婚約宣言
「エカテリーナ、疲れたのではないか?少し休んだ方がいい」
「いいえ、お兄様。わたくし大丈夫ですわ」
実を言うと、ちょっと疲れておりますけども。
挨拶した人、今日一日で一体何人になったんだろう。祝宴の総参加人数は、確か二千人を超えてたはず……。あっ考えると気が遠くなるからやめよう。
いやさすがに全員とは会話できないけど。いまだに挨拶が途切れないね。
でもお兄様から離れると、もっと疲れることになると、もう学習しましたので。
お兄様はずっと気遣ってくれて、公爵領の最重要メンバーからの挨拶を受け終わったらすぐ、座って休んでおいでと強く勧めてくれたんだけど。
お兄様と離れると、とたんに囲まれるんだ!男性陣に!
で、ダンスを申し込まれる。四方八方から。
そりゃそーだって感じですよ、主催者家族っつーか主君の妹だもんね。表敬訪問は必須だよね。公妹を壁の花にしちゃいけない、っていう不文律とかあるんだろうな。
不慣れなんで、断わるのに必死ですよ。いっそ申し出を受けて踊ってもいいのかもしれないけど、付け焼き刃がバレそうだし。あと、相手をどう選ぶべきか……序列に従うべきなんだろうけど、わーっと寄って来られると、その中で誰が一番地位が高いのか判断が難しくて。
とにかく笑ってごまかしてたら、すぐにお兄様が救出に来てくれました。ありがとうございます。さすがシスコン。
周囲が見えないほど男性陣に囲まれていたのに、お兄様が戻ってきたら、スパーンと中央が割れたね。背後にお兄様が立ったら、男性陣全員、気配だけで左右に逃げましたよ。お兄様から陽炎のように何かがたちのぼっていたもんな。
でも、私と目が合ったら優しく笑って、包囲網から連れ出してくれて。
やっぱり私のお兄様は、世界で一番素敵です。
そしてお兄様が凄いのは、祝宴に集った人々をほぼほぼ把握していること。
挨拶に来た人に、必ずお兄様の方から何か尋ねたりするんだよね。領地のこととか、商売のこととか、家族や先祖のこととか。私と違って幼少の頃からの付き合いだし、この日のためにあらためて予習もしてきただろうけど、二千人だからね。きっちり頭に入れてるって凄いよ。
だから男性陣もビビるわけだけど。どこの誰だか、がっつり把握されてるんだから。
でもそんなお兄様にも、やっぱり死角はあるもんですね。私はそれを把握しましたよ。
「お兄様こそ、お疲れではありませんこと?当主のおつとめは大切ですけれど、少しはお気持ちを休めてくださいまし。どなたかご令嬢と踊っていらしてはいかがでしょう」
可能な限り婉曲に言ってみましたが。
お兄様……鈍いです!自分への好意に!
魔法学園でも実は人気あるんじゃ?と思ったことがありますが、公爵領ではそれはもう、どう見ても憧れの的ですよ。令嬢たち、必死でお兄様を見つめて踊ってほしそうにして、反応がもらえなくて半泣きになっちゃう事案が続出してたんですけど。
私はブラコンですが、『嫁いびりダメ絶対』が座右の銘ですので、お兄様の恋愛を邪魔なんてしないと心に誓っております!ですから私に遠慮せず、令嬢たちをもう少し、構ってあげてもいいのでは。可哀想ですよ。
今だって、ちょっと周りを見回すと、あわてて令嬢たちが目をそらしていくし。みんなお兄様を見ているんですよ。お兄様が笑顔で私に話しかけるたびに、きゃーとか押し殺した悲鳴みたいな声が聞こえる気がするし。
あれ?これって魔法学園で、試験の順位を見てた時の雰囲気に似てるような。
アレクセイは、ふ、と笑った。
「私は疲れてなどいない。それどころか、これほど宴を楽しめるのは初めてだよ」
エカテリーナの手を取って、自分の手よりはるかに小さいたおやかな手を、そっと両手で包み込む。
「皆がお前の美しさに見惚れ、感嘆している。それほど美しいお前が、私の傍らにいて、私を優しく気遣ってくれる……これがどれほど心地良く、幸せなことか。
愛しい私のエカテリーナ。何処にいようと、何をしていようと、お前が側にいてくれるならそのひとときは、私にとってただ喜びだよ」
「まあ、お兄様ったら」
はいわかりましたシスコンとブラコンで仲良く一緒にいましょう!
すいませんきゃーきゃー言ってる令嬢の皆さん。お兄様によそのご令嬢と踊ってもらう気が、きれいさっぱりなくなりました。ブラコンな妹ですいません。
……こうしていられるのも、きっと今のうちですもんね。
そもそもお兄様は、結婚相手を領地で探すべきじゃない。魔法学園で探さなくてはいけないはず。だから踊っても、相手をぬか喜びさせるだけになってしまうんだった。
お兄様は、そのことをちゃんと解っているんだろう。
「あと少しで、花火が打ち上げられる。祝宴の余興だが、宴が中盤を過ぎた合図でもある。花火が終われば、帰る客も出始めるはずだ。そうなったら、お前はいつでも退出していい」
「はい、お兄様。ご配慮ありがとう存じますわ」
これだけの規模の催しでは、招待客は時間通りに一斉に来て時間通りに一斉に帰る、わけではない。一斉に来られたり帰られた場合、馬車渋滞が大変なことになるだろう。ゆえに暗黙の了解で、人によって早めに来たり遅めに来たり、帰る時間もずらしたりする。
宴の中盤あたりで、参加人数がMAXに達する。
そこで花火が打ち上がり、皆で楽しんで、終わったのを合図に、早番――ではなく早めに来た人々や、高齢であったりして早々に引き上げたい者から帰っていく。そんな段取りになっている。段取りというほどのものでもなく、必然的にそうなるだけなのだろうが。
この時間になっても、まだ挨拶の順番待ちをしている人々はいて、兄妹の会話は挨拶を受ける合間をぬって交わしている。とはいえ、主要人物との顔合わせはもう済んでいた。
「ですけれど、お許しをいただけるなら、わたくしいましばらくお兄様とご一緒しとうございます。わたくしも、お兄様とご一緒できるだけで、楽しく嬉しいのですもの」
「嬉しい言葉だ。だが、無理をしてはいけないよ」
優しく言ったアレクセイだが、次に挨拶のために進み出た人物を見ると、ネオンブルーの瞳に冷ややかな光が宿った。
「閣下、遅参いたしまして申し訳ございません」
「ノヴァダインか」
娘キーラをエスコートして現れたノヴァダインは、アレクセイの冷たい声を意に介さぬ様子で一礼する。
父娘そろって、今日も豪華な服装だ。特にキーラは、これでもかと宝石を身に飾って、いささか装飾過剰ですらある。エカテリーナの胸にきらめく豪奢な家宝のネックレスを、一瞬ながらぎらりとした目で見たようだった。
「先ほどは愚妻がご無礼をいたしましたようで、遺憾に存じます」
もう一度頭を下げたノヴァダインは、しかしすぐにこやかに顔を上げた。
「しかし実は、話を聞いて安堵いたしました。先達の遺訓には従うべきと、閣下もお考えなのだとわかりましたので」
思わずエカテリーナは眉をひそめる。こいつ、何を言おうとしている?
エカテリーナの疑問に答えるかのように、ノヴァダインは上着の内ポケットに手を入れた。
「皆様、ご覧ください!」
高らかに言いながら掲げて見せたのは、一通の封書だ。高級そうな紙が使われた、見るからに重要そうな。
「私はこの佳き日、ここに集った皆様に、素晴らしいお知らせをいたします。ユールノヴァ公爵アレクセイ閣下と、我が娘キーラの、婚約です!」
突然の宣言に、大広間は大きくどよめいた。それに負けないよう、ノヴァダインは声を張る。
「前公爵アレクサンドル公は、キーラをたいへん可愛がってくださっており、ご生前にご子息との婚約を整えておられたのです。これは、キーラを閣下の婚約者と定めた書面です。アレクサンドル公のご署名と印章に加え、アレクサンドラ様のご署名に印章もございます。皇女たるアレクサンドラ様も祝福された、素晴らしい縁組みなのです!皆様も、どうか祝福を!」
なおも広がってゆくどよめきの中、キーラは輝くばかりの笑顔で、いそいそとアレクセイに歩み寄った。
だが、アレクセイはキーラに目もくれず、そっと妹の肩を抱いた。




