中編
―――私はルゼの事を知らない。
ルゼも、私の事を知らない。
こちらへ来て2ヶ月が経った。
とても暇だ。
「ん?街へ行きたい?」
「うん」
「何か欲しいものがあるの?俺が買ってきてあげるよ」
「そうじゃなくて!一日中家の中にいても何もする事がないの!掃除洗濯料理もすぐ終わっちゃうから時間が沢山あまってるの!」
パンをちぎる手を止めて熱弁する。
晩御飯はどんなに遅く帰って来ようが(そんな事はまだないけど一応決まりで)2人でとるのが決まっている。そいうのに憧れていたらしい。意外と家庭的な考えもお持ちのようだ。
そりゃあね、向こうの世界だったらテレビとかインターネットとかあってこういう暮らしでもまぁそんなに悪くはないかなと思うけど、こちらはそういった娯楽が一切ないのだ。あるとしても本くらいで、違う言語ゆえに読める筈もなく。
あの蒼髪が言った通り、働かなくても屋根有り3食昼寝つきの贅沢な生活だが、一日一日ルゼが帰ってくるまでどう時間を潰すか考えるのは正直もうギブだ。
外に出たくとも、【悪擬】がいるから危ないと言って、1人で外出させてくれない。
ヤツらは私が思っていたより怖いものだった。
黒いヤツらは世界の歪みにより発生した毒のような塊らしい。
それは人を襲い、その血肉を喰らい増殖してゆく。それはとても厄介で、歪が多くなれば多くなるほど世界の機能が蝕まれ、毒に侵されこの世界は歪んでしまう。
それを退治できるのは魔道師のみらしく、たった5人でその【悪擬】と戦っているらしいのだ。
…なんていうか、5人て…戦隊物ぽいよねと思ってしまった私は空気読まない子ですかそうですか。
レッドはきっとルゼなんだろうね。一番強いからっていう意味だよ!髪の色とか言ってないんだからね!
それでまぁ、この森を支配しているのがルゼというワケで、運良く助けて貰えたというワケなのです。
だけどそのまま森在住になるとは思わなかったけど!
美味しい美味しいとにこにこと食べていて、このままじゃはぐらかされそうな予感がする。これはいけないとルゼのあいたグラスに葡萄酒を並々ついで、ちまちまポイント稼ぐ。
「だからルゼが仕事してる間だけでもいいから連れて行って欲しいの」
「お、ありがとう、気がきくね。うーん…お出かけねぇ。ユウがお願いするんなら聞いてあげたい所なんだけど」
「…だけど?」
「何も知らない君が1人でいるなんて俺は心配で仕事も手につかなくってしうまよ」
…ああ、そういえば私は記憶喪失という設定にしたんだっけ。その方が根堀葉堀聞かれて困る事がないかなと思ったが、それが仇となったか。
「だ…大丈夫だよきっと。ふとした瞬間に思い出したりするかもしれないじゃない?」
「そんな賭けをするよりここで土産を待っていてくれた方が確実だと思うけど」
クスクスと笑いながら美味しそうに葡萄酒を飲むルゼの喉仏に目が釘付けられた。ゴクリと音を立ててお酒が通る度に上下に動く喉仏がとんでもなくエロいなと。ちょっと触ってみたくなるよね、あれ。
じーっと見ている私に気づいたのか、欲しいの?とグラスを傾げる。慌てて首を横に振るとグラスを置いて席を立つ。
「ごちそうさま。薪をくべてくるからお風呂の準備お願いね」
ガタリと食器を持って流しに置くと、そのまま外へ出ていってしまった。
「そういえば魔道師って言ってもこういう事に力は使わないんだよね。意外と倹約家なんだねぇ」
関心関心と頷いてはた、と気づいた。結局外出の話なにも出来てないじゃんか!
これじゃあ駄目だまた悶々と暇を持て余す日々が待ってるだけだと、急いでルゼを追って家の裏に出た。
「ルゼ!私も手伝う!」
「手伝ってくれるの?ありがとうユウは頑張り屋さんだね。じゃあ薪を窯に入れてくれる?」
えへへそうかな。はっ、照れ照れしてる場合じゃないぞ自分!
せっせと薪を運びながら邪魔にならない程度に話かける。
「ね、ね、ルゼ。遊びに行きたいっていうのもあるけどね、この国の事も知りたいし、ルゼの仕事してる所がどんな所か見てみたいんだ」
「知らなくていい事も沢山あるよ?」
「そりゃ世の中にはそういう物もあるとは思うけど!何も知らないと私、ここ出る事にでもなったら生きていけないじゃない」
こんなニートいつ追い出されてもおかしくはない。自分だったら追い出すと思うし。
「ユウは、ここを出て行くの?」
火を焚こうとして石を持った手を後ろから掴まれる。え、と振り返ると鼻と鼻が触れ合うくらいにまで縮められた距離に、金と紫の目があった。
「もうここに飽きた?あ、それとも俺の事が嫌になった?」
「え、そ、そういう事じゃなくって…」
真っ直ぐとこちらを見てくる目に思わず逸らしてしまうと、手を掴んでいない方の手で顎をぐいっと持ち上げられて視線を戻された。
吐息がかかる。葡萄酒の匂いがする。色違いの瞳に私が見える。
「ねぇ、ユウ―――」
ふわりと囁かれ、面白いくらいにビクリと身体が跳ねる。思わずあいてる手でルゼの口を押さえ、色香を振りまく唇を封鎖する。
「だ、だから暇に飽きたの!!ルゼと喋ろうにも全然話題がループしてワンパタになってるしずっと家事の事とかルゼの事しか考える事ないしルゼの好きな料理だって食材から自分で選んで喜ぶかなとかキャッキャしてみたいとかどこぞの乙女かって事もしてみたかったりするしそれに……」
「それに?」
「っ、運動不足で太ってきたの!!」
一気にまくし立てハァハァと息をついているとルゼからの拘束が少し緩くなる。それを少しだけ残念に思いながら今言った事を思い出して青くなった。
ひぃぃ私何を言ってるんだ自分からたぷたぷお腹を暴露するなんて!!確認されないようにお腹を腕に回し厳戒態勢をとる。
それに一日中ルゼの事しか考えてないんだからね!って言ったようで恥ずかしいよもう穴があったら頭から綺麗に飛び込むのにっ!!
「ぷ」
肩越しに聞こえてきた音に首を傾げながら見やると、ルゼが口に手を当てて震えていた。
「あはははは!ふ、ははっ!」
どうやら笑いが取れたらしい。初めてだ。よっしゃ!こんなに口開けて笑うなんてレアだよ写メ撮りたいよ!
「そうかそうか、太ってしまったのか。それはかわいそうな事をした」
「そ、そうだよ家の中でウォーキングしようとしても場所が全然足りないの!」
ダイエットの挫折の言い訳のように聞こえるかもしれないが、なんでもいいから援護攻撃をしないと陥落しそうにもないのでね!
ね、だから散歩がてら街へ降りる許可を―――と言おうとして固まった。
ルゼのやたら長い睫毛が私の視界いっぱいに広がっている。
そして唇にはあたたかいものが押し付けられていた。
「ん、むぅっ!?」
どうしてこうなった!?
太ったうんぬんからどうして接吻などという雰囲気になった!?この年になって初めてだったキスに(彼氏はいた事はあるけどそういう事はなかった)ガチガチに固まっていた私の唇に、ルゼの舌がトントンとノックしてくる。
はい分かりました開けまっす!なんて応用がきくワケがなく、ただただ呆然としていると顎に添えられていた左手でこじ開けられる。
薄く開いてしまえば向こうのもので、侵入してきた舌に口の中を舐めとられる。
上を向かされ角度を変えたルゼの唇によって先ほどより深く侵入され、舌を絡めとられ、唾液が流されてくる。
「ぁ、ふぅ」
ルゼのキスに翻弄され頭がじんじんと痺れてくる。
初心者になにこの仕打ち!息はどこでするの!?舌そんなに吸われたらおヘソの下あたりじぃんてなってくるんだけど!?
「は、ぁんんっ」
自分の喉を伝うルゼの唾液に震え、クチュクチュと何度も角度を変えて蹂躙してくる唇にされるがままになっていた。
苦しくて、でもなんか気持ちよくて、顔を支えられる手から伝わる熱が、涙が出そうなくらい優しくて。気が付いたらルゼの肩口のシャツを握って離れないように必死にしがみついていた。
「―――散歩をしなくても、家で出来る運動があるよ?」
ようやく口を離したルゼが、顎を伝って流れる唾液をペロリと舐めながらふわりと提案してきた。
ん?どういう事だろうとぼやぼやしている頭で考えていると、私のお腹のシャツがルゼの手によってまくりあげられそうになっていた。
そ、それってまさか、この状況から行けば「そういうコト」っすか…?
「俺と一緒に試してみる―――?」
「っだから…っ!ルゼにこのお腹を見られたら本末転倒じゃないのー!!」
入らない力でぐいーっと顔を押しのけて包囲網から脱出する。ああ!くそうまた笑ってやがる!からかわれたってワケね!
「もういい!私お風呂入ってくるから!一番風呂はいただくから!!」
何もしてないニートのくせに、家の主より先に入る抵抗は残念ながら今は持ち合わせるつもりはなかった。さっさこの熱くなった顔を落ち着けさせたかった。
バタンと風呂場に入ってずるずるとタイルの上に崩れ、震える手で唇に触れる。
「…どうして…いきなり…」
自分としては嫌じゃない、だが疑問が残る。
拾った子供に与える親の愛情として?
ただの一時の欲望のはけ口として?
…でもルゼはカッコいいし偉い人だしこんなちんくしゃみたいな私じゃなくても相手してくれる人は沢山いるだろう。
よく分からない。
ルゼが分からない。
全部知りたい。
教えて欲しい。
いつもどんな事をしているのか。
何を考えているのか。
私をどうして拾ってくれたのか。
私の事をどう思っているのか。
一日中ルゼの事を考えている自分が怖い。
欲しい欲しいと心は渇望するけど、こんな勝手な独占欲、ルゼには見せられない。
私はまだまだ弱いのだ。
人に縋ってその手を払われたら怖くて仕方がないのを隠し、興味のないふりをして逃げているだけの臆病者だ。
知りたいけど知りたくない。
なら今知っている事だけで満足しないと。
彼の知っている事と言えば魔道師である事と、お酒が好きだという事と、
彼の魔法が、私を守ってくれるあたたかいものだという事を―――




