77:閑話:オーランドが生まれた日。
*少し重たいお話です。
――二十二年と三ヶ月前、地球上にダンジョンと呼ばれるものが現れた。
ダンジョンが生成される様子を見た者は、「地面から黒い半球――まるでブラックホールのようなものが現れて全部吸い込んでいった」と話す。
直径三百から五百メートルの黒い半球が地面から現れ、そこにあった物を全て飲み込むのだ。
全て。
人も動物も建物も植物も、そこにあったもの全てを。
やがて半球体は収縮し、直径五メートルほどの大きさになった。
その黒く渦巻く円の中心には、ぽっかりと空いた穴――というより、下り階段が出現。
それがダンジョンへの入り口だった。
だが世界同時多発した最初のダンジョン群の生成に巻き込まれた者たちは、そんなこと知る由もない。
「ジョージ……ジョージ……うっ、ううぅぅ」
「ドクター! 早くここから逃げないとっ。お腹のお子さんだっているんですから。気をしっかり持って!」
ニューヨーク州のとある町で生成されたダンジョンは、店舗が立ち並ぶ通りを飲み込んだ。
臨月を迎えた獣医師は二日前から産休に入ったのだが、患者が気になってこの日も動物病院へと足を運んでいた。
もし病院に来ていなければ、ダンジョン生成に巻き込まれずに済んだのに――近い将来、そう思う少年がいることを、今の彼女は知らない。
突然建物が揺れ、彼女らはどこかへと落ちる感覚に襲われた。
意識を失い、再び目覚めると窓の外に見知った街並みはなかった。
あったのは薄暗い空間と、そこが洞窟っぽい場所であるということがわかるだけ。
そして、病院前に停車してあった車が、大きな岩に押しつぶされているという現実。
その車内には、獣医である妻を待つ夫がいた。
「ドクター! ドクターエマ! 院内に戻ってどうするんですか!?」
「うぅ、ううぅ……あの子たちを、解放、してあげないと。自由にして、あげないと、逃げられないでしょ」
「そんなっ。怪我をして動けない子もいるんですっ。まずは私たちが地上に出て、それから救助隊にっ」
「キャサリンは、行って。私はこのお腹だし、それに――」
それに、下腹部に鈍い痛みがある。背中側の腰も痛い。
これが陣痛なのだとしたら、どこに出口があるのかわからない場所を歩き回るのは危険だと獣医のエマは考えた。
万が一のことがあれば、ここには清潔な布もある。消毒液も、動物用とはいえ手術道具も一式ある。
(もしものときは、ここで産むわ)
「行って、キャサリン。ほら、お向かいのピザ屋の店員や客が行こうとしているわ。彼らと行って。ひとりでいるより心強いでしょ?」
「で、でも……」
「このお腹じゃ走ったり出来ないし、あなたが地上に出て救助を頼んで。ね?」
「……わ、わかりました」
「あぁ、動ける子は連れて行ってくれる? 犬たちだけでも」
ペットホテルも兼ねていることもあり、患者ではない動物たちもここにはいる。
たまたま宿泊している犬たちは少なかったが、それでも四頭いた。
ケージから解放し、リードを急いでつけ院外へ。
「待ってボブ。キャサリンと預かってた犬を連れて行ってあげてっ」
「エマ!? 来て――じゃ、この岩の下敷きになってる車……」
動物病院の向かいにあるピザ屋で働くボブは、エマと、その夫ジョージのことも知っている。
お腹が大きくなったエマを、毎日のように送り迎えしているジョージの姿を見ていた。
「ボブ、キャサリンをお願いね」
「エマッ。君も行かなきゃ。ジョージのために!」
「無理よ。実はね……ん……陣痛、始まってると思うの」
「なっ」
「ここには医療器具があるわ。だからここで産む。あなたたちは地上に出て、救助隊を呼んでちょうだい。ね?」
何かが起きて、辺り一帯が地面に落ちた――彼らはそう考えた。
でなければ説明のつかない景色が広がっているのだから。
「ド、ドクター!」
「キャサリン、何をやってるの。早くっ」
「で、でも、この子たちが動こうとしないんですっ。外に出るのを嫌がってるみたいで」
「まぁ……あなたたち、キャサリンと一緒に行くのよ」
リードに繋がれた四頭は、エマの顔をじっと見つめていた。
やがて頷くと、看護師のキャサリンと一緒に病院を出た。
「急に素直になった……じゃあドクター、絶対ここから動かないでくださいねっ。絶対ですからね!」
「えぇ。救助隊を待ってるわ。ボブ、あの子をお願いね」
「エマ……わかった。急いで地上に出て、直ぐに救助隊を案内して戻って来る。絶対だ」
彼らを見送り、エマは院内へと戻る。
さっきの痛みはもう引いている。陣痛だと思わせるには十分だ。
「さぁ、みんな。頑張りましょうね」
院内に残った動物たちに声を掛け、ケージの扉を開けて回った。
それにしてもと、ふと彼女は思った。
宿泊預かりをしていた四頭の犬たちは、真っすぐ自分を見つめていた。
まるで訓練された犬が、命令を待つかのような姿勢で。
そしてキャサリンと行くように言うと、四頭は確かに頷いたのだ。
「あの子たち、ドッグトレーナの訓練を受けていたかしら? ね、どう思う?」
骨折のため来院していたシェパードにそう話しかけると、シェパードは首を左右に振って見せた。
「え?」
彼女が首を傾げると、シェパードも同じように傾げる。
「訓練を受けていない……てこと?」
すると今度は上下に首を動かす。頷いたのだ。
エマは驚愕する。
「あなた、私の言葉がわかるの!?」
「ゥオンッ」
吠えてから、シェパードは頷いた。
気づけばエマの周りには、彼女がケージから解放した犬、そして猫たちが集まっていた。




