21.7 挿話:バナシュ
バナシュは生まれたときは貴族だった。子爵家の長男。何もなければ順風満帆の人生だった。運が悪かったのは、バナシュの父親が、権力闘争に血道を上げていたことだった。
バナシュの父親は、爵位に対して激しい劣等感を持っていた。もっと高い爵位を得たいと考え、そのために策謀を巡らせた。
その時期、ザラエル王国はすでに最大版図を誇っていた。安定した社会で野心を持つということは、誰かの地位を引きずりおろすことに他ならない。この時代の宮廷闘争は足の引っ張り合いだった。
バナシュの父親が手を出した方法は暗殺だった。そのために多くの金を費やした。領地から得られた金を、暗殺組織に注ぎ込んだ。
金をかけた甲斐あって、順調に敵を消していくことができた。まるで自分が世界の支配者であるような錯覚を覚えた。やがて金が尽き、破綻の足音が聞こえてきた。
バナシュの父親は、支払えなくなった報酬を魔法の譲渡でまかなった。永代貸与の書類を作り、暗殺組織に魔法を渡した。
家の魔法は一つ、二つとなくなっていき、最後に長男であるバナシュが受け継いだ魔法を持っていかれた。まだ幼かったバナシュは、『氷の刃』という魔法を手放した。
没落したバナシュの家族は離散した。まだ幼かったバナシュは、貴族だった経験を活かして魔法具商人になった。商人の食客になり、持ち込まれた魔法の道具を鑑定する。そのことにより最低限の生活を保障された。
バナシュは仕事柄、多くの冒険者たちと顔を合わせた。冒険者のほとんどは平民だった。護衛などの仕事をしつつ、貯めた金で遠征して、一発当てようという人たちだった。
「なあ、バナシュ。冒険についてこないか? あんたがいれば、その場で鑑定ができるから効率がいい」
その頃は十代後半だった。まだ若く冒険心に富んでいた。自分は父に巻き込まれて没落した。しかし、自分の人生はこれからだ。新しい世界を見るのも悪くない。
そう考えて、魔法具商人のかたわら冒険者も始めた。
十年ほど冒険者を続け、バナシュは王国の各地を訪れた。生まれ育った故郷にも行った。バナシュの父親の時代は荒れ果てていた場所だ。
領地は、他の貴族に併合されて落ち着きを取り戻していた。ザラエル王家は、失脚した貴族の土地を、領地経営に成功している貴族に管理させることが多かった。
バナシュの心の中で、自分がかつて貴族だったという思いは、もうなくなっていた。
それよりも、もし父親のもとで貴族として人生を送っていたら、世界を見ることもなく朽ち果てていただろうという思いの方が強くなっていた。
三十代になった。タタカ洞窟を訪れた。冒険者の一人としての訪問だった。
自分は、世の中の多くの貴族や平民たちよりも世界を知っている。バナシュには、その自負があった。
二つの身分を経験し、魔法が何であるかも知っている。自分は、魔法王国ザラエルという国を理解している。バナシュは、そのことを疑っていなかった。
タタカ洞窟を探検し、奇房を訪れたときにバナシュの自信は崩れた。小さな部屋のそれぞれで発生している現象は、魔法そのものだった。
魔法王国ザラエルの根幹である魔法とは、いったい何なのか。バナシュの目には、魔法王国という大きなシステムは、人工的なカラクリではないかと思えるようになった。
バナシュは、タタカ洞窟に半年ほど滞在した。そうしているうちに、集落の娘と結婚して、この地に腰を落ち着けることになった。
案内人としての暮らしが始まった。冒険者として経験豊富なバナシュは、すぐに信頼を得た。宿屋や道具屋の主人たちから推薦されることも多くなり、安定した暮らしを得ることができた。
子宝にも恵まれた。男児が二人、女児が一人、幸せな家庭を築いた。
ある日、いつものように受付事務所にいると、一人の少年がやって来た。黒髪黒目の少し陰のある少年だ。
見たところ冒険者ではなさそうだった。しかし、多くの大人の冒険者よりも、経験を積んでいそうな空気をまとっていた。
「アステル・ランドールです」
少年は丁寧に挨拶した。ランドールという名前には聞き覚えがあった。バナシュの家が没落した頃に、爵位を得た剣士の名前だ。
あるいはその末裔かもしれない。それなら、武人の血を引いているのかもしれないと思った。
「洞窟の中で、他の場所から環境が切り離されている、少し変わった場所はありますか?」
アステルはバナシュに尋ねた。奇妙な質問だなと思った。
「俺たちは魔法の研究に来ているんです。原始的な魔法について調べていて、特殊な現象が起きているような場所を探しているんです」
アステルが話したことは、バナシュが魔法王国ザラエルに対して抱いた疑問の答えだった。魔法とは、もともと今の形ではなかったのだ。今の形になったあと、その作り方が失われたのだ。
バナシュは、魔法の歴史を垣間見たことで、魔法王国ザラエルのことも理解できた。
この国の魔法は、王国を動かすための歯車なのだ。そしてこの国は、魔法を使って作った壮大なカラクリなのだ。
バナシュはしばらく沈黙する。興奮を抑えて、抑制の効いた口調で答えた。
「奇房と呼ばれる場所があります」
彼を連れていくならばここだろう。バナシュはそのことを確信して、アステルの冒険の手助けを始めた。




