマールという、いにしえの大魔法使いは失敗して死んだ。しかし、その研究の成果は、アステル・ランドールという次世代の魔法使いに引き継がれた。
おまえは私の正統後継者なのだよ」
俺はマルの顔を見つめた。マルは自分の死で、全てが止まってしまったことが許せないのだろう。次の世代に研究を託せなかったことが心残りなのだろう。
そして俺が現れた。マルを転生させて蘇らせ、魔法について学びたいと言った。先人がまいた種を、育てようとする後進が現れた。
俺は笑みを浮かべる。そして、マルに向けて右手を差し出した。
「新しい世代の魔法を作るよ」
「ああ、任せたぞ魔法使い」
マルは霊魂の手を、俺の右手に重ねた。




