【8】
深夜。
誰かが小神殿の扉を叩いている。
そっとベッドから出て部屋のドアを開けた所で、ラウルも同じように部屋から出て来たようで目と目が合う。
ラウルの目で、動きを制された私は部屋の中へ戻る。
誰だろう?
こんな夜更けに。
村人の誰かに何か有ったのかな?
怪我とか――治療が必要ならラウルの魔法が頼りだ。
緊急の何かが有ったんだ。
やっぱり気になって、ゆっくりと扉に向かって足音を殺して歩く。
誰かが居る。
暗闇の中、誰か解らないけど、ラウルが必死に説得しているような感じだ。
だけど、相手も引き下がる気配は無く――。
「智美!」
闇の中に居る人物が私の名前を叫んだ。
そうだ。私の名前は智美。サコっていうのは名字。
“智美”って、呼ぶのは両親と――省吾だけ。
私は、どうしてここに省吾が居るのか、ただただ怖くなってしまって、自室へと逃げ込んでしまった。
「サコ、僕だけど」
控えめなノックの音に我に返った私は、そっとドアを開けた。
「ラウル…」
「サコ、大丈夫ですか?」
「…うん」
「勇者様は、礼拝堂の方に泊まって頂く事にしました」
「…うん」
「こんな夜更けに、非常識ですからね」
「そ、そうね」
「明日、ゆっくり話をして下さい。積もる話も有るでしょう」
「……」
「本当に驚いてますね」
「…だって」
「父の手紙に書いてあったでしょう」
「…え?」
「凱旋した勇者が姿を消したと。もしかすると、こちらへ向かっているのではないかと」
さすがに、そこまで読んでいない。
というより、まだ長い文章は読めないって。
結局、その後、一睡も出来ず、朝を迎える事になった。
アルジーという名の小さな国境沿いの村は、あの魔王を倒した勇者が昨夜この村にやっていたというニュースで持ちきりだ。
魔王の被害が無かったこの村でも、姫君を攫った悪しき魔王の話を知らない者は居ない。
その勇者が、この村にやって来て、しかも、この私に会いに来たとなれば否応にも噂は広がるばかり。
礼拝堂に立つ勇者姿の省吾は、今まで見た中で一番イケてる。
大きな窓から差し込む朝日が汚れた鎧を光輝かせ、まるで映画のワンシーンみたいだ。
私は近付く事も出来ず、立ち尽くす。
そう、私は省吾とはこんな感じの距離感が良い。
「智美」
「省吾、いきなり来るからビックリした」
何か言いたい事が有るなら言えばいいのに、私の名前だけ呼んでも会話は進まない。
「智美」
「す、凄いね!お姫様を救って、魔王を倒して、英雄だね」
「智美」
「早く王都に戻った方がいいよ。神官長さんとか心配してるって、ラウルが手紙で…」
最後まで、言えなかった。
省吾が私に駆け寄り、力任せに抱き寄せるから。
「智美が“頑張って”って言うから、俺――」
「そうだね」
「智美が“待ってる”って言うから、俺――」
「言ったね」
「俺、ずっと、智美の事が――」
「ありがと。でも、もう、私の為に頑張らないで」
私は知っていた。
省吾の気持ちを。
私の為に勉強もスポーツも全て頑張ってきた省吾。
私の言葉一つで、行動一つで、一喜一憂していた事も。
おばさんが「省吾ったら、智美ちゃんの事、好きで好きでしょうがないのよ」なんて冗談ぽく言っていたのを聞いた事がある。
それを知っていて“私って悪女だな”って、思った事もある。
だから、もし私が省吾の彼女なんかになった日には省吾ってどうなるんだろうって、無意味な事を真剣に考えた事もあった。
でも、温い関係で居られる“幼馴染み”を私は選んできた。
私を好きで居てくれる事は、正直に言えば嬉しい。
だけど、依存され続けるのは私には負担が大きい。
省吾は、前の世界でも、この異世界でも、あらゆる祝福を手にしている人間なのだから。
姿を眩ませた勇者の行き先なんて、誰にでも分かる簡単な話。
省吾と話をしたその日の夕方、大名行列かって思うほどの連隊を組んで護衛騎士達がやって来た。
もう、村は大パニック。一緒に勇者と旅をした魔法使いに戦士、ラウルのお兄さんの神官、そして、助け出されたお姫様まで、勇者を追って来た。
ゆっくりしていって欲しい所だけど、この大人数をこの小さな村では受け入れる事が出来るはずも無く。
早々に、お引取り願うしかなかった。
まるで、嵐が来たかのような2日間だった。
「あ、ラウル!お兄さんにちゃんと挨拶してない!!」
せっかく、来てくれたのにそのまま追い返してしまった。
ラウルだって、お兄さんと久し振りなんだし、ゆっくり話もしたかったはず。
「そうですね。別にまた今度で構いませんよ」
「今度って、いつになるか分からないでしょう」
「次に会う時は、僕とサコとの結婚報告の時でいいでしょう」
「!」
そんなの、いつになるか分かんないよ。
それでも、いいの?
「忍耐とか我慢とか、それなりに修行してきましたが、そろそろ限界も近いです」
いえいえ、さらなる精神修行を希望します。
「サコのお腹が大きくなるのも見たいですから」
見たいって、観察しても面白くないですよ。
「きっと、サコに似た可愛い女の子です」
女の子!?性別まで指定ですか!!
「ラウル!ふざけるのも、いい加減して!!」
「ふぜけてなどいません。真剣です」
「だって、ちゃんとした告白もプロポーズもされてないんだよ!!」
「――サコ!!」
勇者が世界を救った日から、数ヶ月が経った。
子供達は勇者ごっこして遊ぶようになった。
そして、男の子が勇者に憧れるように、お姫様役をやりたいって言う女の子が魔王から救出されるのを待っている。
少し前の私なら、子供達と混ざって一緒に勇者ごっこして遊んだりしていたと思う。
でも、今の私はラウルから「ダメ」と言われて、おとなしく子供達の様子を見守っているだけ。
「貴女も、大きくなったお姫様に憧れたりするのかな?」
まだ、膨らみの無いお腹に向かって私は語り掛けた。
『幼馴染みだよ』 END・・・?
ここで一度、END・・・?とさせて頂きます。
もう少し続きます。




