悪役令嬢はあきらめない
「嘘よ!」
高い声が響き渡った。
叫んだのはキーラだ。怒りに燃える目で弁護士を睨み、さらにまくしたてる。
「アレクサンドル様は、おじさまは、わたくしを本当に大切にしてくださったわ。いつも、キーラは可愛い子だって、自分の娘だと思っているって、優しいお声で言ってくださったもの。わたくしを一番に可愛がってくださったのよ!
だからおじさまは、わたくしが公爵夫人になることを望んでいらしたわ!本当の娘になってほしいと、おっしゃったもの!」
「黙れ」
びしりと鞭打つように響いた声に、キーラはびくっと震えた。
アレクセイは足早に妹に歩み寄り、両手でそっとその耳をふさぐ。
「エカテリーナ、こんな言葉は聞かなくていい」
「お兄様……お気遣いにはおよびませんわ」
エカテリーナは兄を見上げて微笑んだ。
実の娘が幽閉されてるってのに、よその子にこんな調子いいこと言ってたんかい、と呆れているだけですから。会ったこともない親父が何を言っていようと、気になんかしませんよ。
ちょっと胸がうずく気がするのは、令嬢エカテリーナが、お母様をおいたわしいと思っているから。それだけですから、心配はいらないんです。
「いい子だ。さあ、もうバルコニーに行こう。花火が始まる頃だ。――ダニール、我が法律顧問。大儀だった」
「恐れ入ります、閣下」
いたって爽やかな笑顔で、弁護士は一礼する。
「アレクセイ様!」
叫んで、キーラはアレクセイに駆け寄った。
「お願いです、わたくしを妻にするとおっしゃってくださいませ!ずっとずっと、お慕いしておりました。わたくしにとってただ一人のお方、あなた様と生きることしか考えたことはございません。どうかわたくしの一途な気持ちを、受け取ってくださいませ!」
アレクセイはキーラに向き直る。妹を背にかばうようにして。
冷ややかに言う。
「君には資格がない。魔法学園への入学もできない者が、公爵夫人になることはあり得ない」
ぎくり、とキーラの動きが止まる。
キーラはエカテリーナと同い年だが、魔法学園で顔を合わせたことはない。つまりキーラは、学園に入学していない。
魔法学園は、規定を満たす魔力を持つ皇国の民すべてが入学する。すなわちキーラは測定で、魔力が規定に達していないと判定されたのだ。
大広間のあちこちから、驚きや疑問の声が上がる。ノヴァダイン家は、キーラが魔法学園に入学したかのようによそおっていたのだろう。
キーラは必死の形相で叫ぶ。
「違うのです、あれは陰謀です!わたくしがおじさまのお気に入りであったことを妬んだ者が、測定結果を改竄したのですわ!わたくしには魔力があります、充分に!おじさまはそれを理解してくださいました、だから、わたくしを閣下の婚約者にしてくださったのです!」
「その結果が、あの書状だ」
アレクセイが静かに言うと、キーラは顔面蒼白になった。
アレクサンドルは彼女に規定を満たす魔力があると信じてくれた。それは彼女にとって、大きなよりどころだったに違いない。
幼い頃から、将来アレクセイと結婚して公爵夫人になることを夢見てきたとしたら、魔力が足りないと判定されたことは、大きな衝撃だったはずだ。
しかし彼女は、そして彼女の父親は、それで素直に絶望する人間ではなかった。アレクサンドルに懇願してあの書状を手に入れた時は、狂喜乱舞したことだろう。
それが実は、幻だった。
ふらりとキーラがよろめいたのも無理はない。与えられたはずのすべてが、掴もうとしたその場で、かき消えてしまったのだから。
「……いや、これが理由ではない」
アレクセイは首を振った。それはキーラへの配慮ではなく、魔力を持たない側近、ノヴァクを考えてのことに違いなかった。魔力の有無で人の未来を閉ざす判断を、領主として臣下の前で下すべきではないと。
かつての彼なら、こうした思いやりを見せることはなかったかもしれない。
「私は君を望まない。私はユールノヴァ公爵であり、君は公爵家に良きものをもたらす存在ではないと、判断するからだ。祝宴に招待した客人たちの前で、このような騒ぎを起こすような女性が公爵夫人にふさわしいとは、私は考えない」
明確で説得力のあるアレクセイの言葉に、うなずく者は多かった。家と家の契約である婚約を、一方的にこんな場で公表するなど、正気の沙汰ではない。
ましてやユールノヴァ公爵家は領主、この公爵領の王であり、ノヴァダインはその臣下だ。その立場もかえりみず、当代公爵の合意なく自分の娘との婚約を勝手に決めるなど、クーデターにも等しい。
ノヴァダインも解っていたのだろう、アレクセイがキーラとの婚約を望まないことを。まともなやり方で婚約を進めようとしても、他者のいない場で話をすれば、アレクサンドルの書状すら握りつぶしてしまいかねない。そう思ったのだろう。
そして、このままアレクセイの時代となり領地の掌握が進めば、ノヴァダイン伯爵家に浮かぶ瀬はない。いや――それでは済まない事態になるであろうことを、解っていた。
だからこの祝宴で書状を公表し、外堀を埋めて婚約に持ち込むという賭けに出た。そうすれば、ノヴァダインの没落はユールノヴァにとっても醜聞になるため、救済される。そう目論んで。
そして、賭けに敗れた。
「そのような……意地悪をおっしゃらないで」
キーラは貼り付けたような笑顔のまま、震えている。
無理もないだろう。アレクセイに拒絶されれば、このあと彼女にまともな結婚ができる可能性はほぼない。公爵領の主だった者すべてが集った場で、大恥をかいた娘として、嘲笑されて生きることになるのだ。
彼女にとっては、この祝宴は一世一代の晴れ舞台となるはずだったのだろう。これでもかと身に飾った、宝石たちがあまりに虚しい。
「祝宴ですのよ。アレクセイ様がわたくしとの婚約を受け入れてくだされば、皆様にとっても、これほど喜ばしいお知らせはないのですわ。わたくしがどんなにお慕いしているか、どうかおわかりになって。本当に、ずっと昔から、ずっと……」
だがアレクセイは耳も貸さず、エカテリーナの手を取って、バルコニーへ向かいかけている。
「いやーっ!」
叫んだキーラは、バルコニーまで追いすがってきた。




