悪役令嬢の最後
「行かないでくださいませ、わたくしを、どうか……お慕いしております!」
バルコニーには他に人影はない。他のバルコニーは、花火を前に人であふれんばかりだが、ここは、伝統的にユールノヴァ家の者しか来ない場所だ。
アレクセイはふっと嘆息し、キーラを振り返った。
「君は、私の目の色が嫌いだったはずだ」
「いいえ、昔から素敵だと思っておりました!嫌いとおっしゃったのは、アレクサンドラ様です」
「君はそれを、いちいち伝えに来た」
アレクセイの口調には怒りはない。ただうんざりしたような、乾いた声音。
「お、お話したかったのです!思い出してくださいませ、アレクセイ様はいつもお一人で、話しかけて差し上げるのはわたくしだけでしたわ……。お話しして、少しでも表情を変えてくださるのが、わたくしには嬉しかったのです。お慕いしていればこそです!
わたくしはアレクサンドラ様のお気に入りでした。アレクセイ様さえわたくしを受け入れてくだされば、どのようにふるまえばアレクサンドラ様のお気に召すかを、教えて差し上げるつもりだったのです。賢いやり方を」
と、エカテリーナが手を伸ばし、アレクセイの耳をふさいだ。
にっこりと微笑む。
「お兄様。虫の羽音など、お耳に入れることはございませんわ」
表情を変えるのが嬉しかったって、嫌な顔をさせて喜んでたんかい。
ババアの気に入る媚び方を賢いやり方って、何言ってんだ。
一番すごいのは、この期に及んで堂々とそれを言い放てるほど、自分がしたことに反省も疑問もないところだよ。
縦ロールちゃん。要するに君は、好きな子の気を引くつもりで嫌がらせするタイプだったわけだな。
好きだから虐めるって、男の子に多いイメージだけど、女の子でもやる子はやるよね。そして、男の子だろうが女の子だろうが、嫌がらせすれば嫌われるだけだよ。当たり前じゃ。
私はマジで理解できないよ。好きな人には、優しくしたい。幸せになってほしい。ひたすらに。それが好きってことではないの?どうして、そうではない人がいるんだろう。
人の数だけ、愛の形はあるのかもしれないけど。
お兄様は、ひたすら愛してくれる人だから。同じようにお兄様をひたすら愛する人に、巡り合ってほしい。
アレクセイは微笑んだ。
「気にすることはないんだよ、羽虫など最初から気にしていない。だからこの手を離してくれ、お前の声まで聞こえ辛くなってしまうから」
そして耳をふさいでいた妹の手をそっとずらし、頬にあてる。ネオンブルーの瞳が、甘くなごんだ。
「お前の声は、天上界の花園に棲むという妙音鳥のようだ。その声は神々の蜜酒のように甘く、魂を酔わせるという。しかもお前が語る言葉は、いつも優しい。お前の声は私にとって、最も喜ばしい音楽だよ」
「まあ、お兄様ったら」
聴覚にも装備。シスコンフィルターに死角なしですね!
「ひどい!」
キーラは憎しみがたぎるような目で、エカテリーナを睨んでいる。
「どうしてわたくしではないの。そこは、わたくしが、いるべき場所!わたくしが受け取るべき言葉よ!」
彼女の夢の中では、アレクセイはキーラに感謝し、彼女の傍らで優しい言葉をささやくはずだったのだろう。
そしてキーラは公爵夫人となり、最高の名誉に包まれて、絢爛豪華な暮らしを楽しむはずだった。
「あなたのせい!わたくしの場所を、盗んだ!」
狂気じみた叫びをあげて、キーラはエカテリーナに襲いかかった。
エカテリーナは全く反応できない。ただ、目の吊り上がったキーラの顔が、般若面にそっくりだと、その思いが頭をかすめただけ。
が。
突然キーラが宙に飛び、くるりと空中で前転して、バルコニーの床にびたんと叩きつけられた。
(は?)
なぜ突然、軽業師に。いちおう伯爵令嬢なのに、びたん。
はてなマークが脳内を駆け巡ったのち、ようやくエカテリーナはキーラの両側に、メイドのミナと従僕のイヴァンが立っていることに気付いた。
全く視覚でとらえられなかったが、二人のどちらかがキーラの腕を掴み、足払いをくわせて投げ飛ばした――のであろう。おそらく。
「お嬢様。怖い思いをさせてすみません」
いつも通りの無表情で、ミナはエカテリーナに謝罪する。
「……怖いと思う暇もなくってよ。とても素早くて、見事な対処だこと」
若干呆然としつつエカテリーナが褒めると、ミナの口角がほんの少し上がった。
「ユールノヴァの女主人に危害を加えようとした慮外者だ。相応しく処遇するよう伝えろ」
こちらは驚いた様子もなく、アレクセイが命じる。彼はエカテリーナと違って、ミナとイヴァンが護衛していることを承知しており、二人の動きを見て取ってもいたに違いない。
ミナとイヴァンは一礼し、白目を剥いて気絶しているキーラの腕を両側から抱えて、運んでいった。
いちおう伯爵令嬢なのに、足先が床についてずるずると引きずられる、雑な扱いなのはどうだろう。さすがに同情するエカテリーナであった。
同じ悪役令嬢として、ゲームでの断罪シーンを思い出して恐ろしかったんだけど。びたん、に全部もってかれたわ。ゲームのエカテリーナは、こんなコントみたいなオチにならなかっただけ、マシだった気がしてきた。
なによりお兄様が抱きしめていてくれたもんね。
さようなら、ローカル悪役令嬢。
もうお兄様とは関わらないでほしいけど、君の未来に救いがあることを願うよ。まだ十五歳の子供なんだから。
「さあ、空をご覧」
キーラを見送るエカテリーナの肩にそっと手を添えて、アレクセイは妹の視線を夜空へ向けさせる。
「あのような者のことまで、案じることはないんだ。楽しみなさい」
まさにその時、最初の花火が上がったのだった。
「まあ、きれい!」
思わずエカテリーナは声をあげた。
江戸時代の花火には、色がなかったと聞いたことがある。現代の花火みたいに色とりどりではなく、ただ光の、黄金色の花だったらしい。
けれど今、夜空に咲いた花火は、青い大輪だ。
前世のように色を変化させたりはできないのだろうけれど、江戸時代より発展しているような。
「ユールノヴァの花火は、色彩の美しさで有名なんだ。これもアイザック大叔父様の研究の成果だよ」
そうか、花火の色は金属を加えることで変わるから、鉱物学者の大叔父様が貢献しているのか……大叔父様すげえ!業績が多彩!
次々に、花火が打ち上げられていく。黄金色の光の花が基本だけれど、赤、緑、ピンクなどが取り混ぜられて、花開く。単色だけでなく二色の花火もあるし、ほぼ同時に打ち上げることで二色の組み合わせになっていたりと、職人の工夫が見てとれる。
祝宴の客人たちも庭やバルコニーで夜空を見上げており、花火が上がるたびに大きな歓声が上がった。
「……お前のその目には、このように美しいものだけを映していてほしいが。力が及ばず済まない」
花火の合間に、ぽつりとアレクセイが呟く。
それで、あらためてエカテリーナは思った。今日のことは、どこまで兄の想定通りだったのだろうと。
ノヴァダインが何か仕掛けてくるであろうことは、エカテリーナも予想していた。アレクセイは、その中身まで掴んでいたのだろうか。――ある程度は、判っていたのかもしれない。
けれど、なんらかの理由で、妹に前もって話すことはしなかったのだ。
シスコンのお兄様は、できれば妹を宝箱にでもしまっておいて、修羅場など見せたくなかったのかもしれない。
けれど敵対する派閥に最大の打撃を与えるためには、この祝宴で、人々の前で、ノヴァダインを迎え討つことが最適と判断したのだろう。そして、冷徹にその判断を実行した。
クール系超有能お兄様。お兄様はやっぱり、私のドストライクです!できる男って素敵!
「お兄様、わたくしは美しいばかりでなかろうとも、お兄様と同じものを見とうございますわ。お兄様のお手伝いができるように。ですけれどもちろん、お兄様はご当主でいらっしゃるのですもの。わたくしがすべてを見るべきではないとお考えでしたら、ご判断に従いますわ」
私のリアクションとかで、返り討ちにしようとしていることを連中に気取られないように、話さないほうがいいと判断したのかな。ええ、貴族として育ってこなかった私ですから、社交スキルは低いと自覚してます。表情とか上手に取りつくろえるか、あんまり自信はないです。
だから、すべてを話してくれなくても、すねたり怒ったりしませんとも。前世でだって、経営判断で情報統制されたりしたこと、ありましたし。自分の立場から見えることがすべてではないと、解ってるつもりです。
でも私は、宝箱の中で一人守られるよりも、お兄様の力になりたいですよ。
「私のエカテリーナ」
噛みしめるようにしみじみと、アレクセイは妹を呼んだ。
「お前はいつも、理解して、許してくれる。賢い、優しい、私の妹。
お前には、特別な魔力があるのかもしれないな。世の中を知らずに育ったのに、あまりにもすべてを見通してしまうのだから」
特別な魔力はないです、アラサー社畜入ってるせいですすみません!
とは絶対に言えない!
すみません、中身がぜんぜんお兄様が思っているようなお姫様キャラじゃない、アラサー社畜成分多めな妹でほんとにすみません。
「わたくしにあるのは、お兄様への愛だけですわ。愛は奇跡を起こせると、聞き及んでおりましてよ」
エカテリーナが澄まして言うと、アレクセイは笑った。
「それなら、私にも奇跡が起こせそうだ。愛しているよ」
翌日、エカテリーナはライーサから報告を受けた。
昨夜、ノヴァダインをはじめ彼の派閥に属していた者たちの多くの邸に、領都警備隊と騎士団が踏み込んだそうだ。祝宴に招待されて主人が不在となっている間に、賄賂や公爵領に不利益をもたらすやりとりの証拠を押さえられ、祝宴から戻ったところで全員捕縛された。
ただし、ノヴァダイン本人はユールノヴァ城で捕縛された後に逃亡し、現在『行方不明』とのこと。
わーすげえ、がっつり罠だったー。
聞いてなくてよかったです、こいつら全員今日で命運が終わるのかー、って哀れみの目で見ずにいられなかったに違いないもん!
お兄様、素敵!
ますますブラコンに磨きがかかりました!




